遭遇と予感
「もう私のことは放っておいて!」
穏やかな昼の時間を打ち崩すような悲壮に満ちた声が降ってきたかと思えば、1人の女の子が私と佳月の前を走って行く。彼女ははこちらに気づくことなく顔を俯かせたまま目の前を通り過ぎて行った。
「な、なに……?」
突然の出来事に硬直するが、一瞬だけ見えた女の子の顔にはっと我に返る。一瞬過ぎて確かではないが、通り過ぎて行った女の子にはとても見覚えがあるような気がしたのだ。しかし、そう思っても確認する間はなく、なかなかのスピードで駆けて行った女の子はもう後ろ姿さえ見えなくなっていた。足が速い。
「雛子……!」
一方で数秒開けて、女の子に「放っておいて」と言われた男の子が息も絶え絶えになりながら私たちの前で立ち止まった。膝に手をついて肩で息をする彼は悲痛そうに顔をゆがめるが、彼女に拒絶されたためかもう追いかけるのをやめたらしい。「くそっ」と悪態を吐くその青年の顔にも私は酷くおぼえがあった。この世界の知り合いとしても――――前世の知識としても。
「……兎塚くん?」
恐る恐る名前を呼ぶと、彼は膝に手をついたままびくりと肩を揺らしてこちらに視線を向けた。長い灰色の前髪の合間から藍色の瞳だけがこちらに向けられる。
「君は……」
彼はそこで漸く私たちがここにいることに気づいたらしかった。私の姿を認めた途端、端正な顔を驚きの色に染めて――――けれど次の瞬間にはきゅっと眉間にしわを寄せてこちらを睨みつけた。
「なに? なんか用? じろじろ見られて気分悪いんだけど」
それはもう実に不機嫌極まりないと言った声色だった。あまりの変わりように私は頬がひきつる。相変わらずだなあ、と思いながらも、この態度は間違いなく兎塚くんだと思った。
兎塚晴。同い年で、私と同様初等部からの持ち上がり組だ。もっとも、ずっと同じ学校に通っていた割にそこまで話したことはないけれど、面識だけはかなり昔からあった。なぜなら彼は――――私と同じ立場にいる人物、すなわち「檻人」の一人だからだ。そしてさらに言えば、サクオリに登場していた人物でもある。
高圧的な態度で私を見下す兎塚くんは、どこか嘲るように笑った。
「はっ。一宮は相変わらず不景気そうな顔だね、見ているこっちまで辛気臭くなりそう」
「と、兎塚くんもなんていうか、相変わらずだね?」
「うるさい」
不愉快極まりないといった顔をこちらに向けてくる彼は、別に私が嫌い、というわけではない。と思う。気が強く口も悪い彼は私に限らずだれに対してもこういう態度をとる。悪い人ではないと思うのだけれど、言わずもがな私は苦手なタイプだった。
「あ。そ、そうださっきの女の子なんだけど」
そこでふと、私は彼がここにいる理由を思い出して口を開いた。先ほど私たちの目の前を通り過ぎて行った少女も、私の見間違えでなければサクオリに登場していた人物だったと思うのだ。この世界での面識はないけれど。しかし私の問いは兎塚くんにしてみれば地雷だったらしい。彼は不愉快に歪んだ顔をさらに歪めて私を睨みつけた。
「何、盗み聞きしてたの? サイテー」
「し、してないよ! 二人がここで喧嘩しだしたから……!」
「喧嘩なんかしてない!!」
今にも噛みつかんばかりに私の方へと身を乗り出した兎塚くんの勢いに押されて思わず一歩後退する。これはかなり怒っているみたいだ。兎塚くんは確かに気の強い性格だけれど、ここまでキレるのは珍しい。どうしよう、と狼狽えていると私の背後にひっそり控えていた佳月が私を庇うように前に出た。顔にはいつもの隙のない笑みが浮かんでいる。兎塚くんは前に出た佳月の姿に目を眇めた。
「君、噂の……」
「初めまして、佳月と申します」
佳月の柔らかな物腰にに兎塚くんの怒気がわずかに削がれる。というよりも、関心が私への怒りから佳月のほうへと移ったようだ。物珍しそうに佳月の相貌をじろじろと眺めると、眉間に皺を寄せたまま佳月の瞳をジッと見つめた。
