第二話(4) 狸海戦術
廃ビルの敷地内。塀に囲まれたビルの裏側には、車が数台止められる程の簡素な裏庭がある。
長年手入れされていなかった庭には雑草が蔓延り、ビルの壁面に設置された大量の換気扇に蔦を巻いている。壁沿いに掘られた排水溝は、蓋が割れ中の空洞を見せている。
庭と言うよりも放置された空き地に近い状態だが、四方を壁に囲まれ外部から覗かれる心配のないこの場所は、密かに計画を話し合うには都合の良い場所だ。ただし、婀彌陀羅たちの姿は一般の人には見えないので、場所がどこであろうと余り意味は無い。完全に雰囲気を出したいが為だけに婀彌陀羅が選んだ場所である。
「さあ、なんとしてでも行方不明の弟を探し出すぞ!」
裏庭にやって来るなり婀彌陀羅がそう宣言する。
しかし、面倒に巻き込まれ不機嫌な軛とやる気のない八瞞からの反応は薄い。組んだ腕を指先で叩きながら、軛がイライラとした様子で返す。
「行方不明?生死不明だろうが」
「うるさいぞ、細かいことをねちねち気にする奴だな」
「問題を起こした張本人が言える立場か。少しは反省した態度を見せろ」
「反省だと?何故に我が反省せねばならんのだ。元を辿れば、彼奴らを兄弟として生んだ親の責任ではないか」
「……その屁理屈しかこねん減らず口を閉じさせてやる」
「やめんか!面に触れるでない、この駄犬めが!」
取っ組み合う2人を横に、八瞞は面倒そうに軛を顎で指す。
「こういう時こそ、犬コロの出番じゃないの?」
「我は弟の私物など持っていないからな、軛が使えん」
「使えんとはなんだ」
「言葉の通りだろう」
いくら犬の嗅覚が優れていようと、探す人間の匂いが分からなければ探しようがない。しかし、問題を起こした張本人であり、なんの助力も持たない婀彌陀羅に役立たず呼ばわりされれば、軛でなくても頭にくる。
面を突き合わせ無駄ないがみ合いばかり続ける2人に、話が進まないと八瞞は首を振る。
「仕方ないから、探すの手伝ってあげるよ。そこの犬コロよりは、役に立つからね」
睨みつける軛を無視し、八瞞は2人から少し距離を取ると両腕を広げる。
「情報収集と人海戦術なら俺の両分だしね──ま、呼ぶのは人じゃなくて狸だけど」
弧を描いていた口端が引き結ばれ、八瞞が静かに告げる。
「──来い、お前たち」
その言葉を引き金に、空気がざわつき始める。伸びた雑草が風に揺れ、排水溝の蓋がカタカタと音を立てる。
何者かの気配が徐々に近づき、一瞬もたらされた静けさの後、ぴょこんと2匹の狸が顔を出した──、1匹は排水溝の溝から、もう1匹は雑草の茂みの中から飛び出してくる。
あどけない顔をした狸が元気よく八瞞の足元へ駆け寄っていく。きゅいきゅいと甘えたように鳴きながら、足に懐く狸の姿は可愛らしい。
だが、出て来る狸は2匹に留まらなかった。
まるで堰を切ったかのように、1匹、また1匹と木の上や屋根の上、割れた塀の穴から狸が出てくる出てくる、溢れ出てくる。
大量の狸がわらわらと集まり、そう時間もかけず、庭は毛皮の絨毯で埋め尽くされていた。
「「「先生!」」」
鳴いていた狸が、流暢に人語を喋り出す。
「先生!おれたちをお呼びですか!」
「うん」
4匹の狸が絨毯を潜り抜けながら八瞞の側に走り寄り、身を翻しくるりと跳ねる。
すると、突如発生した煙に狸が包まれ──、晴れた煙の中から10代半ば程の年頃をした少年が4人現れた。
4人共に短髪で現代風の服を着ている。Tシャツや短パン、フード付きのジャンパー、甚兵衛など、個性はあれど町を歩いていても違和感のない恰好だ。
八瞞の前で片膝を付いた体勢で、右から順に名乗りを上げる。
「蕨来ました!」
「千里参りました!」
「秋葉ここに!」
「縞宮……ここに」
蕨と名乗った狸は、茶髪に琥珀色の目。
千里は、枯葉色の髪に緑の目。
秋葉は、赤茶の髪に茶色の目。
縞宮は、黒髪に半眼の群青色の目。
ただ、全員が垂れ目であるのは狸の業だろうか。
この場に集まった──八瞞を先生と慕うこの狸達は全員が齢を重ねた化け狸だ。八瞞を師と仰ぎ、七霧山で共に暮らしている狸達だ。
