後悔
十月に入った。新月の後、少しずつ太くなってきた月が、もうすぐまた半月になる。十月二日は、旧暦九月九日。「上弦の月」だ。
僕が月に行った日の「下弦の月」とは逆に、左半分が暗い。あの日は、眠れずにいる間に昇ってきたけど、今回は逆に沈んでいく。
この月がまた下弦の月になると、僕の月に行ける日々は終わる。ウサギとの日々も、あと半月。
――「もう帰る!」
大の字に寝転がったまま、僕は叫んだ。今すべり落ちてきたクレーターの縁から、ウサギがのぞき込んでいるのが見える。
「トモ! 大丈夫かい!」
「うるさい! 帰る! 地球に帰っ……」
後悔したときには遅かった。降りてこようとするウサギとバックの宇宙は、僕の部屋の天井に切り替わっていた――
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
思えば今日の僕は、月に行く前から不機嫌だった。僕がいちばん嫌いな「子供」という言葉を、最悪な形で投げつけられたから。
原因は、やっぱりというか、担任。
みんなで話し合って決めた十月のクラス目標を「却下!」の一言で切り捨てたのだ。
当然、僕らは抗議した。みんなでアイディアを出しあって、一時間かけて決めたのに。学級委員をはじめ、僕や千葉くん、他にも数人が口々に意見した。その時に担任が言ったんだ。
「いくら話し合ったって、子供の考えでは足りないってことがよく分かりました。これからは、目標は先生が決めます」
あぜんとするしかなかった。女子が何人か泣き出した。学級委員も立ち尽くすなか、黒板に書かれた目標は「人の和を大切にしましょう」。
つまり、余計な意見は言うな、空気を読め。いつもの担任の口癖どおりの意味だと、誰もが分かった。この人に何を言っても無駄なんだ。教室の空気が暗く重くなっていくのを、本当にあの人は気づいていないのだろうか。
千葉くんやクラスのみんなとグチでも言い合いたかったけど、こんな日に限って図書室の当番だった。僕はしぶしぶ、本当にしぶしぶ教室を出た。そのモヤモヤを抱えたまま月に行き、ウサギにぶつけたんだ。
――「そっか、それは悔しかっただろう?」
おなかに飛び込んだ僕をモシャモシャとなでながら、ウサギは話を聞いてくれた。
「ちなみに、みんなで決めた目標は何だったんだい?」
「『なんでも話し合う仲のよいクラス』だった」
「素晴らしいじゃないか! いいメンバーが集まってるね!」
そう言われれば、僕が知っている限り、いじめは起きていないと思う。僕や千葉くんみたいに浮く存在でも、特に無視されたりはしていない。今まで思ったこともなかったけど。
「みんなが心から『いいクラス』だと思えていれば、本当にいいクラスになれるものさ」
「じゃあ、今の状況、ヤバくない?」
帰りに会ったクラスの人たちに聞いたところによると、僕が抜けたあとの教室は担任への悪口と「もう学校に来たくない」の大合唱だったらしい。学級委員の二人も「委員を辞めたい」と言っているそうだ。
「担任に言っても無駄だし、雰囲気は暗くなるし、最悪」
「そうだねー。じゃあ、トモはどうする?」
「どうするって……あきらめて三月まで耐えるよ。仕方ないもん」
本当は、そんなの嫌だ。今すぐ担任を代えてほしい。それが無理なら、なんとか謝らせたい。僕の言葉を聞いたのか心を読んだのか、ウサギの次の言葉が僕をざわつかせた。
「トモも、まだまだ子供だね」
僕は反射的に、ウサギのおなかから離れた。ウサギは驚くわけでもなく、耳をかきながら僕を見おろしている。
「やれることがあるのに、仕方ないなんて言ってあきらめるのは、大人じゃないよ。子供だ」
ウサギはいつも通りの表情で言う。皮肉でも嫌味でもない。本当のことだ。ウサギは正しいことを言ってる。
「結果がどうなるかは分からないけど、今思ってることをやってみたらどうだい?」
分かってる。その通りだ。このまま三月まで耐えるなんて、本当に地獄だ。僕は行かなくてもいいって言ってくれる親がいるけど、みんなはきっと違うだろう。暗い気持ちで、重い足取りで学校へ向かう朝。最悪だ。
だけど。
頭では分かってるのに、僕の心が逆らってる。
大変じゃないか。
今度こそ、クラスで浮くぞ。
本格的に問題児童になりたいのか?
「トモ、きみは子供だ」
顔を上げる。ウサギは、僕をまっすぐ見ている。
「残念だけど、大人にはかなわないこともある」
焦点が合わない目で、ウサギを見る。ウサギの輪郭が、宇宙にとけて見える。
「だけど、子供には子供の力がある。一人じゃ足りないなら、力を合わせるんだ。味方になってくれる大人を探せ。巻き込むんだ」
少しずつ、目の焦点が合ってくる。
「トモ、きみは子供だ。大人っぽくても、まだまだ子供だ。それを自覚しないと失敗するよ」
分かってる。分かってる。同級生より大人っぽくても、僕は子供だ。まだ十歳だ。大人にはかなわないことだらけだ。だけど、だけど。
「うるさい!」
僕はくるりと後ろを向き、走り出した。クレーターの縁をよじ登り、すべり落ちた。ウサギが追ってきて、僕を助けようとして――
「……僕は、子供だ」
天井を見上げて、僕はつぶやく。大人って言われると嬉しかった。大人扱いされたかった。だけど、僕は子供だ。まだまだ足りないところが、いっぱいあるんだ。
枕元の時計をつかんで、時間を確認する。あと十分、月にいられたはずだった。貴重な十分。取り返しはつかない。
「失敗したあとが、大事なんだ……」
この十分を、必ず意味のあるものにしてみせる。
僕は明日、もう一歩大人に近づくんだ。




