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赤眼ゾンビ  作者: 海月
第三章
101/102

針千本 2

 自身の割り当てられた部屋へと足早に戻る。残された時間が少ない事と、一人ではどうしようもない事だけが分かっていた。


「よお、戻ったか」


 部屋でクロスワードを解いていたらしい八木さんが顔を上げる。それから、やや怪訝そうに眉を寄せた。


「お前、なんかあった?」


 俺は言っていいものかどうか逡巡する。その僅かな躊躇いを見てとったのか、八木さんはちょっと笑った。

「友人関連のことか?」

 混じる申し訳なさそうな雰囲気に、俺は首を振ろうとして、寸でで止める。小さく頷くと、八木さんは困ったように頭をかいた。


「……話くらいなら聞くよ。俺が余計な気を回したせいだろ」

「違う……けど、俺一人じゃどうにもなんなくて」


 八木さんの眉がますますひそめられる。


「悠銀じゃなくて、武仁の事なんだけどさ」

 あらましを話すと、八木さんは素っ頓狂な声を上げた。

「はぁ!? バカじゃねぇの!? 何でンなもん飲んでんだ」

 声を荒らげる八木さんに、少しだけ体の力が抜けた。八木さんなら本人にも、こうやってすっぱりと言えるのだろう。

 俺はうなだれて更に付け加える。


「……武仁は、自衛隊にこの事がバレるのを怖がってるんだ。でも、もうクワルツさんは武仁の様子がおかしい事を知ってて」


 きっと何か、話くらいは聞きに行く。そうして部屋の惨状を見たら、武仁の精神が尋常じゃない事に気づくだろう。

 俺はその後の対応が、わからない。


「治療とかさ、できないってなったら、もしかしたら」

 武仁はこの集団から爪弾きにされるかもしれない。……自警団では、そうやって爪弾きにした人を殺していた。それは報復を恐れて、あるいは見せしめのためだった。


 またこの、喉がすぼまるような恐怖だ。武仁だけじゃなく、俺もしっかりと恐れている。

 道徳を信じたいと言われた。応えようとも思う。武仁だってきっと同じ気持ちになるはずだ。こちらの善性を示せば、恐怖なんて感じなくて済む。

 でも今回はきっと、手遅れだ。道徳云々の話じゃない。相手はウイルスと同じ、自身の精神力ではどうにもならなくなってしまう依存性のある薬物だ。

 口を噤むと、八木さんはやっぱり困った顔で、頭をかいた。

 そうしてできる限り、優しい声で言った。


「お前、相談する相手間違えてるよ。俺は、反対側の人間だ」


 柔らかに示された隔絶に、俺は言葉を失う。

「お前や、坂本が怖がってることをやってきた人間だ。俺はお前と反対の事しか言えない」

「それって」


 頭が痺れるようだった。八木さんはまっすぐにこちらを見つめる。言わないでくれ、と思考の隅で呻く。


「クスリやってるやつなんか、怖いだろ」


 そうだ。どんな行動を起こすか予測がつかない。こちらに危害が及ぶかもしれない。だから危なくないように距離を離す。それは元の世界でも、今この状況下でも同じだ。

 その恐怖と警鐘の範囲を、自警団は広げた。

 状況もおかまいなしに泣く子どもも、足の弱い老人も、力の無い女も。怖いから、排除される。身の危険が迫る要因だから。


 俯いた視界に、八木さんが入り込む。

「でも、自警団ほど酷い事にはなんねぇよ。俺がお前の相談には応えらんなかっただけだ。他に適役は居るだろ。それこそクワルツは適役だと、俺は思う」

 諭すような口調に、でも、と反発しそうになる。だってクワルツさんは、自衛隊という組織にほころびが生まれることを良しとしない。


 けど誰かに相談するなら、やはり彼しか居ないのだろう。

 俺は曖昧な気持ちのまま、微かに頷く。すると八木さんは、よっと勢いをつけて立ち上がった。


「アイツら、もうすぐ隔離明けだろ。ちょっとでも心配事は減らしとけよ」

 そうだ、隔離明けは明日なのだ。明日の晩ご飯からは、一緒に摂れることになっている。

 そう思うと、少しだけ、勇気が湧いてきたような気がした。

「……そうだね」

「な、俺も着いていってやるよ」

 その提案に、俺はぱちりと瞬きする。すると八木さんは困ったように笑った。


「別に、俺は何もしねぇってわけじゃねーよ。お前にとっての良い答えは出せねぇってだけで」

「いいの?」

 尋ねると、ぐしゃりと髪を撫でられた。それから真剣な目で手のひらをこちらに差し向ける。

「聞いてる限りは部屋を見たら一発なんだろうけどな、お前、クスリは回収してきたか?」

 俺は小さく頷いて、ポケットからスライドケースを取り出した。錠剤を見た八木さんは苦く笑う。


「普通のそれじゃねぇわな」


 表面はざらついて、風邪薬なんかじゃまずありえない、星型が彫られているそれ。

 八木さんはスライドケースを閉じ、俺の手に戻す。

「行くか」





 私は規則正しく動く時計を見上げる。本来の時刻から多少のずれはあるかもしれないけれど、この駐屯地では腕時計に至るまで同じ時間になるように設定し直したらしい。

 大変だったろうな、と私はぼんやりと思う。隔離からもう十三日が経った今、時間に合わせてゆっくりと思考する事が得意になっていた。


 それに、と手元に視線を落とし、私は微笑む。手の中には手紙の束。海麗ちゃんが書いてきてくれたものだ。

 建前上は感染対策なのだから、そう頻繁には外の人に会えない。そんな日は、決まって彼女が手紙をくれた。時折彩瑛さんや、白樺さんからの手紙が混じることもあった。

 おかげで隔離生活の寂しさも薄れていた。長いように思えた隔離期間も、ようやく明日で終わるのだ。


 終わったら一番にジェイドさんと白樺さんに会いたい。ジェイドさんとは、一度だけ、手紙のやり取りをしていた。

 クワルツさんのことを聞けば弟だと返ってきて、続いて出会い頭に殴られたとも書かれていたから、仲はあまり良くないのだろうか。けれど会えて良かったとも書かれていたから、きっと兄弟間のコミュニケーションみたいなものなんだろう。

