第2話 僕は男です
「ここがあんたの新居よ!」
駅前から十分ほど歩いた住宅街の一角に、そのシェアハウスはあった。
三階建ての一軒家。洒落た外壁に、小さな庭。僕がイメージしていたシェアハウスよりずっと綺麗で、ずっと普通の家っぽかった。
「うわあ……綺麗な家ですね」
「でしょ? リフォームにお金かけたのよ。中も広いわよ、見てみなさい」
藤花姉さんに続いて家に入ると、広々としたリビングが目に飛び込んでくる。大きなソファ、四人掛けのテーブル、対面式のキッチン。共用スペースとは思えないほど清潔感があった。
「一階がリビング、キッチン、お風呂。二階と三階が個室ね。あんたの部屋は二階の突き当たり」
「住人って何人いるんですか?」
「三人。全員女の子よ」
「……はい?」
聞き間違いかな?
三人。全員。女の子。
「ちょ、ちょっと待ってください。それ聞いてないんですけど」
「あら、言ってなかったっけ?」
「言ってないです! 絶対言ってないですよ!」
珍しく声を張り上げた僕に、藤花姉さんは「まあまあ」と手を振った。
「大丈夫よ、皆いい子だから。それにあんたがいてくれた方が防犯上も安心なのよ。男手があるってだけで全然違うからね」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「大丈夫大丈夫。あんたの事はちゃんと話してあるから。名前とか、大学生って事とか」
「性別は……?」
「……」
「……言ってないんですね?」
「ノーコメント!」
藤花姉さんはにっと笑った。ビジネスで成功する人間の押しの強さを、僕はこの時まざまざと思い知った。
「ま、女三人の場所だから、向こうも当然女の子が来ると思ってるでしょうね」
「ますますダメじゃないですか!」
「百聞は一見にしかず! ほら、もうすぐ帰ってくる時間よ。どーんと構えてなさい!」
どーんと構えられる性格だったら、こんなに悩んでいない。
「……あの、やっぱり僕は──」
──ガチャ。
玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー……あれ、藤花さん来てるんですか?」
聞こえてきたのは、柔らかくて、ゆったりとした女の人の声だった。
「おかえりー、莉々華。いい所に帰ってきたわね、新しい住人紹介するわよ!」
「わあ、今日だったんですね! 楽しみにしてたんです~」
パタパタという軽い足音がリビングに近付いてくる。
──ドアが開いた。
「初めまし──」
現れたのは、穏やかな笑みを浮かべた女性だった。
ふわっとした栗色のセミロングの髪。柔らかい目元。ゆったりしたニットでも隠しきれない大きな胸──いや何でもない。とにかく全体的にほんわかした雰囲気のお姉さんだ。
その人は、僕を見た瞬間ぴたりと止まった。
「……あ」
蜂蜜を溶かしたような琥珀色の瞳が、ゆっくりと大きくなっていく。
まるで宝石店のショーケースに飾られた一点物のアクセサリーを見つけた時みたいな──いや、さしずめペットショップで運命の子犬を見つけた時みたいな──とにかく、目がキラッキラに輝いていった。
「可愛い……!」
「え」
「可愛い可愛い可愛い! ねえ藤花さん、この子が新しい住人さん!?」
「莉々華、落ち着いて。ほら、自己紹介は本人にさせてあげなさいな」
「あっ、ごめんなさい……! つい興奮しちゃって。私は花熊莉々華です。よろしくね?」
莉々華さんは両手を胸の前で握って、満面の笑みで僕を見ている。
なんだろう、この視線。好意的なのは分かるんだけど、何ていうか……猫がお気に入りのおもちゃを見つけた時の目に似ている。ちょっと怖い。
「あ、えっと……蘇羽鷹星那です。今日からお世話になり──」
「──ただいま帰りました」
僕の自己紹介を遮るように、再び玄関の扉が開いた。
