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23話 結

 地面に転がったまま、ルナは寛人とブルートを見つめていた。寛人はあれだけ血を流しても、それでも立っている。自分なんかより、よっぽど死にそうだっていうのに。


「ヒロト……」


 ルナは自分の力のなさを恨んだ。目の前で仲間が戦っているというのに、自分は守られるだけなのか、見ていることしかできないのか。

 家を飛び出してきたときの覚悟は何だったのだろうか。死んでもいい、その代わり自由が欲しいと、その思い一つで冒険者になったというのに。仲間一つ守れず、自分の命が惜しいだなんて。


「貴様ら全員、この一撃で沈めてやる!!!」


 吸血鬼が吠える。見たこともない魔力がサーベルに巻き付いている。危険だと、生物の本能と言うべきものが警告を鳴らす。それは寛人も同じはずなのに、彼はまっすぐ対峙したまま、剣を上段に構える。


「守ってみせる、俺の仲間を、その人生も、自由も、全て!!!」


 英雄は守るために、手にした力をふるう。


 ◇


 ようやく取り戻した意識の底で、ハインツは寛人の言葉を確かに聞いた。

 一瞬で意識が持っていかれた時は死んだと思ったが、寛人の言葉に死地から引っ張り上げられたようだ。それでも意識があるだけで、体はピクリともしないが。


「ヒ……ロ、ト……」


 かすれた声がのどから這い出る。きっとその名を持つ男に、声は届いていない。悔しいが、自分にできることは祈ることだけ。男の戦いを見届けることだけ。

 一番力がないと思ていた男が、自分たちを守るために戦っている。相手は人間を簡単に殺せる化け物。逃げるべきだったかもしれない。こんな無謀な作戦、やらなければよかった。こんな痛い思いするなんて。そう思っていたこともあった。――だが、もうそんな思い、心から消え去っている。


 あとは自分の仲間を、信じるのみ。


 ◇


 サーベルに大気の渦が巻き付いている。魔力が集まりすぎて小さな嵐を発生させているようだ。自分どころか、ルナやハインツもまとめて消し飛ばすつもりらしい。


 ――怖い。これはうそ偽りのない気持ちだ。もう死にそうだって言うのに、あれを受けたら間違いなく死ぬ。しゃべったことで内臓はボロボロ、耳は遠くなっているし、視界は血で赤く、口と鼻から血があふれている。体には無数の刺し傷があり、いくつかは貫通している。あばらは折れているし、体を強く打ち付けたせいで全身打撲も甚だしい。

 寛人は自分の体の状態を振り返り、つい笑いそうになる。よく生きているなと。でもそれは、仲間を守るため、そして目の前の吸血鬼に気づかせるため、そのためにまだ生きているんだ。寛人は死体と変わらない体に全力で力を入れる。


「貴様ら全員、この一撃で沈めてやる!!!」


 ブルートの咆哮。歯を食いしばる寛人の背に、ルナの視線を感じる。

 ――負けられない。絶対に、この世界で出会った人たちに報いるために、出会いを無駄にしないために、死ぬわけにいかない。そのためなら、諸刃の剣をふるうことだっていとわない。


