21話 追憶
なぜ、自分が横になり、倒れているのか。
なぜ、目の前に人間が立ち、自分が床をなめることになっているのか。
ブルートは寛人の一撃をまともに喰らって意識が飛びかけていた。吸血鬼の耐久力、回復性能をもってしてもそれを凌駕してきた炎の一撃。
久しく感じていなかった『痛み』という感覚。それを思い出すとともに、ブルートはあることを同時に思い出した。
――なぜ、自分はこうも人間を恨んでいるのか。
◇
もう、数百年も前の話だ。が、それでも人の十倍以上の寿命を持つ吸血鬼にとって、さほど前ではないということは確かである。
ブルートには家族がいた。彼と同じ年に生まれた、美しい妻、リーズ。リーズとブルートは幼馴染の関係で、子供の時からいつも一緒だった。彼らが結婚するのは、必然であったのだろう。
そして、その二人の間に生まれたのが、一人娘のエイナスだ。エイナスは母親のリーズに似た優しい目を持ち、父親のブルートにそっくりな輪郭の、朗らかで笑顔の絶えない少女だった。
ブルートは、いや、彼の家族は幸せだった。家庭からはいつも笑い声が聞こえ、温かかった。家族と過ごす時間こそ、ブルートの生きる意味、価値になっていたのだ。彼らは村のはずれに家を構え、静かに暮らしていた。
そんなころだった。ブルートが住んでいた吸血鬼の村も領地とした、人間による国家、『帝国』が誕生したのだ。幾多もの戦争に勝利し、その国土を広げていった帝国はついに当時最果ての辺境とされていた吸血鬼の村がある地域も併合した。これが、すべての始まり……いや、終わりだったのかもしれない。
人間の国が自分たちの村も含まれている地域を支配しようと、吸血鬼たちは何も変わらない生活を続けていた。いままで人の手が届かなかった最果ての辺境も、ついに最果てではなくなっただけのこと。いずれ人が訪れるだろうと、吸血鬼たちは考えていた。それに、自分たちは人間に何も危害を加えない、そして向こうからも何も危険な目にあわされたことがなかった。ただ土地を収めるのが人間で、その中に吸血鬼たちの居住地があっただけ。どちらとも我関せずの関係は十年ほど続いた。
その日も、帝国内に住む吸血鬼たちにとっては当たり前の、平凡な日常だった。だが、人間世界にとっては重大な出来事が起こった。
魔物を統括する四人の王、人間が言う『魔王』の一人が人間の収める国を一つ、滅ぼしたのだ。魔王が滅ぼしたのは当時でも有数の大国、それをわずか一週間で殲滅したのだ。灰が舞う街には多くの死体が転がり、親を失った子供の泣き声が響いていたという。人間たちは魔王、そして自分たちとはまるで違う『魔物』に恐れを抱いた。いつもはおとなしくしている魔物、それがひとたび牙をむけば人間の国など赤子の手をひねるように滅ぼされてしまう。そんな化け物をいま野放しにしている。恐れと怒りで染め上がった人々にそんな状況は許されなかった。かくして世界中で『魔狩り』と言われる魔物殲滅の戦いが始まった。
人間世界では混乱が起きる中、その世界とはまるで接点がなかった吸血鬼たちは何事もなく、ただ普通に生活していた。それはブルートの家族も同様で。
「お父様、今日はお母様と出かけてきますね」
エイナスとリーズはその日、食料や日用品を買いに村に出かけることになっていた。留守番を預かったブルートは妻に煙草を頼み、妻と子を見送った。
二人が買い物に出て一時間ほどが経った頃。そろそろ帰ってくるかなと、ブルートが読んでいた本から目をあげ、窓の外を見た時だった。
一つ、火の手が上がった。
火事だろうか? ブルートは窓を開ける。
すると、今度は違うところから火の手が上がった。赤い炎が立ち、夜の空に煙が昇っていった。