 それは白樺さんとジェイドさんを見ていて、何となくわかった事だった。


 コツコツとドアがノックされて、私は顔を上げる。お昼ご飯にはまだ早いけれど、きっとはるさんだ。

 はい、と応えながらドアを開くと目の前に立っていたのは、瑠璃さんだった。


「瑠璃さん? 一人ですか?」


 きょとん、と目を見開くと、彼女は気まずそうに顔を背ける。今まで彩瑛さんに引っ張られるようにして来たことはあったものの、こうやって彼女だけで来たことはなかった。


「……この時間が一番手薄なのよ。自衛隊の人は、食堂で準備しているし」


 その答えに、ようやく彼女がお目付け役のはずのはるさんを連れていない事に気付く。

 なるほど、彼女は今、私の食事の準備をしてくれている。

 緩いとはいえ、監視の目を、瑠璃さんは避けてきたのだ。ただごとではない雰囲気に、少しだけ肩が強ばった。

「瑠璃さん、座ってください」

 何か言いたげな彼女に椅子をすすめ、私も丸い腰掛けを引っ張ってくる。その間、彼女は握り締めた自身の手をじっと見ていた。

 対面に座ると、瑠璃さんは視線を落としたまま、口を開いた。


「……今日の朝、自衛隊に提案されたわ」

 切り出された会話に、私は僅かに眉を寄せる。彼女の中でも、まだ咀嚼出来ていない事なのだろう。ゆっくりと、迷うような口調だった。

 私は相槌を打って、続きを促す。


「自分達の手伝いをしないかって」

「……手伝い?」

 私達に手伝える事などあるのだろうか、と考えかけて、ピンときた。

「炊事洗濯とか、ですか?」

 そうよ、と彼女は鬱々とした表情で答えた。その暗い瞳が、億劫そうに私に向けられる。


「そう。家事の類いを手伝ってほしいと言われたのよ。狛平の時と同じように」


 あぁ、と私は心の中で呻く。ようやく彼女の懸念が分かった。

「あの二人は平気そうだった。むしろ喜んでたわ」

 海麗ちゃんからの手紙には、暇だ、退屈だと頻繁に書かれていた。それを解消してくれる提案は、きっと喜ばしいものだったのだろう。

 けれど彼女にとっては違う。自警団と同じ道を辿る事を恐れている。たとえ自衛隊と自警団は違うと言っても、こびりついた恐怖は拭えないのだ。

 何度も反芻してきた恐怖だろう。それが目前に迫ってしまっては平静で居られるはずもない。


「瑠璃さん、」

 彼女は身を丸め、顔を手で覆った。

「私だけが、置いてけぼりだわ……!」

 私はハッとして、彼女に伸ばしかけていた手をおろした。

 芽生えない信頼を、彼女は自分の問題として捉えている。

「分かってる。分かってるの。自衛隊に、信頼できる人がいるのも。怪我をしてるくせに足の遅い私を庇ってしまうくらい、良い人がいるのも!」

 私は静かに、相槌を打つ。

「でも怖いですよね」

 トラウマは、そう簡単には消えない。その感情は仕方の無いことだろう。のろのろと、彼女は顔を上げた。


「あなたは、どうなの?」


 縋るような目を向けられて、ようやく彼女が私に相談を持ちかけてきた理由に合点がいく。

 彼女はきっと、共感してほしかったのだ。置いてけぼりだと言った彼女は、寂しくもあったのだろう。

「私も、」

 彼女が欲しいだろう言葉を言いかけて、私は口を噤む。何か、軋むような違和感があった。

 きゅっと右手を握りしめ、私は言い直す。


「私は……信じるしかないと思います」


 彼女の形の良い眉が寄せられる。私は自分の気持ちを間違えないように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「信じられるかどうか、は置いておいて、信じると決めるしかないんです。……ここには自警団はいないから」

