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【後編】黒髪の王子

 お父様から伝えられた、とても信じられない内容に、私は声を上げて泣いた。

 人生で一番つらい日だと思い込んでいたあの日よりも、苦しくて悲しくて。

 涙の出し過ぎで干からびるのではないかと思うほどに、泣いた。



 お父様が言うには、アルド城は一年ほど前より、不穏な空気に包まれていたらしい。

 シード殿下の父君であり王であるハンス様は決断力がなく、貴族のいいように操られていたようで、税は跳ね上がり、王だというのに貴族の顔色ばかりうかがうようになっていたようで。


 第一王子フレッド殿下と、第三王子シード殿下は、そんな王を何度もいさめようとしていたけれど結局叶わず、噂によると三ヶ月ほど前から王の命により、城内の地下に幽閉されていたらしい。



 そんななか、民衆の不満はついに爆発した。

 民たちは決起し、鍬や鎌を捨て武器を手にとり、アルド城へと進軍した。

 やがて、王国軍からも裏切り者が現れるようになり、王都に革命軍がたどり着いてからわずか三日で城は焼け落ちたのだという。


 そして、地下に幽閉されていたフレッド殿下とシード殿下は、城と共に焼けて、お亡くなりになった、とお父様から聞かされた。



「革命軍が来るから、だからお父様は王都を捨てて、この村に来たのですか!? これは、王と王子への裏切りですよ!」

 忠義心のないお父様に怒りが沸き、バンと机を叩き、睨みつけていく。

 自分で立てた音なのに、頭に響いてずきんと痛んだ。


「裏切り、か。わたしだって、最初はあそこにいるつもりだったさ。だが、あの方に頼まれてしまっては、断るわけにいかなくて……」

 お父様は奥歯を噛みしめて、視線を落としていく。


「あの方ってどなたです?」

 問い詰めるように言うと、お父様は顔を歪められ、視線を落としていった。

 きっと、相当に言いづらい名前なのだろう。


 ただ、伯爵であるお父様に命令を下すことができる地位にある者は、そう多くない。

 その中で、お父様に頼み事をしそうな人物は、と私は考え、びくりと身体を震わせた。



「まさか……」

 たどり着いた結論に私は両手を口元に当てていく。

 そして、拒絶をしたい想いで一杯になり、震えながら何度も首を横に振った。

 呼吸は浅く、荒くなり、目にも涙がにじんできていた。



「ああ。シード殿下だ」

 お父様は、ぐ、と強く目をつむり悔しげな声を発していった。


「どうして、なんで殿下が……」


「殿下は“ミラを連れて、王都の噂も聞こえないほど遠い村へ行け”と仰せになられた。あの方は革命の気配に気づき、お前との婚約を破棄したんだよ」


 お父様からの説明は、頭では理解できても、心ではそうはいかなかった。

 残酷すぎる真実に私の身体は力を失い、がたりとその場に崩れ落ちた。



「それなら、私もシード様のお側で、妻として死にたかった……」

 上半身を地面に張り付けて泣きわめくと、お父様は私を起こして強く抱きしめてくる。


「殿下はお前を守ろうとしたんだ。死にたいなんて、言ってはいけないよ。強く生き抜くんだ、ミラ。お前はあの方が最も愛した者なのだから」



――・――・――・――・――・――・――


 それから一年の時がたち、私は左手の薬指に指輪をはめていた。

 もちろん、キールさんからのもの……ではなく、お慕いするシード殿下から頂いたものだ。


 何度かキールさんは私に想いを伝えてくれたけれど、そのたびに私は丁重にお断りをした。

 私の心はいつもシード殿下と共にあって、他の誰かと結婚をする気には到底なれなかったのだ。


 婚約指輪をする私を見て、事情を知らない村人たちは、いつもいぶかしげに首をかしげていた。

 指輪はあれど相手はどこにも見当たらないし、一年近くも結婚をする気配すら感じさせないのだから、当然のことだろう。



 結婚適齢期の真っただ中にいながら一人でいる私を、お父様はいつも心配していたけれど、ありがたいことに『結婚しろ』と言ってきたことは一度たりともなかった。

 きっとお父様も私の気持ちを理解してくれているのだと思う。


 私はこのままあの方を想いながら独りで生き、独りのまま死んでいくのだ。



