目撃してしまったくちづけ
美しい庭が自慢のキューレー伯爵邸に、夫人からお茶会にお招きいただいた。
「ごきげんよう、マリーアさん」
「キューレー夫人、お元気そうで何よりですわ!」
久しぶりのよく知った笑顔に、自然と笑顔が綻ぶ。
きちっとお辞儀したダステムは「いつもマリーアがお世話になっております」と言った。
「婚約者のダステム・リンドーネ侯爵令息ですわ」
「ああ、ええ…ごきげんよう。よくいらっしゃってくださいました」
ハキハキした夫人が歯切れの悪い返事をしたのに違和感を覚える。
けれど、次の瞬間にはいつもの夫人に戻っていた。
「何度かご挨拶をさせて頂いたことがありましたわね。今日はご婦人ばかりのお茶会で、主人も不在ですから、ダステム殿が楽しんでいただけるか…」
「お気になさらず。僕は、マリーアの側にいられるだけで幸せですから」
「まあ!ほほほ…」
「それに、友人達と談笑するマリーアのことも知りたいですし」
「そうですか、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませね」
私は、このお茶会をずっと楽しみにしていた。久しぶりにうきうき気分で支度をしていたら、ダステムが急に押しかけて来たのである。「今日は用事がある」と伝えたところ、なぜかダステムまでくっついてくることになったのだ。
(一体何しに来たんだろう)
いつもなら、馬車の中で文句ばかり垂れているダステムも鼻歌高らかにキューレー伯爵邸までご機嫌で向かったのである。
(急な人数変更を快く了承してくれた夫人に感謝だけれど…)
斜め斜向かいの席に、ロメリア・リューン子爵令嬢が腰を下ろした。
私たちを見て、少し驚くような表情をする。
「ごきげんよう。今日はダステム様もいらしたのですね」
「ロメリア殿、お久しぶりです。マリーアとは親しいのですか?」
「よくこのようなお茶会で顔を合わせますわ、ねえ?」
口元のほくろが笑顔と共にきゅっと上がった。
「ええ、そうですわね」
「マリーアさん、今日は口数が少ないですわ?婚約者の方と揃ってお茶会に参加されるので、緊張されているのですか?」
「そうかも、しれないですわね」
「ふふ、お可愛らしいわ。ねえ、あの野良猫、どうなったのかしら?」
「あの猫はうちの使用人の一人が引き取りましたの」
「まあ!そうでしたか!良ければ今度トノール邸にお邪魔しても?」
「勿論ですわ」
湯気がたちのぼる紅茶が運ばれてくる。良い香りがサロンに満ちた。
微笑ましい会話が進んでいく内、ダステムがむくれていないかとハッと気がついてチラリと横を見ると、にこやかに運ばれて来た紅茶を啜っていた。
その姿に心底ホッとする。
ダステムはにこやかな笑顔のまま、私とロメリアの顔を見比べた。
「君たちは特別仲が良かったのかい?」
「ええ、そうだと思うわ。ねえ、ロメリアさん」
話を振られて、ロメリアはハッとした。
「え、ええ…」
(どうしたんだろう?)
季節のタルトが運ばれて来て、そこにいる婦人たちは、わっと声を上げた。
金粉がかかっている美しいタルトはまるで芸術作品である。
サクッとフォークを刺した所で、ロメリアが立ち上がった。
「すみません、ちょっと失礼しますわ」
お手洗いか、化粧直しかな、などと思う。その場にいた人達はさほど気にする様子もなく、美味しい紅茶と楽しい会話を楽しんでいた。
あまり余計なことを話さないようにしていた私も、次第に気持ちがほぐれて話を聞くのに夢中になっていた頃、ふと隣を見るとダステムがいなかった。
「えっ……」
飽きて帰ってしまったのだろうか。とはいえ、まだ始まったばかりなのであるが。
(一言声をかけてくれれば良いのに…!)
