6.【朝】〜最初の綻び〜
【朝】
……結局、眠れなかった。
席へ座るなり、私はそのまま机へ突っ伏した。
冷たい天板が少しだけ気持ちいい。
このまま眠れたらどんなに幸せだろうか。
教室を見回せば、眠そうな顔をしているのは私だけじゃない。
「昨日、歴史が終わらなくてさ」
「俺なんか深夜アニメ三本見て終わってちまった」
「模試まで一週間とかハードモードすぎる……」
眠気の理由は、それぞれだった。
でも、私だけ眠れなかった理由を誰にも話せない。
「おはよう」
机の横からいつもの声が飛んでくる。
「また朝まで勉強か?」
「……まあ」
嘘ではない。
参考書は開いていた。
一ページも進まなかったけど。
「やっぱ、クラス一位はすげぇなあ」
晴人は感心したように言って、それから自分の鞄の中をゴソゴソと漁り始めた。
「ほら」
机の上へ置かれたのは、小さな紙パックだった。
「……コーヒー牛乳?」
「どーせ、今日も寝不足なんだろうと思って」
「……もしかして、子供扱いしてる?」
「ブラック飲んでる環とか想像つかないし」
「別に飲めるもん」
「じゃあ今度からブラック買ってくるな」
「……それはいらない」
「ほら、やっぱり」
晴人は満足そうに笑った。
なんだか少しだけ悔しい。
でも。
「……ありがとう」
そう言うと「どういたしまして」と晴人は照れた様子もなく親指を立てた。
……本当に変な人。
私は机の端へコーヒー牛乳を置き、小さく息を吐いた。
でも、少しだけ。
本当に少しだけ、頭の中が軽くなった気がした。
紙パックの冷たさが、指先に残る。
教室のチャイムが鳴ると、少ししてから担任が入ってきた。
「ホームルームを始める。……その前に連絡だ」
最前列の生徒にプリントの束が渡される。前の人は自分の分を一枚とって、後ろの人に束を渡す。
プリントには『学校見学会の案内』と書かれていた。
「来月から各高校の学校見学会が始まる。申し込みは今週中だから、希望者は忘れずに提出するように」
教室のあちこちで紙をめくる音が広がる。
「進学先は、パンフレットだけで決めるなよ」
担任は教室を見回しながら言った。
「実際に行って、自分の目で見て、自分で決めろ。それが一番大事だ」
私は手元の案内をぼんやり見つめる。
――自分の目で見て。
どうして、その発想がなかったんだろう。
私は三年間、新聞やネットの記事ばかりを読んできた。
それなのに、お父さんが残したものを、自分の目で確かめようとしたことは一度もなかった。
あの部屋は、お父さんを思い出す場所だった。
近づくだけで、胸の奥が痛くなった。
だから、無意識に避けていたのかもしれない。
でも、もしかしたら。
あの部屋には、まだ何か残っているのかもしれない。
私が見落としてきたものが。
放課後になったら、まっすぐ帰ろう。
そして、お父さんの部屋を自分のこの目で調べるんだ。




