人脈の有用性を知る
アンの歌が終わると消えていたライトが煌々と輝き始める。アンは伸びをして一息ついてからステージを飛び下り、僕の元へ走ってきた。
『どうでしたかユウさん! 自分の感覚ではかなり上手く歌えていたと思うんです!』
「ぁ、う、うん……すごかったよ、なんか……別世界に来たみたいだった」
両手を握られぶんぶんと振り回されながらも何とか感想を言い終えると、アンは僕の手を離して抱き着いてきた。
「ちょ、ちょっと……」
『とても嬉しいです……! ユウさん、別世界なんて……そんな褒め言葉、感激しちゃいます!』
事実ここが異世界だからこそ思い付いた言葉だが、世辞ではない。アンは本当に歌が上手かった。
「前より上手くなってたな、しっかり頑張ってるみたいでよかった」
『あなたにはどう褒められたって嬉しくありません』
抱き着くのをやめて僕の前に立ったアンはぷいっと顔を背け、それをされたヴェーンは呆れたように深く息を吐いた。
「アンさん……ヴェーンさんは本当にアンさんのこと考えてくれてるみたいですよ?」
『その変態の目的は私の目です! 私の目をえぐり取りたいだけなんです、ユウさんももっと離れないと目を奪われてしまいますよ』
「え……目……?」
えぐり取るとはえぐり取るということだろうか。僕の目が僕から分離してしまうということだろうか。ダメだ、混乱して理解すらできない。
「……まぁえぐりたくないって言ったら嘘になるけどよ。ユウだっけ? そいつのは要らねぇ、凡庸だ」
「ど、どういうことですか」
「俺の趣味の一つが眼球蒐集なんだよ。だからってそんなに警戒するな、新鮮な死体か再生能力のある魔物から貰ってるだけだ、生きてる人間を襲うのは我慢してる」
警戒を解く要素が微塵もない。その我慢とやらがいつまで続くかは分からない、僕が次に彼の手の届く距離に近付いた瞬間に我慢の限界を迎えるかもしれない。
「……ま、元気そうだし帰るわ。なんかあったら気軽に言えよ、アン嬢。サンセベリア嬢もお前の歌を聞きたがってたぜ」
『聞きたいならコンサート来ればって言っておいてください、もちろんチケットを買って』
「サンセベリア嬢が引きこもりって知っててそんなこと言う……ま、いいわ、じゃあな」
アンが親戚付き合いが悪く、他人以外には無愛想な人間だと確信する。しかしそれを矯正する力も理由も僕にはない。
「……サンセベリアジョーって?」
『…………私の姉です』
そういえば姉が何人も居ると言っていたな。
『私はまだやらなければいけないことがあるので……ユウさん、どうします?』
「え? うーん……邪魔だろうし一旦帰るよ、またね。あ、街の地図ってどこかに売ってたりしない?」
「えっと……会場に置かれている物があるので、お渡しします」
アンに渡された街の地図を片手にコンサート会場を後にした。外はもう暗くなっている。制限時間は明日の昼までだが、細かくセーブしておくべきだ。この先何か失敗すれば一昨日まで戻らなければならない、それは面倒臭い。
「……ぁ、ここ宿屋かな」
まだ明るいため点ってはいないが、ネオン看板にはホテルの文字がある。前に泊まった宿とは違い、高級ホテルのような造りだ。ロビーの中心に飾られた大きな花瓶の脇に赤い光を……セーブポイントを見つけた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊になられますか?」
「ぁ、い、いえ……いや、そうなんですけど、一緒に泊まる予定の……えと、友人が居て、まだ……来てなくて、受付は友人が来てからでもいいですか?」
「ええ、もちろん、そちらでお待ちください」
ふかふかのソファの座り心地を数分楽しみ、花瓶の花を愛でるフリをして赤い光に鍵を挿した。
「…………ジャック居ないと分かんないなぁ」
ジャックが「セーブ中……」と言ってくれるからセーブ出来たかどうか分かる、僕はセーブ完了を感知出来ない。
「……出来たと、思おう」
再びソファに座ってしばらく待ち、困り顔を作って受付に話しかけた。