 それに自警団がいた頃と同じ自分じゃないのだ。前に進むためには、そう思うしかない。

 窺うように瑠璃さんを見やれば、彼女はぎゅっと目をつむっていた。

 堪えるようなその表情に、私は眉を下げた。

「私と瑠璃さんとでは、受けてきた傷がきっと違います。これは私がそう思っただけで、」

 言い募ろうとすると、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「気を遣わないで。惨めになる」

 静かな言葉に、私は口を噤んだ。これ以上かける言葉は見つからなかった。そんな私を見て、瑠璃さんは、ふっと笑う。

「少し自分で考えてみるわ」

 彼女の役に立てたかどうかはわからないが、多少は元気づけられただろうか。

 私は笑みを返し、小さく頷いた。それで話は終わりとばかりに、彼女は立ち上がる。

 瑠璃さんが椅子を少し浮かせたのに、慌てて手を伸ばせば、上から声が降ってきた。

「あんた、優しすぎるんじゃない」

 唐突に投げかけられた言葉に、私はきょとんとする。椅子を受け取りながら瑠璃さんを見上げれば、何故か困ったような表情をしていた。


 鹿嶋さんが居た頃からは信じられないほど険の抜けた表情だった。

「海麗にも言ったけど。私、結構酷いこと言ったでしょう」

 私はデパートでの記憶を手繰り寄せ、あぁ、と得心する。

「……鹿嶋さんを撃った時」

 痛いところを突かれたように、彼女の顔が僅かに歪んだ。

「ずっと言ってましたよね。生きたかったって」

 心の中で転がしていた重い球を、私は救いあげる。ひくつく喉を隠して、低い声で私は続けた。

「私も、生きるために食料を奪ったことがあります。友達のものでした」

 せり上がった球は喉を塞ぐけれど、隙間からねじ込むように言葉をはいた。

「その友達はもう、」

 彼女には伝わったのだろう。見る間に顔が曇る。だから私は、言葉を切って無理に笑った。

「それと同じことです。私も生きたいから酷いことをしました」

 今このパンデミック下で生きている人は、少なからず誰かを犠牲にしているのだ。その矛先が、彼女は海麗ちゃんに向いてしまったのだ。

 それはもう、自警団の気持ちが分かってしまう程に嫌な言い方だったけれど。


 目に涙を溜めた彼女に笑いかける。

「皆同じですよ」

 デパートから逃げ延びたマンションでも、殆ど話さなかった彼女とようやく話ができた。硬さが抜けたその雰囲気に、私は安堵する。

 しばらく黙りこくっていた彼女が、ようやく顔をあげた。

「……髪、隔離明けたら整えてあげる」

 えっと私が目をみはると、彼女はぷいと横を向いてしまった。

 もしかして、今のは彼女なりの感謝の言葉だったのだろうか。

「それじゃあね、海音」

 背を向ける彼女に、私は慌ててお礼を言う。

「ありがとうございます、瑠璃さん」

 彼女はひらりと手を振って、足早に去ってしまった。

 残された私は、すとんと、ベッドに腰掛ける。


 ゆっくりと、前に進んでいる。駐屯地に保護されてすぐの食事中に感じた肌寒い空虚感は、僅かに薄れている。正確には、それぞれ、薄れるように努力しているのだ。

 それは数通の手紙からも感じられたことだった。

 手元のそれを撫ぜ、私はきゅっと唇を結んだ。

 

 そこから取りこぼされた人達は、いったいどうなってしまうのだろう。

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