愛してくれてありがとう
ホットコーヒーが二つ運ばれてきて、香りを楽しむ目の前の人を見て思ってしまう。
(ああ、本当にリシュエルが目の前にいる)
最近できたばかりだという、シューリムの大通りにできた喫茶店。
周りを見れば、ご婦人方が時折こちらをチラチラと見ている。
(リシュエルへの熱視線かしら)
「良かったのかい?」
「え?」
「ホットコーヒーなんて珍しいじゃないか」
「…なんだか喉に通っていきそうになくて」
「そうか」
こくりと飲み込んで、ほうとため息をついたリシュエルは「うん、美味しい」と言った。
(私が話し始めるのを待っていてくれているのだわ)
窓の外では銀杏並木が黄色い絨毯を作っている。頬杖をついたリシュエルが私の横顔を見て言った。
「綺麗だな」
「本当ね。銀杏の葉をいくつか拾って持って帰ろうかしら」
「…君が綺麗だと言ったんだ」
「え?わ、私?」
「火傷が綺麗に治っている」
(びっくりした…火傷が綺麗になったと言う意味だわ)
胸の高鳴りを誤魔化すように髪に耳をかける。
「額や頬に、少し色素沈着が残っているのよ。それをリーンがお化粧でカバーしてくれて…」
「化粧ができるまで回復して良かったじゃないか」
「ラベンダーオイルのおかげね」
流れる沈黙が、リシュエルへの想いを増幅させるみたいだ。
このままいっそこの想いに浸りきってしまいたい。
(けれど…)
その想いを断ち切るように口を開いた。
「私、貴方にお別れをしなければ」
「…どういう、意味だ?」
「明日、王都に帰るの」
「そう…なのか」
彼の顔を見ることが、できない。カップを包む長い指をただ見つめた。
幼い頃、転んだ私の涙を拭ってくれた小さな手は、こんなにも逞しい。
ふいにその手が、幼い頃のように私の頬に触れた。
「シューリムに、戻って来ないのか?」
「…分からない」
「もう、逢えないのか?」
「それも…」
「っっっ…」
「リシュエル」
「…せめて、君を想い続けても…良いか?」
「そういうわけにはいかないわ。貴方も素敵な伴侶を…みつけて…ハイデンロー家を…」
「マリーア、なぜ泣く?」
「え?」
気がつけば、ぼたぼたと涙が流れるまま真っ直ぐにリシュエルを見つめていた。
困ったように笑う彼は、やはりいつかのように私の涙を拭ってくれた。
「ここにいればいいだろう?」
「そういうわけにはいかないわ」
「なぜ?」
「きっと私は貴方のことを傷つけてしまうもの。貴方の気持ちを知っていても私は応えることが…」
「嫌いか?」
「え?」
「俺のことが、嫌いなのか?」
気がつけば、がやがやと周りの声がうるさい事に気がつく。あちこちで話の花が咲いているらしかった。
現実に引き戻された気がしていたけれど、リシュエルは強い眼差しで私を見つめ続けている。
「貴方は、きっと幼友達を哀れに思っているだけだわ」
「それは違う」
「私たちの婚約は随分前に解消されているし、リシュエルが責任を感じることはないのよ」
「違う!」
何度目かのため息の後、頭を抱えたリシュエルがぽつりぽつりと話し始めた。
「…婚約破棄は俺の望むところではない。あの頃、ハイデンロー家が所有していた鉱山のひとつが閉山した。ただそれだけのことなのに、噂に尾鰭がついて販売していた金は鉛を塗装したものじゃないかと悪評が流れたりしたんだ」
「ええ、朧げだけれど覚えているわ」
「決して他の令嬢を…ましてやベストブルム王家の王女と婚約したなど、酷いデマだ」
「そう、なの?」
ハイデンロー家は西の大国、ベストブルム家の血を継いだ古い名家である。
父はよく、婚約破棄の真相はハイデンロー家の風評被害を、リシュエルと王女を結婚させる事で相殺しようという目論みじゃないかと話していた。
私は頭を抱えるリシュエルに問うた。
「ならば、なぜ?」
「父はただ、懇意にしているホーネスト家やトノール家に迷惑はかけられないと。ましてや、いつまで続くとも知れぬ悪評にマリーアまで晒したくなかったんだ。ならば早々に破談した方がいいと…」
「父君が…。そう、そうだったのね」
「俺は、今日までずっと胸が掻きむしられるような思いで生きてきた。…マリーア、君が婚約破棄したと聞いて、俺が手放しで喜んだと思うか?」
「それは……」
「どうにかして君を連れ去ってしまいたい、なんならその婚約者とやらがマリーアに触れた腕を切り落としてやりたいとすら思った」
「リ、リシュエル…?」
彼は自分の手のひらを見つめると、影のある視線を向けた。
私は、息を呑んで、見つめることしかできない。
「…怖いか?悍ましいか?俺は、俺の心は、こんなにも醜く歪んでいる。純粋な愛などではない。君への強い執着だ」
息が苦しくなる。リシュエルをいつからか、こんなにも思いつめてしまっていた。「なぜそこまで」と問う言葉が、店内の賑やかさに消されてしまう。
「…だが、一度は君が愛した男だ。俺が幸せにできなかった分、どうかマリーアを大切にして穏やかに生活させてやって欲しいと…そう願っていた。なのに…」
陰ながら願ってくれていた、私の幸せはあっけなく幕を閉じた。
「…婚約破棄に至るまで、何があった?」
「……」
「破談になって、自分が一番喜んでいると言ったな?」
「貴方は知らなくていい」
「マリーア」
「…ありがとう」
「……え?」
「こんな私を愛してくれて。…さようなら」
火傷の真実を知ったら、リシュエルはどうなってしまうのだろう。
そう考えたら、店の外に停めていた馬車に駆け込むことしかできなかった。
リーンは何かを悟ったように険しい顔をしてから、「…早く馬車を出して」と御者に告げた。
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