「あの、もう約束の時間かなり過ぎてて……でも、まだで……何かあったのかもしれないので探しに行きます」
「それは心配ですね……ええ、いってらっしゃいませ。部屋を取っておきますか?」
「ぁ、えっと、その……もし何かあったらすっぽかしちゃうかもですし、やめておきます、ありがとうございました」
ジャックは僕がここに居ると知らない。適当で下手な言い訳をしてホテルを出ようとすると、入ってきた人とぶつかった。
「痛た……ご、ごめんなさい……」
俯いていたから相手の顎に思い切り頭突きをしてしまった。尻もちをついた僕が頭を摩りながら視線を上げれば、金属板に包まれた手があった。
「大丈夫か、ユウ」
「ジャック! え? なんでここが……」
「部屋で話そう」
困惑する僕を放ってジャックは受付を済ませ、ルームキーを受け取った。こんなに高そうなホテルに泊まって大丈夫なのだろうかと思いながら後を追い、部屋に入った。
「広い、綺麗……! ベッドおっきい!」
思わず飛び込みそうになり、踏みとどまる。ベッドに飛び込むのはシャワーを浴びて綺麗な服に着替えてからだ。
「二人用だからな」
「ホントだ、枕ふたつある」
ベッド脇の棚にはユリの花を型どったランプがあり、そのランプの横には見慣れないシール束があった。円の中に幾何学模様が描かれた不思議なシールだ。
「ジャック、何これ」
「避妊用の魔術陣だ、腹に貼って使うらしい」
僕はシール束をそっと元の場所に戻した。
「何でそんなのあるの……」
「そういうホテルだからだ」
「………………らぶ?」
ジャックは何も言わず、頷いた。
「僕のバカっ……」
「気にするな、ユウはまだ中学生なんだ、見分けがつかなくても仕方ない。派手で見つけやすかったんだよな」
セーブポイントがあったということは女神は僕がここに来る可能性も考えていたということか? 女神も勘違いしていた、なんてオチではないだろう。
「ジャックぅ……僕女の子に見えないよね? ジャックの中身女の子だと思ったのかなぁ……なんでフロントさん何も言ってくれないんだよぉ、友達とラブホで待ち合わせる訳ないじゃん……」
「ユウ、もういい、もう気にするな」
「うぅ……気にするよ。それでジャック……なんでここ分かったの?」
「ユウの位置が分かるんだ」
「……GPS?」
「こっちの世界には人工衛星なんかない」
「人工衛星関係あるの?」
「GPSとはそもそも人工衛星から照射した電波の受信速度から受信者の位置を測るシステムで──」
「ぁー、よく分かんない、説明いいや。この後何すればいいか教えて」
GPSの説明を切り上げさせ、魔王に近付いて具体的にどうするのかを聞いた。
「ユウは魔樹に紋章を刻む方をやりたいんだな?」
魔王を倒せる気はしないし、王と呼ばれる者を倒せばこの街は混乱に包まれるだろう。殺人者になるのも犯罪者になるのもアンに失望されるのも嫌だ。
「樹液を売るついでに調べてきたが、魔王城……いや、魔王宅だな、あの見た目は……うん、魔王宅の中庭に巨大な魔樹が生えている。それに彫るんだが……それには魔王宅に忍び込まなければならない」
垣根や柵を越えるだけでは中庭には入れない、家の中を通らなければならないらしい。
「そんな……泥棒みたいな……やだなぁ、どっちにしろ犯罪者だよ」
住居侵入に……庭の木に紋章を彫るなら器物損壊とかもあるのかな? まさか異世界で犯罪者になるとは。
「……そうだ、アンさんのリハーサルでヴェーンって人に会ったんだけど、その人は魔王直属の地上げ屋なんだって」
「ふむ……魔王の不在日を知っているかもな、それとなく聞き出せればいいが」
「じゃあ明日はアンさんにヴェーンさんに会えないか聞いてみようか」
「そうだな、今日はもう寝ろ」
「シャワーとご飯と歯磨き終わったらね」
自分が食べないからなのか機械らしくもなく失念していたらしい。表情なんて全く分からないのに恥ずかしそうに見えるジャックを置いて、僕はシャワーに向かった。




