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冷徹軍医の最愛嫁~無能の妻は、夫の愛に気付かない~  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第二話

 旦那様、と言葉が聞こえ、千鶴は廊下の隅で足を止めた。

 どうやら女中達が休憩しているようで、使用人部屋で談笑をしている。


「妖との戦は終結したから、日が暮れる頃には戻られるって」

「それまでに掃除をすませないとね」

「腕が鳴るわ。そういえば祝勝会も開かれるのでしょう? いつもは小夜様と共に向かわれてたのに……」

「あの人がいるからねぇ」


 話題が千鶴のことに移ると、女中達の声色が嘲るようなものへと変わる。

 彼女達に気がつかれないようそっとその場を離れ、自室へと足を向けた。

 普段よりも幾分か軽い足取りで部屋に入る。


(旦那様が、帰ってくる)


 千鶴は抱えた本を側置卓子(サイドテーブル)に置き、だらしなく緩んでいるであろう頬を両手で包み込んだ。

 脳裏に浮かんだのは、出立する前に告げられた言葉だ。


『この埋め合わせは、必ず』


 そう口にした夫の顔はすでに思い出せない。だが、その声色は千鶴を気遣うものだった。

 耳に残る言葉に、千鶴自身どれだけ支えられてきたのか計り知れない。


(出迎えなきゃ。着物も別のものにした方がいいかしら)


 ばっと顔を上げ、桐箪笥へ小走りで向かう。

 元々私物が少なかったこともあり、千鶴が持つ着物は上段に全て収まるほどしかない。

 祝言を挙げた当日は、両親が用意した着物を着ていた。

 そのため気にすることはなかった。


(こんなつぎはぎだらけのもので紫苑様を出迎えるのは……)


 薬師寺家で女中から恵んでもらった着物は、戦地から帰ってきた夫を出迎えるようなものではない。

 うんうんと頭を悩ませ、着物が入っているはずもない引き出しを開けた。

 おかしいと気がついたのは、引き出しを少し開けてからだ。

 空であるはずのそれは、僅かに重みがある。

 不思議に思いながら引き出しを覗き込むと、見覚えのない着物が数着鎮座していた。


 千鶴は目を丸くしながら、桐箪笥と着物を見比べる。

 何度瞬きしても、桐箪笥はたしかに薬師寺家から持ってきた嫁入り道具だ。

 しかし、上段になけなしの着物が数着入っていただけで、その他に着物は入っていなかった。

 千鶴のような無能にお金を使うような無駄なことを両親がするはずがない。


(じゃあこれはいったい……?)


 見覚えのない着物は、一目で上質なものだと分かる。

 薬師寺家はその異能で功績を上げ爵位を賜った華族ではあるが、東雲家は旧家だ。

 比べることすらおこがましいほど、歴史がある。

 それこそ本邸は敷地も広く、重厚感溢れる和の雰囲気が漂っていた。

 文明開化の折に流行りはじめた洋館も離れとして建てられてしまうほど、地位も名誉も、なにもかもが違う。

 しばらく引き出しの中を眺めていた千鶴だったが、着物と着物の間に紙が挟まっていることに気がついた。

 恐る恐る手を伸ばし、紙を引き出す。

 それは封筒のようで、宛名を見ると千鶴へと綺麗な文字が並んでいた。

 裏を見ると紫苑の名が記されており、心臓が跳ねる。


(紫苑様から、私宛の手紙……?)


 祝言を挙げてから三ヶ月の間、便りは一通たりとも届かなかった。

 しかし、手元には紫苑が書いたであろう手紙がある。

 その事実に少しの違和感が募る。


(いったいなにが……)


 震える手で封筒をあけ、便箋を取り出す。

 詰まりそうになる息を意識して呑み込むと、千鶴は意を決して便箋へと目を落とした。

 そこには「君に似合いそうな着物を誂えた」とだけ書かれていた。

 ただ簡潔に事実だけを連ねたような手紙だ。

 冷え切ったはずの心に、じんわりと熱が籠もる。


「……紫苑様」


 思わず零れた彼の名に乗ってしまった温度は、千鶴の頬を赤らめるには十分だった。

 浅葱色(あさぎいろ)の布地に流水紋様の入った着物を一着取りだし、体に当ててみる。

 全身鏡に映る千鶴は、嬉しいと言わんばかりにはにかんでいた。

 心なしか軋んだ黒髪も艶めいて見えるようだ。


(こんな素敵なものを、無能の私のために……)


 高鳴る心がきゅうっと締め付けられた。

 無能だと蔑まれた日々が、なにか裏があるのではと囁いてくる。

 だが、便箋に綴られた言葉は紛れもなく紫苑のものだ。

 初夜にかけられた千鶴を気遣う言葉と同じだと、なぜか確信があった。


(私の着物を用意できるのも、手紙を忍ばすことができるのも、紫苑様しかいないもの)


 外聞を気にしてだとしても、用意してくれた事実が嬉しい。

 体に当てたままの着物を抱きしめる。


(早くお会いしたい。会って御礼を言わなきゃ)


 早く、と急く心とは裏腹に、時間はゆっくりと過ぎていった。

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