第十六話 エーヴェルト家の家訓その五、夢と幸せは己の手で
「今日の昼食は熊鍋で濃かったから、手延べ冷麦にしよう」
「今更だが、この店って麺類のメニューが多いよな…」
「いいところだろう?」
「あぁー、うん」
「……お主らの会話を聞いていると、こっちの頭が痛くなってくるような気がするわい」
いつもの食事処にやってきた僕たちは、定員さんに案内されていつもの定位置となっているテーブルへ座ることとなった。ここのテーブルは周りのテーブルから少し離れた場所にある開けたところなので、おぼんが飛んできても大丈夫になっている。友人やカブトムシがちょっと吹っ飛んでも、周りのお客さんに迷惑をかけないので、安心して食事がとれるのだ。
とりあえずメニューを眺め、食べたい晩ご飯を選んでおく。妹の分も選んでおいて、待つ時間を減らせるように効率的にしておこうかな。ルーも熊鍋を満足そうに食べていたから、僕と同じメニューの方がいいだろうか。さっぱりといえば、やっぱり麺類だよね。
「いや、せめて聖王都でぐらい麺類以外を食べさせてやれ。これから住むにしても、真っ白いご飯を伝説級扱いする妹じゃぞ。もっと食の文化にふれさせておくべきじゃ」
「俺も人間の国に来てよかったと思うのは、飯がうまいことと健康にいいことだからな。とりあえず俺は、さっぱり系の魚料理でも食うかな」
「ふむ、なるほど。じゃあ友人、妹の分もよろしく頼む」
僕は基本麺類があれば問題ないけど、味覚の好みは人それぞれだからな。色々食べてみるべきだろう。僕の故郷は山や森が隣接している場所にあるから、山や森の幸は取れるけど、海の幸はなかなか取れなかった。聖王都も近くに海がなくて、東の国から取り寄せているけど、ここには魔導列車があるおかげで新鮮なうちに届けてくれるんだよね。列車のおかげで、聖王都の食文化も発展したのだ。
「今更じゃが、魔族が健康を気にするのは何かがおかしい気もするがのぉ…」
「あぁー、身体は頑丈なんだけどな。こう書類仕事で目が痛くなったり、肩がこったり、脳筋共をちぎったり、おぼんを投げたり、頭痛が起こったり、身体の節々ににぶい痛みがあるような気がしたりして。だから健康グッズが傍にあると、それらが緩和されるような感じがして癒されるんだよな…」
「お主、健康グッズが癒しでいいのか」
そういえば、僕が友人の幸せそうな顔を見る時は、だいたいが最新鋭の健康の器具や情報を手に入れた時だった。
「健康か、僕も早寝早起きはいつも心がけているな」
「睡眠や食事は基本だよな」
「なんじゃ、このズレた健康優良児の集まりは。なるほど、これが類は友を呼ぶか」
「若い内から身体は大切にしなきゃ。そうだ、確か友人ってもう五十年ぐらい生きているんだっけ?」
「まぁな。人間ならじじいだが、魔族にとってはまだまだ若輩だよ」
「へぇー、何百年も生きるって僕には想像できないな。何百年かぁ……、魔族のみんなって普段は何をしているんだ?」
「あ、魔族がか?」
今日は友人の友人さんと話をしたからか、友人以外の魔族ってどういう人たちなのか少し気になった。僕にとっては、五十年でもすごく遠く感じてしまうのだ。なら、何百年も生きる魔族だと普段はどうしているのだろうか。
「ほぉー、魔族の様子か。余もそういえばそのあたりは詳しく知らぬな。ディアードからの話を聞いている限り、今まで余が思っていた魔族のイメージとはなんか違う様じゃからのぉ」
「俺らのイメージねぇ…」
「残虐性が高く、戦闘ばかりしていると思っておった。もっとも、余が目覚めるということは魔王がおるということじゃからの。勇者と魔王が揃えば、……普通なら戦いになって当然であろうからなぁー」
「聖剣、なんで僕を見ながら溜息を吐く」
店員さんがさっき持ってきてくれた蜂蜜をグイッと飲みながら、過去を思うようにたそがれるカブトムシ。だんだん蜂蜜を飲む姿に貫録がつきだしたように感じる。しかし、イザベルの言うとおり、僕が教科書で習った魔族もそんなイメージだったな。友人とも、最初は戦闘からだったし。
「あんまりイメージ的に間違ってはいないぞ。ただ魔族はこう、熱しやすく冷めにくいというか…」
「冷めにくいのか?」
「興味があることには、とことん熱中しやすいらしい。それも長い期間。寿命はあるから、時間の使い方がかなり雑なんだよな。俺らが戦闘部分に傾いているのも、興味を持てる分野が戦闘関係に多いからだろうと言われている」