何かがおかしい。そう思ったブルートの頬に生暖かい風が当たった。その風は灰のにおいと、悲鳴を運んできた。
また火の手が上がる。今度は何カ所も同時に。ブルートは村で何かが起こっていることを察した。モンスターの大群が襲ってきたのか、それとも別の魔物が攻めてきたのか。状況はわからないが、ブルートは街に出かけたままの妻と子を探しに家を飛び出した。
ブルートたちの住む家は村から徒歩五分ほどの村はずれ。村から続く一本道をブルートは必死に駆けた。焦げくさいにおいが強くなり、同胞の悲鳴も多く聞こえてくる。ブルートはただ夢中で走った。
そこは炎が渦巻く地獄の様相を呈していた。家屋は火に包まれ、今にも崩れそうになっている。あちこちから怒号と悲鳴が響く。道端には同胞たちが倒れている。ブルートは倒れている仲間に駆け寄った。
「……!」
ブルートは倒れた者――子供だった――の肩口に一本の矢が刺さっていることに気づく。そしてこの矢がどんなものなのかも。ブルートは倒れているものの生死も確認せず、燃え盛る火の町に飛び込んでいった。あの矢が使われているということは、ここを襲ってきたものたちは――。ブルートの頭に様々な憶測が飛び交った。
声をあげ、妻と子を探すブルート。そのまえに一人の男が立ちふさがった。銀に輝く鎧を身にまとい、その手には鈍い金に輝く剣。それを構え、『人間』の男は叫んだ。
「まだいたか。世界を破壊する劣等種族が! この俺が神に変わって裁きを下す!」
大きく踏み込んで切り付けてきた一閃を難なくかわしたブルート。だが相手の男も相当の実力者。一太刀目は避けられることを覚悟していたのだろう、返す刀で鋭い突きを放つ。ブルートは反応しきれず、わき腹にその突きを浅く受けた。少々の傷くらい、吸血鬼は瞬時にふさいでしまう。が、その傷はいつまでたっても治ることがない。
「驚いているようだな。貴様ら吸血鬼は異常なまでの自己再生能力があるそうだが、それもこの剣の前では無用の長物。この剣は『破邪の剣』。魔物相手に大ダメージを与えることができるのだ!」
ブルートはわき腹を押さえ、男の言葉を聞いた。
「――貴様ら人間が、どうして我らを。われらは何もしていないだろう!」
「あぁ、何もしていない。お前らはただ生きていただけ。――だがな、お前ら魔物はそうやって生きることすら罪。清廉な世界を破壊しようとする、神の敵! そんなものに、この世界を生きる資格などないのだ!!」
男は容赦のない攻撃をブルートに叩き込んでくる。相当な手練れのようで、吸血鬼のブルートにいくつもの生傷を作る。
「吸血鬼とはこんなに貧弱な魔物なのだな!」
「――なめるな」
ブルートは紙一重で男の突きをかわす。そして体を沈め、男の体の下に潜り込んだ。
「なに!?」
「『鮮血術式』、抜血刀」
瞬時に手首に傷を入れたブルートは術を唱える。流れ出た血は形を成し、一振りの得物と化す。それを思い切り男の体に突き立てる。サーベルは鎧を突き抜け、男の心臓を貫通した。
「がばっは……!」
絶命の声と血を吐いた男は体から力が抜け、地面に倒れこむ。ブルートは男にもう命がないことを確認し、あたりを見渡す。火の手はますます勢いを増した。だが、悲鳴は先ほどより少なくなっている。
「くそっ……!」
ブルートは妻と娘を探すため、再び走り出す。村自体それほど広くはない。探せばすぐに見つかるはずだが。
「お母様!!!」
声が熱風に乗ってブルートに届く。ブルートは声がしたほうを振り向く。今の声は間違いない。ブルートは娘の声がしたほうに駆ける。
