実行
「失礼します! 八嶋先生に用があって来ました!」
この瞬間は、いつでもドキドキする。チラッとこちらを見て仕事に戻る先生、自分が呼ばれたんじゃなければ見もしない先生。
「はい、どうしたの進藤くん」
「あの、図書室の当番のことで、相談があるんですがいいですか?」
みんなで話し合った結果、味方になってほしいのは八嶋先生だと意見が一致した。ただ、八嶋先生は六年の担任だ。職員室に訪ねていっても不自然じゃないのは、図書委員の僕だけ。やるしかなかった。
「うん、ちょっと待ってね」
八嶋先生は僕の顔をじっと見てから机に戻り、開いていたファイルやノートを閉じて引き出しにしまう。その向こう側から担任の冷たい視線を感じるけど、気づかないふりをした。
「はい、お待たせしました。ついてきて」
「えっ、あ、失礼しました!」
てっきり、この前の小さい部屋に行くものだと思っていたのに、八嶋先生は職員室を出て歩いていく。僕はあわててあいさつして戸を閉め、後ろを追いかけた。先生の手には、いつの間にか鍵が握られていて、カチャカチャ揺れている。見慣れた図書室の鍵ではない。なんだか不安になってくる。
「ここなら誰も来ないし、来たらすぐ分かるから」
八嶋先生が開けたのは、図工室だった。たしかに、勝手に使えない部屋だし廊下も見える。
「で、なんだっけ?」
「あ、あの、図書委員の」
「本当に?」
体が、ビクッと揺れる。恐る恐る、八嶋先生の顔を見る。僕をまっすぐ見ているけど、怒ってる顔ではない。少し、ほほえんでいるように見える。
「いいから、言ってごらん」
「は、はい……」
怖い。いつも意見を言うときも、こんな気持ちになったことなんてないのに。これから僕が言うことに、作戦の成功がかかっている。そう思うと、首のあたりがヒヤッとした。
「実は、みんなで話し合ったんですけど」
「うん」
「八嶋先生に、お願いがあって」
「うん、なに?」
なぜか僕は、ウサギのことを思い出していた。
僕が何を言っても、とにかく聞いてくれる感じ。怒る気満々だったり、適当に聞き流したりしなくて、でも厳しいことも言ってくれる感じ。ウサギと八嶋先生は、雰囲気が似ている。
目の前の八嶋先生が、フカフカのウサギに思えてきた。あれよりは少し小柄な、メスのウサギ。毛の色は、いつも着ているカーディガンのベージュ。
一気に緊張がゆるんだ。
「八嶋先生に、僕たちの味方になってほしいんです!」
「うん、どういうこと?」
真剣だけど、優しい。やっぱり似ている。
「うちのクラスの目標のことで、電話がきてると思うんですけど」
「うん」
「今日、親の代表が来るって聞きました」
「うん」
ごまかさない。こんなところも。
「僕たちの意見も聞いてみるように、先生から言ってもらえませんか?」
「なるほど、そういうことね」
八嶋先生は少し考えている。
「下校時間ギリギリだけど、何人残れるの?」
「今、みんなに声かけてますけど、少なくても十二人残れます」
「学級委員も?」
「はい」
「すごいねえ、きみたち」
ほほえむ空気も、やっぱりウサギに似ている。さっきまでの緊張はふっとんで、僕は、すごくリラックスできていた。
「二つ、質問があります」
よし、ここが大事だ。気合いを入れる。
「はい!」
「なぜ進藤くんが来たの? 損な役回りでしょう」
「それは、八嶋先生に相談しても不自然じゃないのは、図書委員の僕だけだったからです」
「そう、いじめではないね?」
「はい、違います」
そんなことを心配してくれてるとは思わなかった。なんだか、少し泣きたくなる。
「なら良し。それと、なんで私に味方になってほしかったの?」
「僕たちのクラスで『問題』があったとき、解決のために動いてくれてるのは八嶋先生だって、親から聞きました」
「そう」
時計を見て、先生が立ち上がる。そろそろ親たちが来る時間だ。
「じゃあ、残れる人たちで、教室で待ってなさい。呼びに行くから」
「はい! よろしくお願いします!」
僕はダッシュしたい気持ちを押さえて、早足で教室に戻った。
「トモ、一日でずいぶんいい顔になったじゃないか」
僕の前には、いつもの巨大な白ウサギ。
「やりとげたね!」
「うん」
余計な説明は必要なかった。説明しようとしても、いっぱいすぎて言葉がまとまらない。ウサギのおなかにダイブして、フカフカの毛に顔をうずめる。
下校時間の二十分前、約束通り八嶋先生が呼びに来てくれた。教室には、十八人が残っていた。
ぞろぞろと校長室に入っていくと、校長先生も担任も、親たちも驚いた顔をした。でも、僕も驚いた。お父さんが来ていた。家に帰ってから聞いたら、男性もいた方が押しが強くなる、と言っていた。そういうものらしい。
あとは八嶋先生の上手なリードのおかげで、担任の謝罪とクラス目標の変更を勝ち取った。目的を達成した僕たちが帰ったあとも、話し合いはしばらく続いていたようだった。
「明日から全部良くなる、ってわけではないってお父さんが言ってたし、またいろいろあるのかもしれないけど……やってみてよかったよ」
早番の仕事が終わってすぐに来てくれたお父さん。昨日も今日も、僕とお父さんの好物を用意して待っていてくれたお母さん。それに八嶋先生。嫌いな大人もいるけど、頼りになる大人もいる。それが分かった。
僕は、子供の頼りになる大人になりたい。
「トモなら、きっとなれるさ」
大丈夫、大丈夫。
ウサギの声に、いろんな人の声が重なって聞こえた。僕自身の声も、そこにあった。




