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悪の種子  作者: ひよこ1号


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旧交

「やあ久しぶり、シヴィ」

「お久しぶりでございます、殿下」


王家の紋の入った馬車がレミントン公爵家の領地の城に停まったのは、夏も終わろうという時期だった。

第一王子のアルシェンは、必死で勉強と政務に打ち込み、どうにか長期休暇を勝ち取ったのだ。

彼が恋い慕うシヴィアの為に。

けれど、王太子妃である母親ルディーシャからは釘を刺されている。


『シヴィアにとって何が幸せなのかをお考えなさい。貴方達が王家に連なる者である以上、彼女は決して受け入れないでしょう。答えも持たずに問い詰めなどしたら、あの()を徒に苦しめるだけですよ。追い詰めるような真似だけは、母としても王太子妃としても絶対に許しません』


愛していても口には出せない。

まだ子供と言われる年齢でも、シヴィアへの思いはこの先ずっと変わらないとアルシェンは確信していた。


「堅苦しい挨拶は止せ、シヴィ」

「ふふ。最初は礼儀を尽くしませんと」


悪戯っぽく笑う姿も可愛らしく、この先の冬まで共にいられるカッツェが恨めしい。

目が合うと、彼は如才なく頭を下げた。


「殿下」

「久しいなカッツェ。大分背が伸びたようだ」

「お陰様で健康的な生活を享受出来ましたので」


ディアドラに虐待され、栄養状態も悪かった彼の状態は知らないが、去年はまだその面影を残していた。

今は、同年代の少年達と変わらないか、それ以上に発育している。


「勉学にも励んでいるようだな」

「はい、勿論。……遅れを取りたくはありませんので」


静かな宣戦布告に、アルシェンも目を細めて笑う。


「良い心がけだ。今日は君達に素晴らしい教師を連れて来た。公爵にも紹介しよう。ロンド夫人だ」


灰色の髪を結い上げた厳しそうな夫人が、アルシェンの言葉に従って膝を屈する。


「ロザリー・ロンドと申します。エルフィア様、お久しゅうございます」

「……おお、ロザリー嬢…いやロンド夫人。遥々よくお出でなさった」


二人が微笑み合うのを見て、シヴィアは目を瞬いた。


「お二人はご友人なのでございましょうか?」

「ああ、そうだ。いや、立ち話も何だ、居間へ行きましょうか」


祖父が夫人に腕を差し出し、夫人がその腕に手をからめる。

さっとアルシェンも肘を曲げて、シヴィアの前に差し出した。


「案内してくれるね?シヴィ」

「まあ……ご存知の癖に我儘ですこと」


去年も逗留して散々走り回った屋敷を知らない訳はないが、敢えて断る理由は無い。

カッツェは嫉妬を押し殺しながら、二人の後を付いて行った。


「それで、夫人を教師とするのは……彼女はもう引退してロンド公爵領でのんびりと過ごされている筈でしょう?」

「ああ、でも君とカッツェの噂を聞いて、興味を示してくれたんだよ。私の手柄にしたいところだが、祖母上の差配だ。祖母とは親友の間柄でね。君とカッツェと……参加するのならフローレンスにもだが、夫人教育をしてくれる」