一人の少女が泣きながら倒れた女性に声をかけ続けている。その周りでは様々な武器を抱えた男たちが下卑た笑いを浮かべてその様子を見下していた。
「エイナス!!!」
ブルートは叫ぶ。その声に男たちも振り返った。
「お父様! 大変、お母様が!!」
大粒の涙をこぼしながらエイナスは叫ぶ。その母親は地面に伏したまま、全く動かない。
「まだ生き残りがいたのか。おい、お前らやっちまえ!!」
隊長格なのか、ひときわ目立つ鎧を身にまとった男が指示を出す。その指示を受け、残りの三人が飛び出してきた。
「死ね! 愚かな吸血鬼!!」
「絶望して死にやがれ!」
「くたばれ!」
一様に叫んで襲い掛かってきた男たち。だが、ブルートにはその言葉は届いていない。
「――失せろ!」
怒りを心に宿したブルートは、目にも止まらぬ速さで三人を切り刻む。男たちは一発で絶命し、地面にたたきつけるようにして倒れた。
「お父様!」
ブルートはすぐさま娘のもとに駆け寄る。エイナスは怪我をしていないようだ。
「すまない、エイナス。遅くなって」
「お父様、でも、お母様が……!」
娘が指さした先には、大きな太刀傷を胴に付けた妻、リーズ。息はとても小さく、弱い。
「リーズ、しっかりするんだ!」
夫の声にうっすらと目を開けたリーズ。その見上げた瞳に、剣を振り上げた隊長格の男の姿が映りこむ。
「よくも――」
「邪魔だ」
ブルートはサーベルで思い切り男を斬り上げた。胴をかっ捌かれた男は声を出すこともかなわず、仰向けに地面に落ちる。
「――あなた」
リーズが声をかける。その声は小さく、周りの音にかき消されてしまうほど。
「リーズ、安心しろ。まだ何とかなる! 俺がお前をおぶって、みんなで逃げよう。エイナスは俺が守るさ。だから――」
「私は、おいていって……」
「――は……?」
「私がついていっても、二人の、生き残る確率を、下げるだけ。わかるの、自分がもう――」
「何言っているんだ! 俺たちは家族だ。お前を見捨ててなんか!」
「お母様も一緒に逃げるんです! ここでお別れなんて、私、絶対に……」
リーズに声をかけ続ける二人をいとおしく見つめるリーズ。その視線を道の先に変えた。
「ここは、私が引き受けるから。早く……」
リーズが見つめた先には何十人もの男たち。獲物を見つけた獣の目で、ブルートたちを品定めする。
最後の力でリーズは立つ。太刀傷からは滝のように血が滴り、土に大きなシミを作った。吸血鬼が持つ回復力の効果を無効化されているためだ。
「リーズ、何しているんだ。ここは俺が相手をする。だから君とエイナスは――」
「聞いて、二人とも!」
ブルートの言葉を遮る。リーズは死の淵とは思えない、暖かい表情を浮かべ、二人を振り返った。
「私、二人に出会えて、不幸だって思ったこと、一度もなかった。二人がいつも笑顔で、元気だったから、私も、いつも笑顔で、精一杯生きれたんだ。――ここでサヨナラは言いたくない。だから、二人は逃げて」
「お母様、何を――」
泣きじゃくるエイナスを、ブルートは背負った。
「お父様!?」
エイナスが覗き込んだブルートの顔は今にも泣きそうで、悔しくて、怒りをたたえて――様々な表情を混ぜた、そんな様子。
「――気を付けるんだぞ」
「二人も、ね」
エイナスの頭をリーズはそっと、ひと撫でする。
ブルートは振り返らず、背を向けて走り出す。エイナスが背中で何かを叫んでいる。自分に言っているのか、母親に言っているのか。どちらでも、ブルートは無視して村の外を目指すだけだが。
「――生きて、未来を、つかんで」
闇に消えゆく二人の背にリーズは声をかけた。
その背後から、無数の死が迫っていることを知りながら。