八瞞が縄張りとする七霧山は、何もない小さな山ではない。
ただの人が山に入ろうとすれば石灯籠のある平地までの行き止まりにしか見えないが、あの山道にはまだその先がある。
人間が入って来ないよう八瞞が幻術で道を隠し、行き止まりのように見せているのだ。
石灯篭の側にある大杉──その横にはさらに山道が続いており、登った先には八瞞が住処としている廃寺がある。
とある放浪の僧が大昔に築いた寺には、本堂と蔵、側には三重塔が建ち、少し離れた所には広い澄んだ池がある。
八瞞たちは、その廃寺を居住として生活していた。
「おお、蕨ではないか」
八瞞の指示を待つ化け狸、その中の蕨と名乗った少年を目にするなり、婀彌陀羅は嬉しそうに両手を差し出し近づいて行く。
「ひぃっ!!黒狐!」
だが、声をかけられた蕨は顔を引きつらせ悲鳴を上げる。素早い身のこなしで逃げ出し、縞宮と名乗った狸を盾にして隠れてしまう。
婀彌陀羅と目の合った縞宮は軽く頭を下げてみせるが、それが婀彌陀羅に対し謝っているのか、蕨を庇っているのか、縞宮の表情が乏しく判断がしづらい。
それでも、隠れてしまった蕨に近づこうとする婀彌陀羅に、次は八瞞が止めに入る。
「もう、仕事の邪魔しないでよ。怖がってるだろ」
「我は話しかけただけだぞ?まだ撫でてもおらん」
「撫でないで。ほら見なよ、まるで足が産まれたての子鹿みたいになっちゃって」
「トイレを我慢しているのではないか?」
その言葉に蕨が猛烈に抗議する。縞宮の背に隠れたままで。
「失礼な!先生!この狐もの凄い失礼ですよ!」
「知ってるよ」
「蕨!……あーごほん。それで、今日の任務は何でしょうか?」
師の前で醜態をさらす蕨を見かねた千里が叱りつけ、どうにか話を元の軸へ戻そうとする。縞宮に背から引きはがされた蕨も、ようやく自分の失態に気づき慌てて元の位置へ戻る。場を乱した元凶の婀彌陀羅も八瞞に引きはがされ、今は軛に羽織りの襟首を掴まれている。
4匹が並び直したところで八瞞は頷くと、懐から地主の弟が映った写真を取り出し千里に渡す。
「人間の捜索。──この写真の人間を探し出せ。ただし生存確率はかなり低い」
「承知しました!」
「じゃ、まずは神代町内に絞って探索するとしようか。千里は東側、縞宮は西、蕨は南、それから秋葉は──」
「我らと一緒に北側だな!」
割り込んできた婀彌陀羅に、八瞞が舌打ちを鳴らす。
これだけの数の狸が動くのだからと、四方面共狸達に探索を任せ後は楽をしようと目論んでいたが、自分も連れて行動する気でいる婀彌陀羅が逃がしてくれそうもない。
八瞞は肩を落とし仕方なさそうに、秋葉に視線を向ける。
「……はぁ、なら、お前はコッチね。あ、他の狸は先に北側に向かわせといて」
「は、はい!」
師と一緒に行動することが決まり緊張した様子で敬礼してみせる秋葉から視線を外すと、八瞞は地面を埋め尽くす狸の大群へ告げる。
「では、散解」
「「「はいっ!!!!!」」」
先陣を切って蕨と千里が駆け出し、縞宮も続いて走り去る。
それに続き、狸の大群が一斉に駆け出していく。狸の大群は、東と西と南へ走り出した3人の後を追い、均一に3方向へ別れ走り去って行くいくが──、一向に数が減った様子が無い。
集まり過ぎた狸が一斉に駆ける足音がどどどど……と、地鳴りのような足音を立てている。
「おい、いつまで待てばいいのだ……」
「俺達も身動きが取れんじゃないか」
「せっかちだな、ざっと八百匹ぐらいの移動なんだからすぐ終わるって」
何てことない様子で八瞞は言うが、軛は別の事に思考を巡らせていた。
八瞞の正体についてだ。
(これだけの数の狸を使役するのは尋常じゃない……)
八瞞は普通の化け狸ではない──軛はそう考えている。
付き合いだけなら婀彌陀羅と同じ年月分だけ関わってきたが、未だに謎な部分が多い。得体が知れないと言った方が正しいだろう。
常世では、妖力の差で上下関係が決まることなんかは多々ある。しかし、それは永劫的なものではなく、ましてや師として仰ぐような関係でもない。力が逆転すれば呆気なく取って代わられる程度の関係でしかない。
