番外編 十余年前の大失態(若神子side)
2001年11月21日 水曜日 23時46分
首都の地下数キロに大規模な空間があった。それは人類に悪影響を及ぼす神霊の中でも特に強力なものを閉じ込めておく為の場所、通称を神性封印地下神殿と言った。
「バッッッカじゃねぇのこの無能! 小学……いや、幼稚園からやり直せ!」
その神聖な空間に似合わない怒鳴り声を上げる男が居た。背が低く童顔で小学生のように見えるその男は#若神子__わかみこ__#家の現当主である。
「じ、自分は保育園でした」
そう返した男は黒いスーツに身を包み、サングラスをかけていた。
神殿の管理をしている者達は皆特殊なサングラスやメガネをかけている、神性や育ち過ぎた怪異などの上位存在を肉眼で見れば心身に異常をきたすからだ。
「じゃあ死ね!」
怒鳴っている部下の返答に苛立ち、乱暴に吐き捨てる。その瞳は赤く、肌と髪は白い。若神子家の直系男児として、人造神として、優秀な証拠だ。
「俺当主様初めて見た……」
「めっちゃちっさいな……」
「十歳くらいか……?」
新人が怒鳴られる様子を眺める彼の先輩達がヒソヒソと話している身長も、優秀である証拠。強大過ぎる神力は人間の姿形を神性に近付けてしまう。
人々の信仰を集める為に人間ではないと一目で察するほどの美貌を持たされ、俗世に穢されないようにと肉体の成長を止められた。彼は──雪成は小学生のような見た目だが現在四十四歳である。
成長が止まるほど神力の影響を強く受けるのは若神子の歴史を漁っても例は少ない、数代ぶりの逸材なのだ。
「今十歳くらいっつった奴出てこい殺してやる!」
しかし、性格に難あり。
「い、いえ、俺はただ……若く見えると」
「俺には褒め言葉になんねぇんだよ射殺すぞ! 見下してんじゃねぇ若造が! んっだよクソがっ……その無駄クソ長い足切ればクソデカい態度と身長も縮むか? あぁ?」
「パワハラもそこまでにしとけよ親父ぃ、そのうち刺されるぞ」
雪成の頭が胸の下辺りに来る高身長の青年が雪成の肩を掴む。彼の顔立ちは雪成によく似ていて、彼を成長させたようだ。髪や肌は雪成と同じで白く、赤みは薄いものの瞳も同じ色だ。
「黙れ酒も飲めねぇクソガキが!」
「あっあ~残念、雪風さん口からじゃないけど飲まされちゃったことあるんだなこれが。ぃやーあん時は酔った酔った、直腸は吸収早いわ……痛っ!?」
青年──雪風は雪成に爪先を踏みつけられて飛び上がった。
「ほんっと陰険だなぁショタジジイ! とっとと隠居しちまえよ!」
「うるせぇクソガキてめぇみてぇな色情狂に継がせてまるか! こっち来んな変態が感染る!」
「はー! ぁー! そうですかそういうこと言いますかじゃーもう一人で何十年でもお勤めしたらいいんじゃないですかさようなら!」
踵を返して帰ろうとした雪風は雪成の部下達に止められる。
「お待ちください坊っちゃん! 坊ちゃんの協力が必要なんです!」
「当主様の罵詈雑言なんていつもの事じゃないですか!」
「うるせぇ! 数学の宿題明後日までなんだよ!」
「じゃあもう私共でその宿題やりますから! どうか……!」
「神話級の神霊が逃げたんです、暴れたら学校なんてなくなりますよ!」
元々本気で帰る気でもなかった雪風は足を止め、再び雪成の隣に並んだ。彼らは先程までの険悪さをどこかへやって、足並みを揃えて神殿の奥へと入っていった。
「何で逃がしたんだクソ野郎」
「はい、新人が清掃後に鍵を閉め忘れ、その後冷却装置のメンテナンス中に解凍されてしまい、逃げ出したものと思われます」
雪成の質問に答える部下は壁中に描かれた神霊封印のための呪術模様を見ないように視線を下げている。
「どこ行ったかは分かってんだな?」
「九州方面で反応が消失、生体に取り憑いたものと思われます」
雪風の質問に答えたのは彼の側近、身の回りの世話もしている使用人だ。
「で、逃げたのはどいつなんだよ」
「それで逃げた神性は何なんだ?」
雪成と雪風は共に同じ質問をし、同時に巨大な門の前に立った。この門には結界が張られているのだが、それは破られかけている。内側で巨大な何かが暴れるドンドンという音が響き、施設全体が揺れている。
「……他の神霊の封印もヒビがいってしまい、神力が漏れ出していて私共では確認できません」
「しかしここは北欧神話から顕現した神霊を封印している区域ですので、北欧神話の神霊の中でも知名度が高く未だに神力を人間から得られるモノ……そして結界に残る巨大な歯型、爪の跡、見当はつきます」
