01.道端
竜野聖は、天部組の若頭補佐でありいわゆる幹部である。
彼は非常に冷徹で女子供にすら手を出すと町では噂され、恐れられた存在であった。
身体が大きくひときわ目立つような存在の彼に反抗する者はこの町はおろか、恐らくこの世にいないだろう。
また同じくして、人が近づくのを嫌がる彼に触れられる者は実の両親か組長ぐらいだろうか。
繁華街には今日は大雨が降り注いでいた。
もちろんいつもであれば長居するであろう通称太客と呼ばれる客人たちでさえ、速足でキャバクラや繁華街から飛び出してくる。今日はお茶を引くのだろう。
そんな中でも裏路地はいつもの雰囲気が漂っている。酒に酔った男女に紛れるいかにも怪しい風貌の男たち。もちろんそんなこと酔っ払いたちは全く持って気にしていないようだ。反対にその男たちも酔っ払いのことは気にしていないようだった。いや、気にしていないというか『興味がない』といったところか。
「兄貴、どうします。奴、帰ったらしいですけど」
身長が普通くらいの白いTシャツにチノパンの男が、長身でガタイのいい男に耳打ちする。正しく今の状況を言えば、身長差のせいで耳打ちはできていない。仮に白Tの男が背伸びしたとしても届くことはないだろう。
「車、いつもんとこに」
長身の男はそれだけ言うと煙草に火をつけようとする。傍に居た別の側近らしき男が濡れないようにと傘を必死に傾ける。どうやらこの男にとってスーツが濡れることよりも煙草の火が付かない方が死活問題の様だ。
長身の彼の名前は竜野聖。そしてこの繁華街は彼の所属している天部組のシマである。彼はいつも不機嫌で、特に雨の日は不機嫌なことが多い。なぜなら雨の日はトラブルも、イレギュラーも多く発生するからだ。どうしても好きになれない。彼にとって急な変更はただの不快になる要素でしかない。だからといってそれが原因でしくじることはないが…。
煙草を携帯灰皿に無理やり押し入れると部下に何も声をかけずに歩き出す。部下は濡れないように慌てて傘を聖に合わせようとするが、聖は大きな手で部下を押しのけた。部下はそんな聖を見て諦めた様子で傘を畳み、その後まるでそれが合図かのように周囲にいた部下たちは全員傘を畳むと散り散りになってどこかに走っていった。
聖はその様子に視線をやることなく、まっすぐ裏路地を突き進む。もし彼に酔っ払いが絡んできたとしても彼は歩みを止めることはしないだろう。また、ネズミでも出てこようものならおそらく踏みつぶしててでも前に進むだろう。そう言い切れるぐらいの覇気が彼にはあった。
そんな彼は裏路地も終盤に差し掛かったところ急に歩みを緩め、そして止まり、一点を見つめる。雨のせいかそれとも夜の闇のせいか最初は目を細めても視線の方に何があるのか分からなかった。暫く見つめてそれが白いなにかだということが分かる。『どうせ布だろう』とそのまま踵を返し車に向かおうとしたその時。その白いなにかはその場でもぞもぞと動いているように見える。
聖はさらに一歩近付く。白い布の下から覗き込んでいる白っぽい、細い、枝のようななにか。興味がわいた。裏社会の幹部とあろうものが丸腰、しかも部下なしで得体のしれない物体に一歩ずつ着実に近付いていく。一歩ずつ、一歩ずつ…。
そして腕を伸ばす。掴んだだけで分かった。『これは腕だ』と。つまり人間である。聖は普段人間に興味を持たない。しかし聖は目の前のこの人間の顔を無性に見たくなった。死んでいるか生きているかは暫定では分からない。冷たい雨に打たれていたのか腕は冷え切って体温は感じなかった。
興味本位で人間の顔を表にする。
異様に軽い。
今まで持った人間、死体、その中で何よりも軽かった。ここまで軽い人間には触れたことが無い。
聖は何となくいつもの癖で頸動脈に触れてみる。どうせこんなにやせ細っていれば助かる見込みもなく、期待薄だろう。半分諦めていた。顔が見られればいい。ただそうとだけ思っていたから。
ただ彼女の、目の前の人間の顔は綺麗だった。おそらく今までの人生で見たどの女の顔よりも魅力的に見える気がする。気がするだけかもしれない。暗いからそう感じたのかもしれない。それはいいとして、聖は気が付けば部下に電話をかけすぐに医療班につなぐように手配していた。それまでの間、およそ数十秒。
聖は気が気じゃなかった。細い体にシートベルトを通すことはできないので聖の膝上に体を乗せて腕でしっかりつかんで支えている。少し力を入れれば折れそうなその体。今まで触れたどんな人間よりも薄い。窓の外を眺め眉間にしわを寄せている聖の表情を鏡越しに見て、部下は視線をそらした。
やはり聖の圧はすごい。身長、筋肉共に豊かであるがそれ以上に表情。普段表情をほとんど変えない聖に少しでも表情の変化があれば圧を感じる。光の差していない聖の黒い瞳には町の夜景が移ろっていた。夜景は夜22時を回っていても明るく、街を彩っていた。まるで腕の中に抱いている女の肌の白さと対比する様だ。
暫くして車は少し繁華街から外れたアパートのようなところに停車する。その前には小さな体の金髪の女が一人。瀬戸唯。彼女の名前はそう書くのだった、これが本当の名前なのかは誰も知らない。彼女がそう名乗るのだからそう呼ばれている。彼女は組の医療班であり、この町で最も有名な町医者のもとで助手をしながら看護師として表向きは働いている。唯は小さく欠伸をすると後部座席に乗り込む。もちろん医療キットとともに。
唯が乗り込むと聖は鏡越しに顎で部下に指示を出す。『病院に行け』ということらしく理解した部下は先ほどとは異なる方向へ走っていく。唯はその間も無言でやせ細った女の身体を毛布で包むなどしながら、全身の確認だけ済ませていた。大方終えるとスマホを取りだし凄まじいスピードでどこかにメールを打つ。どうやら宛先は例の闇医者の様だ。聖もそれを把握しているようで時折女の方に気をかけながら窓の外を眺めていた。