逆に熱中していないことに関しては、結構適当な感じみたいだ。戦闘が好きな魔族は強さや戦うことを追求していくが、それ以外はあまり頓着しない。友人が魔族を脳筋というのは、このあたりも関係しているらしい。とにかく戦いたい欲求ばかりが先行して、それ以外は後回しにしている感じだろうか。みんながみんなそうではないらしいけど、魔族にはそういう傾向があるようだ。
「魔界はあまり文化レベルが高くないんだ。それに不便さを感じても、「まぁいいか」で現状を済ませてしまう大雑把さもあってな。俺たちは新しいものを作るのが苦手で、既存のものから考えるらしいって、前に魔族の学者が言っていたような気がする」
「なるほどの。つまり現状、魔族が興味を持てるものが戦闘ぐらいしかないという訳か。……他の魔族が何故おぼんに興味を持ってしまったのかの理由を、ようやく理解できた気がするわい」
先日、魔族の会議で『おぼんの刑』や『おぼん訓練法』の導入が本格的にされるようになったらしいと聞いた。そうか、魔族は今おぼんに嵌まっているのか。つまり、友人が流行の最先端になったということだ。聖剣であるイザベルが、魔族の現状に頭が痛そうにしていた。
「俺としては、魔界の文化レベルをなんとかしたいんだよな…。食事がうまくなれば、魔族も食事に興味を持ってくれるだろうし、便利さを知ればそれも考えてくれるだろうからな。それが今の戦闘主義な魔族たちの興味を他所に移せるんじゃないかと思っている」
「……戦闘以外の興味の幅を増やす。そういった意識改革の方法もあるという訳か…」
そう言った意味では、人間と魔族って仲良くできればお互いに発展していけそうな気がするな。人間が新しいものをどんどん考えて、時間があって熱中しやすい魔族が新しくできたものをどんどん効率良くしていく。当然難しいことだろうけどね。
「悪くはないが、しかし。今の魔族に人間の技術を渡すのは危険であろうな。人間に対して負の感情を持っている者に知識を渡せば、その感情に引っ張られた方向に進む可能性があるぞ」
「えっ、あぁー、そうか」
「そういう問題もある訳か」
イザベルからの真面目な指摘に、友人は難しそうな顔で考え込んだ。
「じゃあ、食事とか日用品とか健康グッズの文化レベルだけが上がってくれればそれでいいや」
「それでいいのか!?」
キリッとした友人の返答の後、久しぶりにカブトムシが宙を舞った。今日もエンペラーのおぼんは正確無比である。なるほど、さすがは興味のあること以外は基本頓着しないという魔族だ。わかりやすい。
「それでもまぁ、魔族が戦闘好きなのは変わらないだろうけどな。魔王が王として認められているのは、邪神の憑代としての魂を持っているらしい以外に強さも求められているからな」
「邪神……、あぁ勇者の絵本で昔見たような気がする。そういえば、僕もイザベルから神の憑代として作られた魂を持つ者って言われたな。なんだか似ているね」
「へぇー、聖剣を抜いた云々しか知らなかったが、勇者もそうなのか。……おっ、この魚うまいな」
「そうそう。うん、たくさん動いた後の食事は特においしいよね」
何気ない会話を楽しみながら、白身魚に大根おろしをつける友人と一緒に、運ばれた冷麦を僕もつるつるとすすっていった。
「すみません、お待たせしました。……あれ、イザベルさんは?」
「おかえり、ルー。大丈夫、今食べ始めたばかりだから」
「カブトムシはちょっとおぼんに吹っ飛ばされて、いつものようにそこら辺で転がっているだけだ。すぐに復活するから問題ないぞ」
「……それ、問題ないんですか?」
そんな風に雑談をしていたら、妹が食事処に到着した。お店の中にスーちゃんを連れて行くわけにはいかないため、途中で彼の晩御飯のお肉を買っておいて、お店の外で待ってもらっている。ちょっと寂しくないかな、とも思ったがスーちゃんは「どうぞどうぞ」と大変快く頭を下げて送り出してくれたようだ。気の良いくまである。
事前に注文を頼んでおいたおかげで、妹の魚料理は早めに届いた。ルーは魚料理を見た瞬間、口元を手で覆い、目をキラキラと輝かせる。「お魚です。川魚じゃない、伝説の海のお魚さんです」と目に薄らと涙を浮かべながら、感極まっているようだ。妹にとって、聖王都は伝説の宝庫であるらしい。
