④
全てを話し終えると、漆喰さんは「……指示もできるのか。凄い力だな」と、ぽつりと呟いてから立ち上がった。
慣れた手付きでジャケットのポケットから数珠を取り出す。
「話してくれてありがとう。状況は理解した。神様が浄化されたのは間違いないと思うが、念のため団地の隅々まで確認してくる。階さんはその間、身支度と帰る用意をしておいてほしい」
私が頷くと、漆喰さんは素早く部屋を出て行った。ガコン、と重い扉が閉まる音が無機質な空間に響く。
「ふぅ……とりあえず、これで良かったのかな。白狐様、ありがとうね」
目に見えない白狐様に声をかける。
あの夢で見た、四本の尻尾を持つ高貴なお狐様。私に憑いているのは、彼で間違いないだろう。
「あんなに可愛いのに、男運を食べちゃうなんて……」
どうにかならないかなぁ、と思いつつ、ぐっと背伸びをして立ち上がる。
夢で見たあの泥人形。
人の心ない行いによって、あんな姿にまで落ちてしまうなんて。ある意味で人間は、神様よりも残酷で強い力を持っているのかもしれない。
「うちの神社は毎日ちゃんとお祀りしていたから、大丈夫だよね。今度帰ったらしっかり手を合わせよう」
そのときは、泥人形になってしまったあの神様のことも一緒に祈ろう。私にできるのは、それくらいのことだから。
神様については白狐様のおかげもあり、一通りの気持ちの整理がついた。
「あともう一つは……あの宗教団体……」
けれど、これだけは私一人では整理しきれない。
ふぅ、と重いため息が漏れる。
「あー、もう! うにゃうにゃ迷っていても仕方ないっ。着替えて顔を洗って、朝ごはんを食べよう。そうしよう!」
今は大人しく漆喰さんの指示に従い、出発の準備を始めることにした。
──それから二十分ほどして、漆喰さんが戻ってきた。
私は身支度を整え、荷物の片付けも済ませて、持参したフルーツ缶を食べ終えたところだった。
「相変わらず、事故物件で清々しく朝飯を食えるメンタルは凄いな。俺には無理だ」
「面と向かって言われると、逆に自信がつきそうです」
「その調子で頼む……団地を見回ってきたが、ここに巣食っていた『神様』の気配はどこにもなかった。仕事完遂だ。お疲れ様」
「そうですか……。それは良かったです。あの、私が見た夢の内容は、現実に起きたことと合致していますか?」
私の問いに、漆喰さんは長い睫毛を伏せて「あっている」と短く答えた。
その言葉を聞いて、胸に燻っていたことを口に出そうと決めた。
漆喰さんのプライベートはともかく、私自身にも関わりがあるかもしれないあの宗教団体から、目を背け続けることはできない。
朝の冷気がまだ残る部屋で、漆喰さんに切り出した。
「じゃあ、聞きたいことがもう一つ。あの宗教団体っていうのは──『健照教』ですか?」
その名を口にした瞬間、漆喰さんの視線が鋭く私を射抜いた。彼は手をかざして、私を制した。
「階さん。気になるだろうが、その件については今は触れないでほしい。もう少ししたら……あと数件、事故物件に宿泊して実績を積んでくれたら、すべて話せると思う」
はぐらかす様子もなく、私を真っ直ぐに見据える漆喰さんの言葉に、嘘は感じられなかった。
本来ならここで引き下がるべきなのだろう。けれど、もどかしさが勝ってしまい、黙っていることができなかった。
ぐっと拳に力を込める。
「私、漆喰さんが何のために事故物件を取り扱い、除霊に関わっているのか……その本当の目的は分かりません。でも、悪いことではないと思うし、そもそも私が言い出したことですから。漆喰さんにそう言われたら、待つしかありません」
「階さん……」
漆喰さんの表情に、物憂げな迷いが浮かぶ。
「それでも、聞いてほしいことが一つだけあります。ずっと言えなかったことがあるんです。実は──」
「待ってくれ」
「漆喰さんっ!」
再びの制止に、思わず身を乗り出した。吐き出せない言葉が苦い澱となって喉に広がる。
「せっかく話そうとしてくれているのに、腰を折ってすまない。実はこの後、外せない用事があるんだ。それに、ここで聞くより、ちゃんと落ち着ける場所で向き合いたい」
漆喰さんは、あくまで冷静だった。
私の言葉を聞き流そうとしているわけではない。その真摯な対応に、私は体の力を抜いて冷たい床に視線を落とした。
「……確かに、そうですね」
「続きは必ず聞く。家で話そう。ここの鍵の返却や報告も済ませなきゃならないし、まずはここを出よう」
ぽん、と肩に手が置かれた。
顔を上げると、申し訳なさそうに漆喰さんが私を見つめていた。
オリーブグリーンの瞳は、まるでアンティークドールのように、どこか儚げな光を湛えていた。