「夫人教育……」


それは公爵家の夫人としての立ち居振る舞いや、家の動かし方だ。

家を滞りなく動かすだけなら、賢いシヴィアにも出来るだろう。

けれど、使用人もいずれは引退していく。

常に使用人を仕切るのは女主人の仕事だ。

たとえば、宴席に招待する人間達への招待状の出し方ひとつでも、作法や慣習がある。

勿論、実際に書くのは文官や書記官であり、侍女長が間違いの無いように点検するのだが、女主人も最終確認はしなければならない。

万一無作法があったら困るからだ。

けれど、その無作法というものも、女主人が把握していなければ当然気づかない。

それを学ばねばならないという事だ。


「王族では任せる人材も規模も儀礼も違うだろう?大体の流れは同じかもしれんが、基礎は知るべきだ」

「確かにそうですわ。ご配慮ありがとう存じます」


しかもその夫人教育にカッツェも参加するという事は。

シヴィアは一瞬、足を止めた。



「どうした、シヴィ」

「いいえ、王妃様と王太子妃様の愛に感銘を受けておりました」


それは嘘でもいい訳でもなく。

彼らが未来の為に多大な配慮をしてくれたという事だ。

レミントン公爵家には二代続けて公爵夫人が不在となっている。

今はディアドラという悪女が公爵夫人であり、彼女は公爵夫人としての教育を全く受けていない。

淑女教育も散々だったが、今はそれなりの礼儀作法マナーを身に着けている。

だとしても、彼女に夫人教育を施せる人間はいないのだ。

また、彼女もまともに教育が出来ないだろう。

そして正当なる公爵夫人であった、カッツェの母フローラは既に亡くなっている。

カッツェからは叔母であり、シヴィアの母であるリアーヌも元は子爵令嬢で伯爵夫人としての教育も受けていない。

一般的な夫人教育は施されているだろうが、公爵家を采配出来るような教育ではないのだ。

だからもし、カッツェが正当な後継者として跡を継いだとして。

誰も彼が娶る妻に、公爵家の夫人としての教育を課せる人間が不在となる。

この国の中の、他の公爵家から令嬢を娶れれば良いが、残念ながらディアドラの存在がそれを阻んでしまう。

カッツェは今、婚約すら出来ないのだ。

命を狙われ、隠れている状態なのは変わらない。

公爵家の正式な後継となれる頃に、妻として迎えてもいい立派な淑女がいるとは限らないのだ。

寧ろその確率はとてつもなく低い。

ならば、今から使用人を動かす為の知識はあった方が良いのである。

それは王妃と王太子妃の慈悲と、先見の明。

カッツェがどんな相手でも添えるようにするためだ。


そして、その決定はシヴィアに苦い現実を突きつける。

アルシェンもまた、どちらかからシヴィアの意思を聞いたのに違いない。

彼は何も言わないが、カッツェにまで夫人教育をさせるというのは、そういう事だ。


(わたくしが、誰にも嫁ぐつもりはない、という事をご存知なのね)


カッツェがシヴィア以外の誰かを娶るという現実。

シヴィアが王家にも公爵家にも嫁入りしないという現実。

アルシェンが願う、アルシェンの妃にシヴィアはなれないという現実。


三人三様の悲しい現実が横たわっている。


いずれは言葉にしなくてはいけない、苦いそれをシヴィアは呑み込んで微笑む。


「此処にいる間は貴方も一緒にお勉強なさいませ。王妃様や王太子妃様のご苦労が分かりましてよ」

「勘弁してくれ……」


茶目っ気たっぷりのシヴィアの笑顔に、アルシェンは天を仰いだ。

実際に王妃や王太子妃の激務は知っている。

特に祝宴前は戦争といってもいいくらいだ。

出す料理の目録に順番、調理の時間、食材の選定、料理の選定……食事だけとっても沢山ある。


「君がそう言い出すんじゃないかと思って、ロンド夫人には休暇をまず与えたんだ。長旅だったしな」

「まあ、策士ですこと」


居間で思い出話に花を咲かせるロンド夫人と祖父を見て、アルシェンは静かに呟く。


「それにほら、旧交を温めている二人の邪魔をしたら悪いだろう」


久しぶりに、シヴィアは祖父の笑顔を見た。

いや、フローレンスにもシヴィアにも祖父は微笑んでくれるし、笑う事もある。

けれど、少年のような屈託のない笑顔を見るのは、初めてだったのだ。

ロンド夫人も、柔らかい少女のような笑みで。

二人の間に流れるのは旧友というよりも、もっと温かいもののような気がした。



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― 新着の感想 ―
面白くてここまで一気読みしてしまいました!ありがとうございます!
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