「魚で涙を流すなよ」
「すみません、なんだかつい。涙はここぞで流すための女の武器ですものね。気を付けます」
「いや、そういう意味で言った訳では決してないと思うぞ」
「あっ、おかえりイザベル」
「うむ、戻った。妹もよく来たの、お疲れじゃ」
「はいです。……本当に何事もなく復活しましたね」
帰ってきたカブトムシ。ちなみに、妹に涙についての知識を教えたのは僕の母だと知ると、二人とも遠い目をしながら納得していた。母さんのこと、二人には話したことがあっただろうか。
「あー、そういえば。今日の道中に時間があったから、妹からお前の故郷での話を聞いたんだった。その時にな」
「ふーん、そうなのか。僕も道中は、冒険者さんと組合や神殿のことについて話していたな。ヴァーラさんは森の警戒を進んでやってくれていたから、あまり会話はできなかったけど。いつも真面目だよね」
「その、兄さん。故郷での昔のことを勝手に話しちゃったんですけど…」
「えっ、うん?」
「……まぁ、それでこそお主じゃよな」
昔のことを思い出してみるが、特に二人に話しても問題ない内容だったと思う。前にも話した通り苦労したとは思うけど、僕はもう気にしていないし、僕の食べ物を取った人には請求書をちゃんと出した。当時は嫌な気分やムッとしたことはあったけど、最後は謝ってくれたし、それでいいんじゃないかな。
「そんなもんか。……ん? それにしては、大司教にはお前結構容赦がないよな。魔女式呪術をかけているぐらいだし」
「大司教は僕にとって大きな壁となって立ちはだかっている存在だからね。ノリノリで嫌味を言ってくるし、出張費をケチってくるし、経費はなかなか出してくれないし、定時に帰ろうとした時に仕事を言ってくるし、神殿の食堂の麺類の種類を減らしてご飯メニューを増やそうとしてくるし」
「すごいです。その大司教さん、権力で兄さんと対等に渡り合っているのです」
「地味にフェイルに効果的な攻め方じゃの。ある意味でこやつとの戦い方を心得ておる」
僕はしっかり働いているのに、大司教はここぞというところですごくいい笑顔で現れるのだ。普段は僕を見たらいきなりビクッと構えだしたり、突然技をかけてきたりするので、大変わかりやすい。僕だって怒る時は怒るし、理不尽なことをただ受け入れるのはおかしいと思う。神官は保証がちゃんとした夢の高給職なのだ。それを権力でねじ伏せるなんて許せないことである。
「権利や保障のいい高給職は、兄さんの小さい頃からの夢でしたからね」
「あぁ、安定した給金、保証も権利もさらに外聞きもいいなんて、これほど夢のような職は滅多にないさ」
「……余の常識では、夢ってもっとこう、キラキラした感じのはずなんじゃがなぁー」
「高給職について語っている時のこいつの目だけは、嬉しそうにキラキラしているぞ」
自分の夢について語っているのだから、目を輝かせるのは当然じゃないか。理想を実現させるために頑張ることは、別におかしいことでもないだろう。この職は僕の幼い頃からの夢だったんだから。
「まぁ、夢を持つことは悪いことではないしな。……少なくとも余は、お主の場合もうそれでいいかと思うようになったわい」
「俺が言うのもなんだが、お前はそれでいいのか?」
「いいかと聞かれれば、正直返答に困るがの。ただフェイルが神官以外の職に就いているのが、どうも想像しづらいというか。ぶっちゃけもう神官でよくない? と、こやつの性格に諦めがついてきたというか…」
「えっ、兄さんが神官以外の職にですか?」
イザベルと友人の話にルーも気になったようだ。そういえば、僕が勇者であることを知っているのは一人と一匹だけなんだよな。僕は勇者になる予定はないから、わざわざ伝えなくてもいいことではある。でも、ルーは秘密を誰かに言いふらすような子じゃないし、僕としては勇者であることを言っても特に問題はないような気がした。
言っても言わなくても、どちらになっても僕たち兄妹の何かが大きく変わる様にはあまり感じない。それでも前にイザベルに言われたが、勇者って魔族にとっては怨敵扱いなんだよね。人間が魔王を恐れるように。友人のように気にしない魔族さんもいるかもしれないけど、気にする人だっているだろう。そう考えたら、このまま伝えるのは難しいと感じてしまった。