「良い天気」

 にこりと微笑みながら、呟く。

 春の風が柔らかく通り過ぎて、私のほおを撫でていく。

 手元からは木イチゴのいい香りが漂って来ていた。


 私は、木イチゴのジャムを作ろうと、一人で山に来ていたのだ。

 ここにはもう何度もかよっているし、道だって完璧に把握している。


「これだけあれば十分かな」

 そう言って、木イチゴが大量に入ったとうのカゴを振る。

 たくさんできたら、お隣さんにも分けてあげよう、なんて思いながら笑った。


 ふと手元を見ると、宝石のついたシルバーの指輪が太陽の光を集めて輝いている。

 ゆらゆらと手を動かすと、光は七色に変わっていった。


「シード殿下……」

 私は愛しい方の名を静かに呼び、そっと指輪をなぞって、天を仰ぐ。

 枝葉の隙間からは青く澄んだ空が見えた。


 昔、殿下と一緒に見た空と、何も変わらない。

 ふと目を閉じてみて、私はホッと息をついた。


 大丈夫、今もまぶたの裏にちゃんと思い出せる。

 あの方の声も、匂いも、ぬくもりも、力強さも全部。

 何度だって、私はこうやってシード様に会える。



「さ、家に帰ろう」

 私は、うーんと背伸びをして、ならされた道のあるほうへと向かった。


「ん、あれ?」

 いつもは風のそよぐ音と鳥の歌う声しか聞こえないのに、遠くから、ひづめの音が聞こえてくる。

 たまにやってくる交易商の人かな、と視線を送ると、馬が一頭とその背に乗った若い男の人が見えた。


 その男の人は旅人なのだろうか。

 カーキ色をしたマントをまとっており、黒い髪をしている。

 首周りには藍色のマフラーが巻かれているせいで、顔はよく見えない。


 まさか、ね。

 ちょっと似ている、なんて思う自分に笑う。

 死んだ人が生き返ることができたら、医者なんていらないでしょうに。


 だけど、馬が近づいてくるごとに私の目がどんどんと見開かれていくのが自分でもわかった。


 あまりの驚きに、手に持ったカゴは抜け落ち、ぽとんと音を立てて地面に着地した。


「幽……霊?」

 信じられない光景に、私はぼんやりと立ち尽くすことしかできない。


 だけど幽霊でもいい。

 貴方様が迎えに来てくださるのなら、喜んでそちら側に行こう。

 そんなふうに思った。



 軽快なテンポで走ってきた馬は私の目の前で止まり、息を荒げながらブルブルと鳴いて、つばを飛ばしてくる。


 それが首にかかって、ひんやりと冷たさを感じる。

 もしかして、幽霊じゃ、ない……?



 馬から降りた男の人も、『信じられない』とでも言うように、私と同じく目を丸くしている。

 そして、地面を強く蹴り、無言のまま私の元に両手を伸ばしてきた。


「やっと見つけた……」

 私の身体はあっという間にその人の腕にくるまれていた。

 服を通して、彼の温もりが伝わってくる。


 耳元で聞こえてくる懐かしい声も、柔らかな香りも、胸がいっぱいになるこの温度も、全部幻だとは思えなかった。


「シード殿、下……? 本当に貴方様なのですか」

 震える声で恐る恐る尋ねると、彼は私を抱きしめる力を強めてきて。


「ああ。僕だよ。国中を駆けまわって、ずっとミラを探してた」

 何度も何度も思い描いたその声に涙がこみ上げてきて、私は殿下の背中へ手を回していく。

 きゅ、と抱きしめると、殿下は私の首元に顔をうずめてこられ、さらに身体を密着させてこられた。


 シード様は、生きてらっしゃった。

 これは夢でも幻でも、ないんだ。


 確かな温もりが嬉しくて、私は殿下の胸の中で声をあげて泣いた。

 


「ミラ。嘘だったとはいえ、僕はあんなにひどいことを言ったのに、まだつけていてくれたのかい?」

 涙がおさまって来た私に、殿下はそうおっしゃりながら、私の左手をそっと取ってきて。

 親指で愛おしそうに薬指を撫でてきた。


「はい。私の心は、殿下と共にありますから」

 にこりと微笑み、涙を右手でぬぐうと、殿下は今にも泣き出しそうな顔で笑った。


「ですが、殿下。どうしてここに? アルド城は陥落して、殿下はその時地下に幽閉されていた、と……」


 第一王子と第三王子は城と共に焼けてしまった。

 私は噂で、そう聞いていたのに。


 