今度の足音はさっきと全然違う。しとしとと、まるで雨粒が石畳に落ちるような、静かで上品な音。
「琴ちゃんもおかえりー」
リビングに現れたのは、息を呑むほど艶やかな黒髪の女の子だった。
重たい姫カット。白い肌。和を感じさせる佇まい。まるで日本人形がそのまま動き出したような──同年代とは思えない凛とした空気を纏っている。
その子は僕を見て、一瞬だけ目を見開いた。
それからゆっくりと、品定めするように僕の全身を上から下まで眺める。まるで掛け軸の真贋を鑑定する骨董品屋のような眼差しだった。
そして──
「……美しい」
ぽつりと、そう呟いた。
「あ、ありがとう……ございます……?」
どう反応していいか分からず語尾が疑問形になってしまう。「可愛い」は言われ慣れているけど、「美しい」は初めてだった。
「お初にお目にかかります。鈴鹿山琴と申します──あなたが、新しいお姉さまですね」
後で知ったことだが、彼女は藤花姉さんの遠縁にあたるお嬢様で、社会勉強のためにシェアハウスに預けられているらしい。つまり僕とは遠い遠い親戚ということになるが、会ったことは一度もない。
ところで。
「……お姉さま?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
「いや、あの。僕は──」
「──ただいまー……なに、集まってんの?」
三人目が帰ってきた。
聞き覚えのない声と一緒に、ドタドタと遠慮のない足音が廊下を近付いてくる。
「もしかして新しい子?」
リビングに飛び込んできたのは、金髪の女性だった。
無造作にかき上げたショートヘア。前髪の隙間から覗くアーモンド型の目が妙に色っぽい。シルバーのアクセサリー。耳にはいくつものピアス。
何人もの女の子を禁断の恋に落としてそうなかっこいいお姉さんが、ぶら下げていたコンビニの袋──中身は缶ビールが数本──をテーブルにドンと置いた。
獅子前澄夏。
二十四歳、アパレル店員。
僕を見たその反応は、他の二人とは少し違った。
「……ふーん」
澄夏さんは僕を一瞥すると、特に感想も述べずコンビニ袋からビールを取り出した。ぷしゅ、と気の抜けた音がリビングに響く。
──興味なさそうに見えたけど、傾けた缶ビールの向こうから、ちらちらとこっちを窺っているのが分かった。
「さあ、全員揃ったわね! じゃあ星那くん、改めて自己紹介どうぞ!」
藤花姉さんがパンと手を叩く。
三人の視線が僕に集まる。莉々華さんのキラキラした目。琴さんの真っ直ぐな瞳。澄夏さんの素っ気ない横目。
僕は深呼吸をした。
ここで、言わなければいけない事がある。
「え、えっと……蘇羽鷹星那です。この春から大学一年生です。よろしくお願いしま──」
「──ねえ。出身どこ? お酒飲める?」
澄夏さんがビール片手に割り込んでくる。
「出身は福島県で……お酒はまだ未成年なんで……」
「趣味をおしえて?」
「えっと、読書と──」
「お姉さま、お好きな食べ物はなんですか?」
「和食が好きかな……あの、その前に──」
「好きなブランドとかある? あ、普段どういう服着るの?」
「えっと、ユニクロとか……」
質問の嵐に、全く自己紹介が進まない。
三人はまるで珍しい動物がやってきたかのようなテンションで、僕の事をあれこれ聞いてくる。居心地は悪くないんだけど、肝心な事がまだ言えていない。
「あの!」
僕は意を決して、少しだけ声を張り上げた。
三人がぴたっと止まる。
「……えっと、その。たぶん皆さん、僕のことを女の子だと思ってると思うんですけど」
一拍、間を置いた。
「僕は──男です」
「「「……」」」
沈黙。
時計の秒針の音だけがリビングに響く。
一秒。
二秒。
三秒──
「「「──え?」」」
三人の声が重なった。




