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冷徹軍医の最愛嫁~無能の妻は、夫の愛に気付かない~  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中


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第一話

 極東の島国、大和やまと

 文明開化の折に、開国が気に食わなかったあやかしと呼ばれる異形が人々を襲った。

 その争いに終止符を打ったのは、理から外れた力を持った異能者たちだ。

 彼らはその功績からあやかしへの対抗策として爵位を与えられ華族となった。

 華やかな帝都を魑魅魍魎ちみもうりょうから守護する異能の家系。

 治癒術師を多く排出してきた薬師寺やくしじ家の末娘、千鶴ちづるは、三ヶ月前輿入れをした。

 医学系の異能を持つ東雲しののめ家との婚姻は、上手くいくかと思われた。

 ――契りを交わした紫苑しおんが初夜に戦へと旅立つまでは。


 夕焼けに染まる帝都を窓から眺めながら、千鶴はため息をついた。


(紫苑様。お元気かしら)


 野戦病院へ旅立ってから三ヶ月の間、なんの便りも送ってこない夫の顔を思い浮かべる。

 しかし脳裏に蘇ってくるのは、夜の闇のような髪と浅葱色あさぎいろの瞳だけだった。

 すでに紫苑の端整な顔立ちすらぼんやりとしか思い出せない。

 彼の顔を思い出そうと頭を悩ませる千鶴の耳に、複数の足音が聞こえてきた。

 声すら掛けられず、扉が開かれる。

 手入れのされていない蝶番が勢いに耐えきれず嫌な音を立てるが、それすらも慣れてしまった。

 千鶴は気がつかれないようひっそりとため息をつき、振り返る。


「お姉様。毎度申し上げておりますが、入室の際は一言お声がけいただけませんか」

「ごめんなさいね、千鶴が心配で焦ってしまったわ。許してちょうだい」


 しおらしい態度で眉を下げたのは、この屋敷の女中を従えた千鶴の姉――小夜さよだ。

 彼女は渡来物の西洋人形のような容姿をしており、身内ですら見惚れてしまいそうな美貌を誇っている。

 だが煌びやかな容姿を飾り立てるわけでもなく、彼女は軍服にも似た看護服を着用していた。

 小夜は軍部の看護師であり、紫苑の右腕だ。

 彼女は報告のため野戦病院と帝都を往復するたび、こうして千鶴の部屋を訪れる。

 渡来物ばかりの部屋は、小夜が訪れるたびに千鶴の部屋ではないと錯覚してしまいそうなほど、彼女に馴染んでいた。

 小夜が千鶴に近づくたび、軍靴の音が小さな部屋に響く。


「千鶴。具合はどうかしら?」

「……いつもと変わらないですよ」


 力強い瞳から逃げるように視線を逸らす。

 

 小夜の後ろで女中が忙しなく食事の用意をしており、心底げんなりした。

 目に見えて病人食だと分かるそれは、小夜の指示で出されているものだろう。


「そういうことは早く言いなさい! ほら、寝台に戻って。貴女の身になにかあったら大変だわ」

「いえ、私は……」

「早くなさい」


 大げさな反応を返されてしまい、女中の目が千鶴に刺さる。

 その目は小夜の手を煩わすなと言わんばかりで、居心地が悪い。

 渋々寝台に腰掛けると、お盆に用意されていた病院食を渡される。

 くたくたに煮込まれたお米は冷え切っており、体を芯から冷やしてしまいそうだ。

 小夜の後ろで女中の顔が僅かに歪む。

 その様子を他人事のように眺めていると、小夜の手が千鶴のそれと重なった。


「気休めにしかならないだろうけど、癒やしをあげる。ゆっくり休むのよ?」


 柔らかに微笑んだ小夜の手から柔らかな光が生まれ、千鶴を包み込んだ。

 女中がほうと感嘆を漏らす。

 癒やしと呼ばれる、薬師寺家のみに受け継がれる異能だ。

 本来であれば、体に巣喰う病魔や切断された腕までも治す効力がある。

 清らかなはずの光の奥で、何か赤黒いものが揺らめいた気がした。

 千鶴が疑問に思う間もなく、光は収縮し消えてしまった。

 しかし、癒やしの異能を受けたはずの千鶴の体に変化はない。


(至って健康だもの、効くはずがないって知っているはずでしょうに)