部下と使用人は共にサングラスの下で目を閉じ、結界の内側で動き回る神霊を見ないようにしていた。雪成と雪風はその真逆、目を見開いて聞き慣れない発音で呪文を唱え、結界を修復していた。
数分後、扉を内側から叩く音が止み、静寂が訪れた。
「冷却装置、温度下げとけ。さて、次は? どこ食い破りやがった」
「最短距離で地上に出ましたので、この真上です」
雪成とその部下はスタスタと次の作業場へと向かうが、雪風は自分の体を抱き締めるようにして歩みを止め、使用人にもたれかかった。
「ここ寒いなぁ……な、あっためて?」
「カイロを用意してあります、どうぞ」
「さっすが俺の腹心、あったかーい……」
「温かいコーヒーもありますよ」
使用人は次々に懐からカイロや保温性の高い水筒などを出している。雪成はそれをじとっとした目で睨み、自身の部下に視線を移してため息をついた。
「お前ホント気が利かねぇよな……」
雪成は部下と歩幅を合わせるために小走りになっている。本来なら部下が合わせるべきだろうに、雪成は足が遅いと言われるのを嫌がりちょこちょこと走っていた。
「次はここだな……おい、雪風?」
普通の人間には肉眼で捉えることすら不可能な結界。雪成は不可視の結界をその赤い瞳で見つめ、補修が必要な箇所を見つけた。
「なんか甘いもん食いたくなってきた」
「チョコクッキーです」
「せんきゅー……あまいうまいあまい」
そして息子の様子を見て舌打ちをし、一人で修復を始めた。
「やべっ……親父がツッコミを放棄した。持ってて」
「わざとふざけてたんですね……」
雪風はチョコクッキーの袋を使用人に渡し、慌てて雪成の隣に並んだ。
また数分で補修は終わり、雪風のおふざけを挟んだりもしながら地下神殿の結界の修復は完了、二人は別々の車に乗り違う道で九州に向かった。
「甘いもん食うとしょっぱいもん食べたくなるよな」
「塩せんべいです」
「もぉ好きー!」
数分差で二人は神霊の反応が消失した大分県に到着した。せんべいを食べている雪風の足を雪成が蹴ったりはしたが、彼らはそれでも仕事に集中している。
「ここまで綺麗に痕跡が消えてるとなると……取り憑いたんじゃなく転生……もどきだな」
「受精卵に取り憑くやつ?」
「そうそう、受精卵の段階じゃ肉体と霊体の接着が完璧じゃねぇからな、一人の中に魂が二つ……ってアレだ」
雪成はそう言いながら地図を取り出させ、現在地の半径五百メートルを赤い円で囲った。
「この範囲の家に住んでる奴を全員マーク、来年の九月頃に子供が産まれたらそいつを監視しろ」
「ラブホとか青姦スポットとかも調べろよ。そりゃ童貞処女のウブ親父には考えつかないだろうから仕方ねぇけど……」
雪成は無言で雪風の腹に拳を沈ませた。
「痛て……つーかもうメガホン持ってさぁ、今日ヤった人電話番号教えてくださいっつってさぁ」
雪成は無言で雪風にボディーブローをかました。
「雪風様、逃げ出した神霊ですが……私の予想通りでした」
結界と冷却装置の効き目が回復し、完全な封印状態となった神霊をモニター出来るようになった神殿の者達から連絡を受けた使用人が顔を上げる。
「北欧神話の終焉に暴れ回ったとされる、フェンリル、そしてヨルムンガンドです」
「何でよりによってそんなもん逃がすんだよ ! クソっ……本気で世界が滅びかねないぞ」
「転生もどきやるんなら平気だって、少なくとも十年以上はちょっと強い人間として過ごさなきゃなんねぇ。問題は人格を破壊されかねない取り憑かれた子供が可哀想ってとこか」
人間の受精卵に取り憑き、やがて生まれくる生命に便乗するつもりのフェンリルとヨルムンガンドは雪成達には見つけられない。たとえ彼らを妊娠した者を見つけようとも、本来その身体を一人で使うはずだった元々の子供の魂に隠れて見えなくなるのだ。
「……よし、じゃあ……中学に上がるまでは放置だ。そこまで育ったらもう元の人格なんて残ってねぇだろうしな、遠慮なくそいつごと封印できる」
「エッグいねぇ、何の罪もない子供を衰弱死させる宣言なんてさ」
「凶暴な神霊だからな、さぞかし欲望や本能に忠実でサイコバイオレンスなクソガキに育つだろうよ」
雪風は「それはお前だ」との本音を笑顔の下に隠し、乗ってきた車に再び乗り込んだ。
「……いいか、神霊が逃げたタイミングで受精した子供、二人以上必ず見つけろよ」
雪成は最後にもう一度部下に念を押し、車に乗り込んだ。二台の車はそれぞれ別の道を通り、大分にも九州にも束の間の静寂が戻ったのだった。