「『初級剣技』、一の斬(いちのざん)――」


「『鮮血術式』――」


 上段の構えたナイトソード、それを持つ腕に魔力が宿る。赤いサーベルに巻き付いていた魔力の渦も吸い込まれるようにしてその刀身に力をもたらす。


「上段切り――」


 寛人がまだ力をため切る前に、先にブルートがその凶刃を放った。


復讐の牙(スタブ・リベンジ)!!!」


 その叫びとともに放たれたサーベルの一閃はブルートが持つ圧倒的火力を内包した斬撃。深紅のサーベルは空気を切り裂き、まさに飛ぶ斬撃として寛人にまっすぐ襲い掛かる。


「「ヒロト!!!」」


 ルナとハインツの声に、寛人はさらに手に力を籠める。そして、その剣をふるった。


 まっすぐに切り落とした剣は、大気に一本の筋を入れた。新品の鏡に一つのひびが入ったかのよう。その筋から、徐々に断層がずれるように、空間が切れる。

 そこに飛来するブルート渾身の一撃。それは一時は寛人の攻撃を破壊したかのように見えた。が、それすら空間のゆがみを作ったと言うべき寛人の斬撃によって破断していく。

 空間をも切り裂いた一閃を、寛人はこう名付けた。


「時空裂断!!!!」


 ずれた大気が元に戻ると同時に閃光が輝き、そしてそれがブルートに襲い掛かった。


「――エイナス、リーズ……」


 ほとばしる斬撃の光の中で、ブルートは家族の名を呼んだ。



 ◇



 強烈な光の渦が洞窟内を照らし、同時に大地を揺らす轟音が響く。ルナはその渦の中に飲み込まれていく寛人の後姿を確かめる。


「ヒロト……!」


 閃光の後に、今度は猛烈な土煙が立つ。風の少ない洞窟内では土煙は晴れずらい。ルナは仲間の姿を探した。ようやく薄くなってきたその中に、寛人の背を見つける。


「ヒロ――」


 かけた声が途中で喉で止まった。

 寛人は血だらけだった。体中の血液が放出されてしまったかのように。口や鼻、ひいては耳からも血があふれ出し、血管が破裂したのか、皮膚からも出血している。


「ヒロト……?」


 ようやく出た声はあまりに小さかった。遠くでは吸血鬼が倒れており、寛人が勝ったことを如実に示しているのに、それを喜ぶ声も出ない。あまりにも目の前の男の姿は勝者には見えない。

 ルナの声が届いたのだろうか。寛人はゆっくりと彼女を振り返る。


「――大丈夫か、ルナ……」


 それはこちらのセリフだと。寛人は今にも死にそうな顔だ。


 ルナに声をかけた寛人は足を引きずりながらハインツのもとに歩いていく。寛人の歩いた道を示すかのように、地面に血が滴り、線を成していく。

 ハインツのもとにたどり着いた寛人は崩れるように座ると、ハインツに声をかけ、魔法を発動する。


「『初級魔法』、ヒール……」


 初級魔法の一つ、ヒール。言葉通り、体を癒す呪文ではあるが、本来のそれは簡単なかすり傷を治療するくらいの力しかない。しかし寛人が使ったそれは、『真・言の葉(ゴッド・ワード)』の力によって威力が引き上げられ、全身の傷を消し、体力、気力すら元に戻す効果を発揮する。

 全くけがをしていない状態に戻ったハインツに、寛人は最後の言葉を残した。


「ルナをよろしく頼む……」


 上空の回復魔法が使えるハインツにルナのけがの回復を頼んだと同時に、胃や肺からこみあげてくる熱いもの。吐血や喀血の域を超えた血を吐いた寛人は受け身を取ることもかなわず、固い岩の地面に倒れたのだった。


 ◇


 遠くで声が聞こえる。

 薄目を開けた先、人間の女と男が必死に声をかけている様子がうかがえた。二人は自分が倒したものたち。その者たちに一片の傷もない。おそらく、自分をこのような状態にした、あの男が回復させたのだろう。


 ほとんど飛びかけていた意識の中、ブルートは久しぶりに妻と娘の夢を見た――気がする。もう数百年とみていなかった夢。自分が愛した家族を一時も忘れたことがなかったブルートだが、それでも家族を夢に見たことは、あの日以来一回もなかった。


 妻と娘は笑っていた。自分がしてきた愚かな行為も攻めることなく、怒ることもなく。ただ、笑っていたのだ。もう、人間を、自分自身を許してあげてと、そう言っているかのようだった。


 胸元に手を入れる。取り出したのはたった一枚、灰と化した我が家で見つけた家族の絵。これしか、自分に家族がいたことを証明できるものはない。紙は黄ばみ、ヨレヨレ、いつ破れてもおかしくない状態。幾度となくそれを見て、自分に言い聞かせてきた、絵の中に生きている家族に誓ってきた。絵はいつも変わらなかったが、今日、今のこの絵の中にいる家族は、今までで一番幸せそうに笑っていた。


 終わった。――いや、終わらせてくれた。自分が憎み、絶滅させたいと願っていた人間の、その一人の青年に。彼が思い出させてくれたのだ。自分の家族がどれだけ優しかったのか、温かかったのか。そして自分がどうありたかったのかを。


 その青年は瀕死のようで、兜の男が必死に回復魔法をかけているが間に合っていないらしい。傍らで女が涙を流しながら声をかけ続けている。


 ブルートは残っていた最後の力で立ち上がった。もう、魔力もほとんど残っていない。だが、まだ自分の命は尽きてはいない。

 ブルートはゆっくりと、人間に近寄る。二人は警戒の色を目に浮かべた。その二人に、ブルートは提案した。


 最期の、願いを込めて。

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