「確かに城は焼けて、父と第二王子は捕らえられ、斬首刑になった。だけど、城が陥落する直前、革命軍の者がこう条件を付けてきたんだ。王をいさめようとしてきた貴方がたを殺したくはない。“ひっそりと生きるなら見逃してやる”と。それで僕らは、その条件を飲んだってわけ」


 シード様は、自嘲するように笑う。

 恐らく、王族の誇りを自ら捨てたことを、情けなく思われてらっしゃるのかもしれない。


 シード様は深く息をついて、再び口を開かれた。


「本来なら僕らみたいな者たちは死ぬべきなんだろうし、王族として最期まで生きるべきなんだろうとは思った。だけど僕は……ミラにもう一度会いたくて、その声が聞きたくて、君の肌に触れたくて仕方なくて」


 どこか甘さを含んだ声と、優しく髪を撫でてくるその手に、自然と顔が熱くなっていくのを感じる。

 恥ずかしさのあまり、顔を見られなくなってしまい、無言のまま逃げるようにうつむいた。



「フレッド兄さんも似たようなもんでね。僕らは王族であることを放棄し、罪滅ぼしに身近な者の幸せを作ることにしたんだ。ま、都合がいいずるい考えだって自分でもわかってる。君からも軽蔑されてしまいそうだね」


 シード様はどこか困ったような顔で、微笑まれる。

 私も同じような顔をして笑った。


「いえ。軽蔑されるのは私の方です。民でありながら、王族などどうでも良いと思ってしまい、生きて貴方様がここに来て下さったことを心から嬉しく思ってしまうのですから」


「ありがとう」

 ほっとしたようにシード様は息をつかれ「ごめん。これ、ちょっともらうよ」と、私の指から指輪を抜き去っていって。

 私はわけもわからず首を傾げた。



「ミラ」

 シード様は、途端に真剣な表情へと変わり、私の名を呼んでくださった。


「はい」

 ずっと愛しく思っていた強くまっすぐな瞳に見つめられて、私の胸はどくんと跳ねていく。


「僕からあんなことを言い渡した後で、こんなことを言うのは違うとわかっている。でも……」

 シード様は私の前で、すっと膝まづいて右手を差し出してきて。



「僕は君を誰よりも愛している。共に城内を走り回っていた子どもの頃からずっと。君の笑顔と優しさに僕は何度救われたかわからない」


 目の前の光景がとても信じられなくて、私は思わず胸の前で両手を組んでしまう。

 驚いてそわそわとする私と対照的に、シード様は私から視線を外すことはなく、まっすぐに見つめてこられた。


「婚約破棄を伝えた後も、君を忘れたことなど、一度もなかった。僕はもう王子じゃないし、地位もないけど、君一人を守るくらいの甲斐性はあるし、必ず幸せにしてみせるから……」