『そのあたり友人たちはどう思う?』
『いきなり神託で聞いてくるなよ。相変わらず、自由だな…』
『まぁ、お主の考えもわからなくはない。悩んでいるのなら、今はまだ言わなくてもよくないか? ルクレツィアは聖王都でしばらく暮らすのじゃし、時間はある。急ぎではないのだから、ゆっくり考えたらよかろう』
『……それもそうかな。ルーなら受け入れてくれるだろうけど、もう少し考えてからの方がよさそうだね』
やっぱり困ったり悩んだりした時は、相談するのが一番だな。確かに今すぐに伝えないといけない訳じゃないし、焦っても仕方がないことだろう。
『お前って、そういうところはかなりあっさりしているよな。魔族の俺に聖剣を抜いたことをさらっと暴露するし、秘密を言って拒絶されたり、今までと反応が変わったりしたらとか思わねぇの?』
『ん? 友人やルーなら大丈夫だろう。二人をよく知っているのは、他でもない僕だ。僕自身が話しても問題ないと思わなかったら、まず話そうだなんて考えないよ』
『……それでも思っていた反応と違ったら、とか不安にならないところがある意味すげぇよ』
『まぁ、フェイルじゃしな。迷ったこと以外、基本自分で思ったことや感じたことを第一に考える、直感型の珍獣だからの』
神託越しでもわかるぐらい、友人の納得気味の声が聞こえた。これは褒められているのだろうか。自分で考えるのは当たり前のことじゃないか。いつも相談する訳にはいかないんだし。そんな会話に、友人は少し考え込むような様子を見せていたが、『こいつへの信用以前に、言ったら俺のメンタルの方が不安だ』でなんか深い頷きを感じられた。どうしたんだ。
とりあえず、妹には今日のところはぼかしておいた方がいいかな。
「イザベルと最初に出会った時、新しい仕事の勧誘をされたのが始まりだったんだ」
「えっ、その、イザベルさんからですか? 冒険者組合とかの?」
「ううん。えーと、一応宗教的なお誘いなのかな? 世界をつくり上げる的な」
「カ、カブトムシで世界を取る宗教…?」
「違うわいッ!?」
本日二度目の美しい軌跡を描いて宙を舞うカブトムシ。店員さんのこの素早い反応、お客さんの様子を常に把握するその姿。さすがはプロである。そして聖王都初心者の妹は、都会のおぼんは空を飛ぶことを覚えた。友人は口元を手で押さえながら、肩を震わせていた。何かにツボったらしい。
「えーと、ちなみにディアードさんとはどうやって友達に?」
「えっ」
「あぁ、友人と最初に出会った時はすごくいい笑顔で高笑いしながら現れてね。聖王都で力試しに来たところを、僕と戦闘になったんだ。昔は貴様とか俺様とか言っていたり、突然ポーズを取りながら難しい言葉や遠まわしな言い回しが好きだったりで、なかなか会話がかみ合わなかったんだ。でも、今は誰よりも会話ができる頼れる友達なんだ」
「お前は俺について説明する時、なんでメンタルを毎回抉って――その褒めたのに何故怒るんだ? みたいな顔をするなッ!? 妹はその慈愛に満ちた目を俺に向けるなァァッーー!!」
この日、聖王都初心者である妹はおぼんに聖戦があることを知った。友人も新おぼんの構えでカウンター技を駆使し、いいところまでいったがやはりまだ完成には遠かったらしい。相変わらず、気持ちよく飛んで行った。ふらふらしながら復活した友人は真剣な表情で、「聖王都のおぼん召喚申請を俺もするべきだろうか。せめて弾数を増やさなければ…」と呟いているのが印象的であった。
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「はぁー、影おぼんの術をカウンターでなんとか攻略できたと思ったら、まさか召喚魔法を応用したおぼん無限循環機構を確立してくるとは…。やつは空間すらも支配できるのか。いったいどれだけおぼんに執念を燃やしているんだよ…」
人のことは決して言えない魔王様は、愚痴を口に出しながら魔王城の自室に向けて歩を進めていた。温泉に入ってすっきりできたとはいえ、それでもだいぶ濃い一日であった。なんだかんだで初対面の相手と三人も出会ったのだ。凝った肩を回しながら、空間魔法で入れてきた天然温泉にでも入ろうと心に決める。
せっかく効能や効き目を考えて集めた温泉水である。ぜひ、心行くまで堪能したい。目を鋭く細め、顎に手を当てながら真面目な顔で廊下を歩く。そのあまりに真剣なその様子にすれ違う魔族たちは気後れし、魔王様のお考えを邪魔してはいけないと静かに頭を下げて去っていった。
