シャボン(前半、リシュエル視点)
「手紙にはなんと?」
紅茶を出すふりをして覗き込んでくるキースから手紙を遠ざけた。
「お前には関係のないことだ」
「ラベンダーオイルを使ってみたのか、効果はあったのか、気になるじゃないですか」
(なんだ…)
てっきり俺が、勢いに任せてマリーアに気持ちをぶつけてしまった、その返答が知りたいのかと思ってしまった。
(まあ、手紙には一切そのことは触れられていないが)
「そうだな、赤みが引いて喜んでいると書いてある」
「それは良かったですね!」
「……なんだ?」
なにやら言いたげなキースは、口をぱくぱくさせて視線を逸らした。
「言いたいことがあるならハッキリ言え」
「その…やはり、僕はここを辞めた方が…」
「辞めた方が良いかどうかは、キースがこれからどんな働きをするかによるな」
「しかし…。主人の想い人とその母君を傷つけるようなことをした僕がいつまでも雇われていたら、あちらにも示しがつかないでしょう」
「まあ、辞めさせるのは簡単だからな」
執事は、「それはどういう…」と言って、立ち上がり窓の外を覗く俺を、視線で追いかけた。
「厳しいことを言う。お前の一切を諦めて辞めさせるのがあちらへの誠意だとは、俺は思わない」
「え…」
「全てを忘れて他で働くよりも、今回のことを忘れずに誰よりも熱心に仕事をこなしてみせろ。ここが分岐点だと思え。きっとお前の人生は変わる」
「リシュエル様…。っ…ありがとうございます」
ホーネスト邸は坂を登った先にある。こちらからは僅かに屋根が見えるだけだ。
マリーアの手紙には、会いたいとまでは書かれていないものの、近くて遠いと書かれていた。
(少しは会いたいと思ってくれているのだろうか)
あの痛々しい火傷が回復するまで、側で見守りたい。
(叶うなら、その先もずっと)
「ところで、王都での調査報告はまだか」
「時間を要しております。もっとすんなり進むはずだったのですが…」
「やはり、何か裏がありそうだな」
誰かが口を閉ざしているのか、はたまた問題が根深いのか。
(令嬢が一人、顔に火傷を負って婚約破棄した。それだけの調査で、なぜこんなにも難航する)
何もしてやれない自分がもどかしい。逢いに行くことも、今では難しい。
(君は、すぐそこにいるのに)
庭先でシーツを干している侍女が洗濯を終えたらしい。屋敷に戻る姿が見えた。
「そうだ……キース!」
「な、なにか?」
✳︎ ✳︎ ✳︎
秋がだいぶ深まってきたけれど、昼下がりの庭先は近所の野良猫が昼寝するくらいには暖かい。
「貴方達、少しも警戒しないのね」
読書の為に広げたブランケットの上で丸まっている二匹の猫は、兄弟だろうか。
蓋がついたバスケットをテーブル代わりに、牛乳をたっぷり入れたカフェオレを置く。
「リシュエルが持ってきてくれたカフェオレとスコーン、美味しかったな」
ふう、とため息をついて、栞を本から外した時だった。
視界の端に、ちらちらと眩しい何かが通り過ぎる。
「まあ…!」
坂の下から、たくさんのシャボン玉が空に向かって舞い上がっている。
思わず立ち上がり門から出ると、それはやはり坂の下のハイデンロー邸から上がっているらしかった。
「リシュエル…?」
逢いたい気持ちを止めることができず、私は坂道を走った。
「リシュエル!」
開け放たれた門を振り返りもせず、ただ駆ける。帰ったらきっと叱られるだろう。
(今よりももっと逢いにくくなるかもしれない、もしかしたら王都に帰されるかも…)
それでも、走らずにはいられなかった。
(こんなに近くにいるのに、会えないなんて、嫌だわ!)
辿り着いたハイデンロー邸の門の格子を掴んで叫ぶ。
「リシュエル!!」
格子の隙間から、この家の主人が腕を捲って、大きなシャボン玉を吹き上げているのが見えた。
「…マリーア?」
すっかり濡れてしまったシャツで、こちらに歩いてくるリシュエルは「ああ」と言って顔を覆った。
門を開けてから私を抱きしめるまで、彼は俯いたままだった。
「…っっ!!」
「リシュエル?」
顔を見合わせると、シャボン玉液なのか、涙なのか分からないけれど、リシュエルの顔がぐしゃぐしゃに濡れている。
それで思わず「大丈夫?」と問うた。
彼は首を左右に振って、優しく微笑む。なのに、なぜかどんどん頬が濡れていく。
「マリーア、君、そんなに急いできたのかい?」
「え?」
「包帯は?取っていて良いのか?」
「あっ…。やだ…ごめん…。こんな酷い顔見せて…」
「君が痛くないならそれで良い」
顔を隠すようにリシュエルの胸に埋まろうとする私の耳元に吐息がかかった。
「少し赤みが引いたと聞いた。よく見せて?」
「戻って、ほ、包帯を巻いてくるから…恥ずかしくて、とても…その…」
無言だ。けれど私を行かせまいとしているのだけは、しっかりと腰に回った腕が物語っている。
「リシュエル…?」
「…隠す為なら必要ない。マリーアが走って来てくれただけで、俺は今立っているのも奇跡なほど心臓がうるさいんだ。戻ってほしくない」
「えっ……あっ」
リシュエルは私の右手を取ると、彼の胸に押し当てた。早く、強く、高鳴る鼓動が伝わって来て、それ以上何も言えなくなる。
「マリーア、綺麗だ」
シャボン液でしっとりした髪がキラキラ輝いている。空に浮かぶシャボン玉が次々に弾けていく。
リシュエルの方が綺麗なのに、なんて言ったら怒られるかしら。そんなことを考えているうちに、自然と唇が重なった。
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