どうしようもないほどに愛しくて
それで、次の日本当にリシュエルはキースを連れて謝罪に訪れた。
母の怒りは収まったのか、四人が向き合って座る応接間の空気はそこまで張り詰めていない。
(昨夜、お母様に伝えた時も思ったけれど、なんだか急に…)
言葉にするのは難しい、けれどそう、それは確かに
(諦めた…ような…)
「この度は、マリーア殿を傷つけるような事態になってしまい、大変申し訳ありませんでした。静養に来ているマリーア殿に対してのことですから、尚更のことです。ご夫人のお怒りごもっともです」
頭を下げ続ける二人に、母は「顔をあげてちょうだい」と言った。
「……リシュエル、貴方って本当に変わらないのね」
「それは、一体…?」
「はあ…」
ため息をついて、紅茶を無意味にスプーンでかき混ぜている。母が頭の中を整理する時によく見られる癖だ。
「…で、どうするつもりなの?」
「どうする、とは?」
「あなた、まさかマリーアを娶るつもり?」
「……え、」
明らかな動揺。リシュエルが何かを言う前に、私が声を上げた。
「お母様!?何を仰るの!?」
「一番良くないのは、マリーアかもしれないわね」
「は……?」
「だって、全然気付いていないでしょう?リシュエルがここへ毎日訪ねてくる理由」
「まるでお祖母様みたいなことを言うのね…」
「女はね、年齢の分だけ隠された感情に敏感になるのよ」
「つまらない詮索をしないで」
「お祖母様はあながち鋭いのよ」
「いくらお怒りだからって、リシュエルに失礼だわ!?私は気にしていないって言っているのに!」
「……貴方、自分が思っているより厄介よ?」
「な、なによ、それ……!」
急に親子で話がどんどんと進んでしまったので、当のリシュエルが割って入った。
「二人とも、どうか落ち着いてくれませんか。その……」
「…リシュエルが悪いわけじゃない。貴方のご両親だって悪くない。けれど、それ以上に、貴方の気持ちが割り切れていないわ」
「そうかも、しれませんね」
「夫は、あの婚約破棄からマリーアに対する愛情が拗れてしまった」
(え……?)
母は牽制するような目つきでリシュエルを見ている。
「マリーアは良くも悪くも純粋だわ。だからそれ故に、建前を本気にする。この子のいけないところね」
「…お願いですから、今日その話をするのはやめませんか」
「もう、二度と来ないほうがいいわ。私も夫も、またマリーアが傷つくのを見たくない。だからあの時代錯誤な夫が花盛りの娘をシューリムへ送り出したのよ?貴方、それが分かる?お願いだからこれ以上、マリーアの心を揺さぶらないで頂戴!」
リシュエルは拳を握りしめると、キースと共に立ち上がり深々と頭を下げて出ていってしまった。
(どういう、ことだろう)
お母様を見る。何事もなかったかのように紅茶を含むと「私も相当過干渉ね」と言った。
お祖母様がひょっこりと扉から顔を出す。
「なんだかリシュエルに似た、背の高い人が廊下を歩いてったわ」
「お祖母様…」
「どちら様?って聞こうとしたら、泣いてたのよ。クッキーが焼けたばかりでね、あげれば良かったかしら。悪いことしたわねぇ」
「っ!マリーア!!!!」
気がついたら、なぜか走り出していた。
このままではいけない気がして、頭で考えるより先に、足がどんどんと動く。
玄関の扉を開けると、門から出ていくリシュエルとキースが見えた。
「待って!!待ってちょうだい!!リシュエル!!」
その声に振り返った彼は、なぜだか頬が濡れていて拭いてあげなくてはという気持ちになった。
「あっ!!」
いつの間にか、ヒールが脱げて裸足で走っていたらしい。僅かな小石で転んでしまった。
「っっ!リシュ……」
「…全く」
焦る気持ちで顔を上げると、私に手を差し伸べるリシュエルがそこにいた。
「リシュエル……」
「駄目じゃないか。夫人に怒られるぞ」
「そんなこと言って。私、もう子どもじゃないわ」
「ああ、綺麗な色のワンピースが台無しだな」
私を立たせると、ぱんぱんと土を払ってくれる。
「怪我は?」
「全然大丈夫よ」
本当は手のひらを擦りむいたと思うけれど、黙っておくことにした。
でも次の瞬間には、リシュエルに乗せた手をひっくり返されてしまい、すぐに分かることになる。
「血が出ている。今夜の湯浴みは沁みるな」
「お生憎様。もう、湯浴みで沁みるのは慣れているのよ」
「…そうか」
急に真剣な顔になって、リシュエルが私の頬を包帯の上から摩った。
血がつくのも構わずに、もう片方の手でしっかりと手を握ったまま。
「……夫人が言ったこと、本当なんだ」
「え?」
「本当は君を誰よりも愛しているのに、友人の顔をしてここを訪ねていた。君をずっと騙していたんだ」
「何を言っているの?リシュエル」
「君に同情していると思われるのが嫌で、隠していたんだ。でも本当は婚約破棄をしたと聞いて、俺は喜んだ。最低だろう?」
混乱する私は、キースを探す。けれど、どこにも執事の姿はない。
(婚約破棄を喜んだ?そんなの…)
「…そんなの、私もよ」
「マリーア?」
「ダステムと婚約破棄することができて一番喜んでいるのは私よ」
「何があった…」
無言で首を振る私を、リシュエルは柔らかく抱きしめた。耳元に吐息がかかる。
「……マリーア、包帯を解いてくれないか?」
目を伏して、リシュエルの言葉を受け入れる。長い指がほろほろと包帯を解いていった。
(リシュエルの匂いがする)
この顔を見れば、逃げ帰るに決まっている。そんな気持ちがどこかにあった。
(そうなったら…私…)
なぜかリシュエルにだけには醜い私を見せたくないと反射的に思ってしまう。「あっ」と言った時には、包帯の端がするりと落ち切った時だった。
「……ぁ…ぁ……」
硬直して動けない。彼はじっと私を見ているだけだ。
「……マリーアだ」
「え?」
「久しぶり。会いたかった」
リシュエルは「やっと本当の意味で君に会えた気がする」と言ってから、優しく微笑んだ。
「…私、毎日鏡で自分の顔を見るの。赤く爛れたところはね、少しずつ良くなるはずよ。色素沈着が残るかもしれないけれど、今より全然……」
(私、なんで必死なんだろう)
「マリーア、もしかして、俺が火傷を見たら嫌いになると思った?」
「…それは」
「こんなに痛々しい火傷を負って辛かった君を、労わりたいだけだ」
「リシュエル…」
「俺はずっと君をシューリムで待ちながら暮らしていた。君がここへ来る時だけ、俺の人生の針が動き出すんだよ」
(そういえば、シューリムといえばリシュエルで、リシュエルに会えるからシューリムで……だからつまり…私にとってのシューリムはリシュエルで…)
「マリーア、君を愛している。どうしようもなく」
私は、リシュエルの揺るがない気持ちを知ってしまった。
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