だが、能力に欠陥があるにも関わらず、八瞞はこの数の狸を見事に使役して見せている。さらに信じられない事に、八瞞は狸達の精神を操作し操るのではなく、狸の長として認められているのだ。
普段はヘラヘラとした態度で婀彌陀羅と一緒になって問題ばかり起こしているが、その姿だけが本性だとは思っていない。でなければ、八百匹以上の狸を使役できる長となれるはずがないのだから。
今も昔も、軛は八瞞の話す言葉も行動も、どれ1つとして信用などしていない。
婀彌陀羅なら自分よりも八瞞の過去や内情を知っているのかもしれないが、聞き出すことは諦めている。婀彌陀羅に聞いたところで、嘘と冗談を交えた話をされるだけだ。たとえ本当に八瞞本人から伝え聞いた内容であったとしても、どのみち真偽を確かめようもないのだから。
だが、軛には1つだけ思い当たる妖の伝承があった。「隠神刑部」という妖怪の名だ。
〝隠神刑部〟とは、八百八匹もの狸を眷属とした、強大な神通力を持つ格の高い妖である。
そうだと断定はできないが、八百匹の狸を使役など容易に真似できない部分もある。ただし、この名の知れた大妖怪と同等の力が八瞞にあるのかと問われると、軛には頭を捻る事しかできない。
「隠神刑部か……」
考えていた事を口にしてしまっていたのか、呟いた妖の名に婀彌陀羅が反応する。
「また懐かしい名が出たな」
「そいつ、まだ封印されてたよね?」
「討伐されたんじゃなかったか?」
などと、八瞞と婀彌陀羅が他人事の様に話し出す。隠す様子も胡麻化している様子もなく、まるで世間話のような気軽さでもって話をしている。
そんな2人の様子に流され、軛もつい率直な質問を投げてしまう。
「お前以外にこんなに狸を連れている者が他にいるとでも?」
「だってあれ親族経営って噂だしさぁ、俺には子供なんていないから。狸の数もたまたま今だけ八百匹超えてるだけだし」
そんなたまたまが、狸の世界では何度もあるものなのか疑問だったが、
「貉の血が混ざっていたら、狸共があんなに素直な訳なかろう」
「それは、そうだな」
という婀彌陀羅の的を得た一言で軛は納得する。あの狸達が他所から集まってきたという事は疑いようもなく真実のようだ。
「まぁ実際、俺のことか分かんないんだけどね」
「なんだと?」
「だって隠神刑部とか名乗ってないし、勝手に周りが名付けてたって知ったこっちゃないでしょ」
あくまで他人事として話す八瞞に、軛はもうどうでもいいと流すことにした。隠神刑部の伝承の1つぐらいは八瞞が原因かもしれない、その程度の認識でいるべきだろう。
しかし、そうなると1つだけ軛には理解できない事があった。血が繋がっていないと言うなら尚更に。
「だが、分からんな。何故、縁も所縁もない狸を集め身を寄せる?呼べば来るのだから、各々で生活させた方が扱いが楽だろう。しかも、誰よりも他人を信用しない男がだ」
「狸は別腹。同じ種族なんだからこれぐらい普通でしょ」
八瞞の返答にも軛は理解できないでいる。そんな軛に婀彌陀羅は頭の固い奴だと言わんばかりに腕を組んで言う。
「血の繋がりや種族なぞ、些細な問題を気にするのは古い考えだぞ」
「良いこと言うね婀彌ちゃん」
「ふん、血は水よりも濃しと言うだろう」
「血の無い妖もいるではないか」
意見は平行線。元より相手を理解しようとも、理解させようとも考えていない暇つぶしの会話だ。
そうこう話をしているうちに、庭に居た狸達はすっかり居なくなってしまっていた。
「じゃあ、そろそろ動けるようになったし、俺達も行こうか」
「はい!先生」
今まで黙って側に立っていた秋葉に八瞞が声を掛けると、秋葉は元気よく返事をし、その場でくるりと宙返りをする。また体が煙に包まれ、煙が晴れた場所には元の狸の姿になった秋葉がいた。秋葉はててて……と八瞞の足元まで寄ってくる。
きゅいきゅい足元で懐く秋葉を見下ろしながら、
「そーそー……、『和』を乱さなけりゃ、皆ずっと一緒にいられるんだから……」
歪に笑む口元を隠す様に、八瞞は取り出した防毒面を嵌めた──。