「へえ、本当に金色だ」
瞳を眺めたまま兎塚くんはぼそりと、「うちのジジイどもが見たら発狂しそうな色だ」と呟いて笑う。口は悪いもののその声色には金色の瞳に対する嫌悪感はないようだった。しばらく品定めするように佳月と見つめあっていたが、やがて興味が薄れたのか視線を外して、後ろにいる私を見た。
「君のせいで僕の貴重な時間を無駄にした」
「ええー……」
ふん、と鼻を鳴らす兎塚くんに苦笑する。これって私のせいなのだろうかと思いつつも、せっかく収まった怒りを再び爆発させたくないので反論するのはやめておいた。兎塚くんは私から視線を逸らし踵を返すと、そのまま何も言わずに校舎の方へと歩き出す。
「い、一体何だったんだろうね?」
突然現れ去っていた二人の人物に、私は佳月と顔を見合わせた。
兎塚晴の原作での役割は、ヒロインの良き相談相手であり親友だ。彼は、世界の滅亡を企てる佳月に立ち向かう「雨無 結」を精神的に支えた人間である。初めこそ気の強い性格からヒロインにも冷たい態度を取るが、彼女とともに戦いに身を投じる中で彼女の心の強さと覚悟を知り、次第に協力するようになる――――という感じだ。前世ではツンデレキャラとして中々の人気を誇っていたキャラだったように思う。
しかしこの世界における彼の性格はまだいまいちつかめていない。というのも、つかめるほど話したことがなく、先ほどの会話も本当に久々のものだったのだ。
「ねえ、凜、ちょっといいかしら?」
授業が終わって放課後、帰り支度をする私にりいちゃんが近づいてきた。兎塚くんのことを考えてばかりだった私は一瞬どきりとする。そうだった、兎塚くんだけでなくりいちゃんの問題もまだ解決してないんだった。彼女について情報を集めようと思っていた昼休みも、結局私の話ばかりしてしまって彼女について多くを知ることはできなかったことを思い出す。私は内心の動揺を隠して、どこかウキウキした様子の彼女に首をかしげた。
「ど、どうしたの?」
「あのね、今日これから、ちょっと街に出かけない?」
街に?
りいちゃんの言葉に私の動揺はすこーんとどこかへすっ飛んでいく。思いがけない誘いすぎて何も言えないままりいちゃんをまじまじと見つめていると、「やっぱり、いきなりすぎるかしら」と少し照れた様子でりいちゃんが目を伏せた。私は慌てて席から立ち上がった。
「そ、そんなことない! 行きたい!!」
前のめりでそう答えると、りいちゃんは私の勢いに若干驚いた顔をしつつもすぐに顔を綻ばせた。
りいちゃんとのお出かけ。魅力的なお誘いに私も自然と頬が緩んでいくのを感じた。これはチャンスだと思った。昼休みにはりいちゃんについてほとんど知ることができなかったけれど、これでもう少し彼女について知ることができるかもしれない、と。
それに何より純粋に、女の子の友達と放課後に遊びに出かけるというシチュエーションに私は胸の高鳴りを押さえられなかった。悲しいかな、己の性格や立場が災いして今までそういった学生らしいことをまるでしたことがないのだ。
「それで、行先なんだけれど……」
「凜様」
と、私が浮かれまくっているところに、背後から聞きなれた声がかかった。何かを言いかけていたりいちゃんは口を閉じて、目をぱちくりさせながら私の後ろを見る。りいちゃんにつられて私も後ろを振り返った。
「……佳月、それに椿くんまで!」
「ああ、今日は一緒に帰れそうだったから迎えにきたんだが――――そちらは?」
すぐ後ろには佳月と椿くんが立っていた。鞄を持った二人は私を迎えにきてくれたらしい。二人は私に笑みを見せた後で、ちらりとりいちゃんの方に視線を向ける。それを見て、ああ、そうだ、と私は思い出した。私の頭の中ではもう何度もりいちゃんと佳月たちが会ってるイメージだったのだけれど、実際は佳月が入学式の時に一瞬会っただけで、椿くんに至っては初対面なのだ。
