悔恨(マリーアの父親視点)
果たして私は、娘の話を耳で聞き、頭で理解したのだろうか。
そう思った時には、駆け出していた。気付いたらダステムを殴りつけていた。
右手の中指の付け根が腫れている。医者には「これは酷い。トノール伯爵も診察しましょう」と言われたが固辞した。思うに、私のこういうところが駄目なのだろう。
(医者は明らかに苦々しい顔をしていたな)
それは右手の腫れを見てのことか、或いは…。
「はあ……」
ため息をつくたびに、様々な後悔が頭の中を駆け巡っていく。一つ目はマリーアに厳しくしすぎたことだろう。
「っっうう…」
今更泣いても仕方がない。時間は戻せない。
けれど今くらいは泣いたって良いじゃないか。そうでもしないと狂ってしまいそうなのだから。
顔に包帯を巻いたマリーアを痛々しいと思う以上に、私の心からの言葉がまるで理解できていないあの子の心が不憫でならぬ。
枯れてしまった花にいくら水を注いでも、染み込んでいかないのだ。
(そう、このように)
妻が残した花は花瓶にささったまま枯れていた。
侍女達も水は交換したが、昨晩妻が出ていって途端に枯れた。面白いものだ。
花を剪定するのは妻の趣味であったから、いつ帰ってくるともしれぬ主人の少ない趣味を勝手に手出しできぬのだろう。
(花は明日の朝、捨ててしまおう)
ひとまず机に向かってペンを取った。妻に報せないわけにはいかぬからだ。
その前に、リンドーネ侯爵宛に抗議文を出す方が先か。婚約破棄の書類も揃えなければならぬだろう。
(あいつが知ったら、何と言うだろうか)
いよいよ離縁されるかもしれぬな、と思うと同時に少しだけ冷静になれた自分がいた。
『もう二度と娘を親の都合で振り回してなるものか』
かつての自分自身の言葉が脳裏に甦った。
(リシュエル…今は伯爵位を継いで、ハイデンロー伯爵、か)
十年以上前になろうか。あの頃、妻と娘は一年の半分をシューリムで過ごしていた。
長閑で、自由な気風がマリーアの教育にも良いだろうと言われてのことだった。
(今でもまだ、そのことを後悔している)
まだ幼いマリーアをリシュエルと婚約させたいのだと、彼の父親であるハイデンロー伯爵から申し出があったのだ。
二人はよく遊ぶ仲だったし、何より妻が乗り気だった。
マリーアも
『シューリムでずっと暮らせるの?リシュエルと毎日遊べるの?』
そんな可愛いことを言っていたのを、昨日のことのように鮮やかに思い出せる。
ハイデンロー家といえば、古くは西の大国、ベストブルム王家の血を継いでいる。加えてシューリムの金採掘や金加工の主要産業占有率の半分以上を占めている名家だ。この上ない条件だろう。私たち家族は喜んで承諾した。
(それが全ての過ちだった…)
婚約から三年、金の価格が大暴落したことがきっかけだっただろうか。
リシュエルの父親である、当時のハイデンロー伯爵から突然破談にしたいと申し出があり、ほとんど一方的に婚約破棄された。
ベストブルム王家には年頃の娘がいたはず。ハイデンロー家の地位を盤石なものにするため、恐らくはそちらと…。
(考えただけで胸糞悪い)
だが、それが私たちが生きる世界だ。
今になって思う。軽はずみな婚約だったと。
マリーアが大人になってから然るべき相手と、お互い思い遣って結婚すべきだったのだ。
それが
そんな思いが
いつからか私の中で拗れてしまった。
(……可哀想なことをした)
ぎしっ
回転式の椅子が軋む。
天井は暗い。
幼い頃のマリーアは活発で、美しかった。思えばやはり、デビュタントを過ぎたあたりからおかしくなっていった。
(ダステムの婚約よりも少し前からだ。一体、何があった…)
深淵のような天井に幼い頃のマリーアと、火傷を負った今のマリーアが交互に現れて、軽い目眩を起こす。
(どうも、駄目だな)
机に向き直ると、なんと書き出したものか分からぬまま、ペンを握りしめているうちに夜が過ぎていった。
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