本来なら魔王の行く手を止めるような相手はいない。そのため、彼は気づかなかった。何事もなくそのまま自室に着くはずであった足は、自分を呼び止める声に止まったのであった。
「随分と深刻そうな顔だね。何か問題でもあったのかい?」
「あぁ、天然温泉の露天風呂計画を考えているんだが、石造りか木造りのどちらにするべきかで問題があってな」
「……俺は、ディアードくんの頭の中が問題な気がするよ」
大変失礼なことを言われたが、基本敬われるか、振り回されるか、ぞんざいに扱われるかの三択であった魔王様のメンタルは、その程度ではなんとも思わなくなるぐらいには鍛えられていた。しかし、魔王である自分に対してこれほど気軽に話しかけてくる魔族がいただろうか。そこまで思い至り、ようやく自分の名前を呼ばれていたことにハッとし、顔を上げたのであった。
黒髪に赤い目の青年が、呆れた表情で肩を竦めている。思考している間も気配があることはわかっていたが、魔王様はようやく相手を認識した。魔族の中で自分の名前を呼び、魔王である自分に対してこんな表情を見せる相手など、見間違う訳がなかった。もともと明日会う予定であったため、今日会うことになるとは考えていなかったのだ。
「あ、あぁー。お久しぶりです」
「久しぶり。あと敬語」
「……そういう変なところで細かいのは、相変わらずで――だな」
「君は魔王だよ。けじめはつけなきゃ。公の場以外は、君が俺から敬語を使われるのは慣れない、って言われていなかったら、今からだって俺は君に敬語を使うよ?」
「俺が魔王になったのは五・六年前で、それまであなたが魔族のトップを務めていたんだ。俺にとっては魔王の仕事を教えてもらった育ての親みたいなものだしな」
「そっか。そういうディアードくんも、変なところで律義だと俺は思うけどね」
くすくすと楽しそうな笑い声をあげる相手に、魔王様は居た堪れなさそうに視線を彷徨わせる。彼とは明日会う心づもりでいたため、正直心の準備ができていなかった。彼のことは嫌いではないが、少々苦手なのだ。
魔王様にとって唯一頭が上がらない相手であり、しかも幼い頃から自分を知っている。物心がついた時には魔王城にいた彼にとって、親のような、兄弟のような、先生のような存在なのだ。今日の樹海探索も、明日のための気分転換の意味もあった。
「早く来ると知らせがあったら、準備をしていたんだが…」
「いいさ、勝手に来たのはこちらだ。盛大に歓迎されるより、城の皆やディアードくんの焦った顔が見られた方が俺としては楽しそうだと思っただけさ。隠居してから暇だったし、ちょっとした暇つぶしもかねてね。でもまぁ、挨拶は簡単にでもしておくべきかな。明日はちゃんとした挨拶をもう一回するけど」
この数年間、世界平和のために魔族たちとの話し合いを彼は進めてきた。それが成功するかの大きなカギは、間違いなく目の前の青年である。魔族にとって最も影響を与えるだろう人物は誰かを考えれば、自分と彼以外にいなかった。
「それじゃあ簡単にだけど、……現魔王ディアード様。この度は貴方様からの招集に応じ、参上いたしました。約束の期日を違えてしまい、まずは申し訳ありません」
「いや、ごほんっ。こちらこそ、ご足労感謝致します。……先代魔王様」
長い年月を生きる魔族にとって、五・六年の年月はそれほど長い期間ではない。それでも魔王様にとっては、随分と時間が経っていたように感じる。少なくとも彼と最後に別れた時と比べて、自分はかなり変わった様に思った。
言葉にすれば、友人ができただけだ。しかしたったそれだけのことが、自身の考え方や感じ方を変え、魔王として魔族の将来を見据え、健康生活やお茶などの趣味が増え、そしておぼんを知った。
まさか勇者のために世界平和を目指し、聖剣と食事を共にし、自分でも没頭できる趣味や宿敵を見つけることになるとは思っていなかった。魔王というか魔族として果たしていいのだろうか? と魔王様は今更なことを不意に思ってしまったが、本当に今更である。
それぞれが新しい出会いを迎えた日。ついに魔王様が魔王らしく威風堂々と、そして魔王らしくない世界平和を目指す日々が新たに始まったのであった。
妹編 ―終-