「ええっと、こちらは……」
「初めまして、彼女のクラスメイトの凜よ。りいちゃんって呼んでもらえると嬉しいわ」
私が紹介しようとする前に、一歩前へと進み出たりいちゃんが二人に向かってにこやかに自己紹介をした。それに対して椿くんは「ああ、君が」と得心したようにうなずいた。
「凜から話はきいている。よろしく、如月椿だ」
「佳月です。どうぞ、よろしくお願いします」
りいちゃんが二人と交互に握手を交わす。その姿を見て、私はなんだか不思議な感情が胸中に生まれた。
「凜」と「佳月」と「椿」。
こうして高校生になった三人が言葉を交わす姿は、原作では決して見られなかったものだ。私も「一宮凜」だけれど、見た目で言えば彼女の方がより原作の「凜」に近い。そんな、「凜」に瓜二つの彼女が佳月たちの目の前に立ち、言葉を交わしている。物語において複雑かつ重要な三人がこうして共にいる姿を見るとなんだか心がざわざわした。それは別に、不安とかそういうものではないと思う。佳月と話したことでりいちゃんと初めて会った時のような不安はなくなっていた。けれどそれでもいざ三人をそろって目にしてみると、何とも言えない感情が胸の中を渦巻いた。この気持ちは何なのだろう。
「ちょっと凜、聞いてるの?」
不意に、私の考えを止めるようにりいちゃんが私の顔をぐいっとのぞき込んできた。
「え? あ、ごめん。何の話?」
「だから、この後出かける話よ」
ああそうだった、と私は考え事を慌てて隅に追いやった。ぼーっとしていた私にどこか心配そうな視線を向けてくる佳月に「心配しないで」という意味を込めて笑う。私は佳月と椿くんに対して口を開いた。
「あのね、二人とも。今日はりいちゃんと街で遊んで帰ろうかな、と思ってて」
「二人でか?」
「うん。だめ、かな?」
「せっかく迎えにきてもらって申し訳ないんだけど」と言いながら椿くんを伺う。椿くんは何か思案するように私の顔を見つめた。放課後二人以外と遊んで帰りたいなんて言うのは初めてのことだから、驚いているのかもしれない。椿くんは数秒私の顔を見た後で、次いで佳月と目を合わせた。椿くんの視線を受け取った佳月はこくりと一つ頷く。佳月が口を開いた。
「ダメではありませんが、やはり二人きりというのも心配ですし、俺たちも同行させていただいてよろしいですか?」
佳月の申し出にりいちゃんが緩く首を傾げた。
「ふうん、随分過保護なのね」
「気を悪くしないでくれ。君を信用していないというより、こいつが目を離したら何をしでかすかわからなくて不安というだけなんだ」
流れるように椿くんに酷いことを言われているが、いつものことなので気にしない。未だに信用されていない事実に打ちのめされてなんかいない。そしてそれはそれとしても、二人がついてきてくれるというのは大変心強いことでもあった。やっぱりまだりいちゃんと二人きりだと緊張してしまうし、昼間のように結局彼女について聞き出せないまま終わってしまうことだけは避けたい。
佳月と椿くんの言葉にりいちゃんはほんの少し考えるように間を置いた。そして「まあ、凜にも凜の立場があるものね」と納得したようにうなずく。
「凜がそれでいいなら、私は構わないわ」
不意に向けられた三人の視線に、私も慌てて頷いた。
「わ、私も大丈夫。それにええっと、人数が多い方が楽しいしね」
「能天気」
「あいた」
なぜかぴん、と椿くんに軽く人差し指で額を突かれた。痛い。
こうして四人である意味で複雑な組み合わせの四人で街に下りることがきまったのだった。
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活動報告に今後について記載しています。よろしければお目通しください。