見れば、まだロメリアが帰って来ていない。
(なんだろう…。なんだか…モヤモヤする)
「ねえ?マリーアさん!」
「えっ」
急に名前を呼ばれたので困惑する。顔を上げるとみんなが私を注目していた。
「あ、あの、ごめんなさい。ダステムがいなくなってしまって…私探しに行っても?」
「あら!本当だわ!全然気が付かなかったわよぉ!やあねえ、話に夢中になりすぎたわ!」
おほほほほ!とみんなが笑って「どうぞいってらして」と言ってくれた。
立ち上がってドレスの裾を広げてから、自慢の庭園がよく見えるサロンを後にした。
(とはいえ、人の邸宅を彷徨くのも気が進まないし…)
外の空気を吸おう、と思い立ち薔薇が咲き誇る裏庭を目指した。
(いくらダステムでも勝手に他人の邸宅で寛いでいるわけもないだろうし…いるなら外だと思うけど…。サロンから見える庭園には姿が見えなかったし、いるなら裏庭かな)
噴水が美しく水飛沫をあげている。その脇にある生垣からガサっと音がした。
反射的にそちらを見る。
「……で」「…だよ……に」
ポソポソとくぐもった声がする。
ひょこっと中を覗き込んだ。
「んっ…」
ロメリアにダステムが覆い被さって、二人はくちづけを交わしていた。
「!!!!!!」
尻餅をついて、両手で口を押さえた。
どきどきと心臓が鳴って、もしこれが聞こえてしまったら、私がここにいることが知られてしまう。そうしたら私、ダステムにすごく叱られる。
(静まれ!静まれ!!)
なぜか無意味にそんなことを願った。
初めて聞く、ロメリアの妙に艶っぽい声がする。
「…ダステム…、私が今日ここにいるのを知っていて、マリーアさんと一緒に来たのでしょう?」
「鋭いじゃないか」
「ふふっ相変わらず最低ね。もし見つかったらどうするのよ」
「アイツは鈍感だし、気がつくわけがないじゃないか。それに…そうだな、見つかったところでマリーアは僕の火遊びを咎めるわけがない」
(は?)
ぐるぐると頭の中が混乱する。
確かに彼の言う通り、私はダステムが浮気をしたところで、それを咎めることはしないだろう。
(というか、できない)
私は私自身を恥じた。彼は私のことをよく熟知しているのだ。
(あれ…?私って以前からこんな人間だったかしら…)
私はふらりと立ち上がって、走り去ることしかできなかった。
(私、こんなに舐められていて良いの?)
なんとか玄関ホールに駆け戻ると、キューレー夫人が私を心配してホールで待っていてくれていた。
「見つかったの?」
「夫人…!」
私のただならぬ雰囲気に、全てを理解したらしい。夫人は、私の肩を優しく撫でた。
「……マリーアさん、悪いことは言わないわ。あの男はやめなさい」
「え?」
「こんなこと、初めて話すけれど、あの人あまり良い噂を聞かないわ。色んなご令嬢にちょっかいを出しているみたいだし…おまけにあの端正な顔立ちでしょう?あなた、苦労するわ」
「……ダステムをご令嬢たちが放っておかないのは知っているのです。でも、彼は私を選んでくれた…。こんな私を…」
「マリーアさん?どうして自分をそんなふうに……!」
「私にとって人生でこんなに幸運なことはありませんでした。私のような地味な女を、好きな男性が求婚してくれたのです。こんなことって…」
「しっかりしなさい!最近ちょっとおかしいわよ!?」
「自分でも分かっているんです!自分が自分でなくなってしまうみたいで…。でも、婚約破棄をするなんて、とても…トノール家のことを考えたら……」
夫人は頭を抱えた。
「あなたのお父様は、こう言ってはなんだけれどかなり前時代的な考え方の持ち主だったわね…」
「全て私が蒔いた種ですから…」
「あなた、今を我慢すれば良いって思っていない?結婚生活はこれから一生続くのよ?」
「ふふっ…私に見る目がなかったのですわ」
流れるままの涙で夫人の顔が滲んでいる。
その時、キイ、と玄関ドアが開いたので反射的に振り向いた。
そこには少し髪の毛が乱れたロメリアと、きっちり結ばれていたはずのタイが雑に結ばれているダステムがいた。
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