 千鶴がじとりと小夜へと目を向けると、彼女は困ったように笑った。


「ごめんなさいね。私の力が弱いばかりに貴女の体を元気にしてあげられなくて」

「……」

「病弱な貴女の体も、東雲家の妻としてのお役目も、私が変わってあげられたらよかったのだけれど……」

「お姉様。私は大丈夫ですから、そろそろ野戦病院へ戻られては? 癒やしを待っている方々がいますでしょう?」

「……そうね。貴方達、少しだけ二人きりにしてもらえるかしら?」


 小夜がそっと振り返り、女中へ声をかける。

 控えていた女中は心得たと言わんばかりに部屋を出て行った。

 静まり返った部屋の空気は肩にのしかかるように重く、息苦しい。

 沈黙を裂くように、大きなため息が聞こえた。


「本当、ふざけてるわよね。異能のない妹がいるなんて、人生の汚点だわ」


 侮蔑の含んだ声色が降ってくる。

 異能の家系に生まれ落ちたはずだが、千鶴には異能がなかった。

 薬師寺(やくしじ)家の人間であれば、少なからず病を癒やす異能を持つのにも関わらず、千鶴にはなにもない。

 反対に姉の小夜は、薬師寺家の中でも癒やしの力が強く、故に千鶴は蔑まれ、いない者として扱われていた。

 病弱な設定も、千鶴を外に出さないための方便に過ぎない。

 だというのに、なぜか東雲を名乗ることになってしまった。


「どうしてあんたみたいな無能が東雲様に選ばれたのかしら」

(そんなこと、私が一番知りたい)


 無能の千鶴に縁談が来たこと事態が、なにかの間違いだったのではないか。

 初夜も出来ず旅立ち、今に至るまで文一つ送られてこない現実に、頭の片隅で疑問が浮かぶ。

 異能婚であるならば、小夜が適任のはずだ。


「私の方が東雲様と釣り合いがとれるのに、ねぇ?」


 小馬鹿にするようなくすくすと笑い声が聞こえた。

 小夜から向けられる視線も、胸を刺す痛みも、知らぬフリをしていれば、耐えられる。

 黙り込んだ千鶴に苛立ったのか、小夜は舌を鳴らした。


「はぁ、まぁいいわ。あんたが間違えて座った女主人の座(それ)、ちゃんと返してもらうから」


 そう言葉を紡ぐや否や、千鶴が持ったままだったお盆をひったくり、床へ叩きつけた。

 皿の割れる音と、お盆が軋む音、小夜の悲鳴が部屋に響き渡る。

 途端、慌てた様子の女中が入室してきた。

 女中が部屋の惨状を目の当たりにし、千鶴と身を固くしている小夜を交互に見やる。

 一瞬、咎めるような目が千鶴に向けられるが、女中は何も言わずに小夜へと駆け寄った。


「お怪我はございませんか?」

「え、えぇ。千鶴、ごめんね。貴女の体ちゃんと治してあげられなくて。私は不甲斐ない姉ね……」


 小夜は大げさに口元を押さえ、声を震わせる。

 彼女を抱きしめるように支えた女中にギッと睨まれ、千鶴は奥歯を噛み締めた。

 違う、と告げたくとも張り付いた喉は言うことを聞いてくれない。


「小夜様。お優しいことは結構ですが、今はこちらへ」


 女中は千鶴から小夜を引き離すように庇いながら部屋の外へと向かわせる。

 二人の背が扉で見えなくなってから、石のように固まってしまった千鶴の体は動くようになった。

 のろのろと寝台を降り、床に散らばったお盆や皿の破片を集めると、かちゃかちゃと陶器の掠れる音が室内を満たす。


(今日の夕飯、また食べれなくなっちゃった)


 ぼんやりと考えながら後片付けをしながら、千鶴は心が冷え切っていくのを感じていた。

 床に散らばったお粥のように簡単に拭き取れるものではない。


(やっぱり私は、どこに行っても変われないのね)


 己の不甲斐なさにぎゅっと手を握り――


「痛っ」


 ――刺すような痛みに慌てて指を広げた。

 ざっくりと切れてしまった手のひらから、真っ赤な血が流れる。

 それはまるでとうの昔に流し方を忘れてしまった涙のように肌を伝い、床に真っ赤なシミを作った。

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