 静かになった空間に、風のそよぐ音だけが聞こえてくる。

 どくん、どくんと自分の胸が高鳴るのを感じる。


 そして、シード様は深く息を吸われ、はっきりとこうおっしゃった。


「僕と結婚してくれ、ミラ」


 途端、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ち、乾いた地面を濡らした。

 二度と届かないと思っていた想いがやっと届いて、繋がったんだ。


 嬉しさのあまり泣いたのは、前回のプロポーズ以来のことだった。



「喜んで、お受けいたします」

 しゃくり上げながら返事をすると、シード様は優しく微笑んでくださり、指輪をまた私の左薬指にはめてくださった。

 立ちあがったシード様は照れたように笑い、私たちは見つめ合う。


「ミラ」

 シード様は私の名を強く呼んで、両手で私の顔を包みこむように触れてきて。

 奪うように荒々しく唇を重ねてこられる。

 どこか優しさを含んだ、あまりにも情熱的なキスに頭がクラクラとした。


 それから私たちは失った時間を埋めるように、ずっと言えなかった言葉を紡ぐように、何度も何度も唇を重ねていく。


 次から次へと沸き上がってくる幸せに、このまま身体が溶けてしまうんじゃないか。

 そんなおかしなことを思って、私は笑った。


――・――・――・――・――・――・――


 シード様は元王子だったにも関わらず、それを微塵も感じさせないほどに人当たりがよく、すぐに村人たちから受け入れられた。

 はじめは『いけすかない』と言っていた村人も、いつの間にやらお酒を酌み交わすほどの仲になっていて。

 後から来たのに私よりもよっぽど村に馴染んでいるのが、なんだか可笑しかった。



 今日はそんな私たちの結婚式の日だ。

 村にある小さな教会の外で、シード様とお父様、そして私の三人は入場の時を待っていた。


「そういやさ、ミラ。いい加減やめてくれない?」

 漆黒のタキシードをまとうシード様が、呆れたようなお声でそうおっしゃられる。

 するりとした黒の衣装が、黒髪によくお似合いになっていて、何度見ても見惚れてしまう。


「シード様。やめるって、何をでしょうか?」


「それ」


「それ?」

 何の事だかわからずに、口元へ手をやって考え込むと、シード様は小さく息を吐いた。


「シード“様”ってヤツと敬語。僕はもう王子じゃないし、これから君の夫になるわけでさ。そもそも、未だに様付けで呼んでるのミラだけなんだけど」



「ですが、私にとってシード様はお慕い申し上げている方でして」


 村人たちのようにシード様を呼び捨てで呼んだり、よくいるカップルのように『好き』とか『楽しい!』とか言いたいなと思うことはある。

 けれど、長年続けてきた癖を取っ払うのは、なかなか勇気がいることで。


 言いたいけど言えない、というのを誤魔化していくと、シード様はうんざりしたご様子を見せられたあと、なぜか、にやりと微笑まれた。


「あっそ。じゃあ僕にも考えがあるから、覚悟しといてよね」


「覚悟?」

 一体何をどう覚悟すればいいのだろう、と考えていると、シスターに声をかけられ、シード様が先に教会へと入っていく。

 続いて、私とお父様も呼ばれ、私たちも教会の扉へと向かった。

 扉が開くと、中はずらりと木の椅子が連なり、真っ白な花で飾りつけられている。

 笑顔の村人たちが拍手で迎えてくれて、「お幸せに」「綺麗……」「おめでとう」と、口々に祝福の言葉をくれた。


 視線の先には大きなステンドグラスと十字架があり、愛しいシード様がいらっしゃって、シード様は私のことをゆったりとした足取りでお迎えに来て下さる。


 続いて、全員で聖歌を歌い、司祭様が誓いの言葉を述べられ、指輪の交換をしていく。

 そして、いよいよこの時がやって来た。


「誓いのキスを」

 司祭様の声にどきりとする。


 人前でキスをするのは恥ずかしい。

 だからこそ、私はシード様に一瞬だけで済ませてくれるようにお願いしていたのだ。


 純白のヴェールをシード様は両手で上げていき、私の顔を見てにやりと笑われた。

「ねぇ、ミラ。さっきの覚えてる?」


「え?」

 何を、と聞く間もなく、私は言葉を失った。

 シード様は私の頭と腰に手を当てて抱き寄せてきて、人前だというのに強く唇を押しあててきたのだ。


 胸を押して無理やり剥がそうとするけれど、力が強すぎて全くと言っていいほどに離れてくれない。


 誓いのキスとは思えないほどの長さに、やがては冷やかしの指笛が鳴り出し、なぜか拍手まで鳴りはじめた。


「ちょっと、シードっ!」

 胸を押して突き放し、顔を熱くした私が叱りつけるように言うと、シードはいたずらっぽく笑った。


「ミラ、大好きだ。もう二度と離したりなんかしないから」

 そう言って、彼は私の手をひいて微かに光が差し込んでいる扉の方へと駆けていく。


 シードは地位も名誉もなくしてしまったけれど、何も変わらない。

 明るくていたずら好きで優しくて、私がずっと好きだったシードのまま。


「ねぇシードっ、大好き!」

 扉を出た途端、彼のほおにキスをすると、シードは照れたように笑う。


 光が降り注ぐ青空の下、私たちは手を繋いで顔を見合わせていく。

 そして、噴き出すように明るい笑い声をあげていったのだった。



fin.



『愛され令嬢と婚約破棄』いかがでしたでしょうか。

もしも、楽しんでいただけていましたら、こんなに嬉しいことはありません。

ここまで読んでくださいまして、本当にありがとうございました!

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