Ep.46 共犯
「お前は人殺しだ」
昔、PvPデュエルで打ち負かした相手に言われた言葉だ。
当時は単なる負け惜しみだと思って聞き流していたが、どういうわけかその台詞は今でも鮮明に思い出せてしまう。忘れようとすればするほど、頭の中に濃く、染みのように残ってしまうのだ。
「お前は今までもこれからも、善人ヅラして俺たちDプレイヤーの悪行を暴き続けるんだろうな。そうやってお前は、俺たち一人一人の人生を台無しにする。お前さえ何もしなければお咎めなしのはずだった、俺たちの人生をな」
犯罪者らしい、なんとも幼稚な理論だと思った。
第一、悪いのは〈ディスオーダー〉を自分の意志で使っていた彼らの方だ。いずれどこかのタイミングで咎められる罪を、俺は少し早く暴いているだけ。彼らの人生を台無しにしているのは、間違いなく彼ら自身の選択だろう。
それにそもそもの話、「台無し」というのはいささか大袈裟な表現だ。
Dプレイヤーがディスオーダー使用によって問われる罪は、電子計算機損壊等業務妨害罪。その法定刑は「5年以下の懲役または100万円以下の罰金」で、その他に運営側が対応に要した人件費などが損害賠償として請求される。殺人や窃盗などの罪に比べれば、その罰は軽すぎると言えるだろう。
前科者、というレッテルは貼られるかもしれないが——その程度で「台無し」などと喚くような奴の人生なら、本当に終わってしまえばいいとさえ思う。自業自得としか言いようがない。
だが……それからというもの、俺は事あるごとにその言葉を思い返すことになった。
「嫌だ! や、やめてくれ……皆やってることじゃないか!」
「軽い気持ちでやっただけなんだ! 見逃してくれ!」
「俺には妻も子供もいるんだ……だから、だからどうか、こんなことで警察沙汰にはしないでくれ! 頼むよ、金ならいくらでも出すから……なぁ!?」
負けてから後悔し、命乞いのごとく説得を試みる彼らの顔。
自分の人生が「終わる」ことを確信した、絶望の表情。
それらを見るたびに、俺は思い返す。
「お前は人殺しだ」
俺は少なからず、彼らの運命に関与している。
彼らの人生を左右するだけのことを、俺はやってきた。そう考えれば、「人殺し」という表現もある意味では言い得て妙であるとすら思えてしまう。
俺は彼らの社会的地位や信頼を、間接的に殺している。
「お前は人殺しだ」
自業自得、という言葉で自分を納得させるのも難しくなっていた。
俺が自分の手で真正面から打ち負かし、その罪を暴くことで「殺して」きた奴らの顔が、頭に焼き付いて離れない。悪夢にうなされ、夜に寝付けないこともしばしばあった。前期の遅刻の大半はそれが原因だった。
それはまるで、本当の人殺しのように。
自分に言い訳をすることが、苦しくなっていった。
〔【Executor】被害者専用スレ〕
またある時期から、ネットにはそんなスレッドが立つようになった。
内容はおおかた想像通りで、俺によってチート行為を明るみにされた人たちの実体験やそれに対する後悔、はたまた俺個人に対する怨嗟がおぞましいほどに生々しく記述されていた。正直、匿名で投げつけられたそれらの声は、実際の命乞いよりも心にくるものがあった。
「お前は人殺しだ」
そうだ。俺は人殺しだ。
そんな風に言われても仕方ないほどの業を、俺は背負っている。
無為に精神をすり減らすだけのこの撲滅活動を投げ出してしまいたいと思ったことは、何度かあった。〈ディスオーダー〉に手を染めるという選択肢は当然なかったが、俺もみんなと一緒に、アンブレの世界を諦めてしまえればいいと思ったのだ。
しかしその度に、兄の顔が頭をよぎった。
秋夜兄さんが、命をかけて作った世界。
兄さんが弟の俺に唯一残した、叡智の結晶。
思いとどまるには、十分すぎる理由だった。
「お前は人殺しだ」
わかってる。でも、逃げる気にはなれない。
逃げられないんだ。この役目から、俺は逃げたくても逃げられない。
背負うのは俺一人でいい。傷つくのは俺だけでいい。
こんな役目を、他の誰かに任せられない。
そう思っていたからこそ、俺は。
「——わらわとお主は、二人で“最強”だ!」
朔夜を「相棒」にしてしまったことを、心のどこかで後悔していた。
本来なら俺一人が背負うべき役目を、知らず知らずのうちにあいつにも背負わせてしまっていた。あいつの力に魅せられて、縋るように期待した。考えるよりも先に、助けを求めたのだ。
朔夜の純粋さに、俺はつけ込んだ。
「最低だ」
人の悪意に触れても、あいつなら大丈夫だと思った。
あいつはまだ悩むようなこともない、幼い子供だから。
「俺は、最低だ」
どこかのタイミングで、謝ろうと思っていた。
相棒、なんて綺麗な言い方をして騙していたことを、朔夜には謝らなくてはならない。俺は実際には、あいつをこちら側に引き込んで、一方的に共犯者に仕立て上げただけだ。対等な関係、なんてのは都合のいい嘘だ。
ずっと謝りたかった。話がしたかった。
けど、話したところであいつは——
『……そうか。そんなふうに、思っていたのだな』
あいつはきっと、怒りもしないだろう。
むしろ、笑顔でこう言ってみせるのだ。
『けど、わらわなら大丈夫だぞ! だってお主は——』
『██████████!』
あいつは、優しいから。
***
「——朔夜!!」
柄にもなく、大声で叫んで飛び起きた。
どうやら、無意識にあいつの名前を呼んでいたらしい。
時計の針は、3時過ぎを指していた。
嫌な時間に嫌な夢で起きてしまったものだ。
今さらこんなことで悩んだって、遅いじゃないか。
「……ごめんな、朔夜」
俺の上辺だけの謝罪も、あいつは聞いてくれなかった。
けれど、もうこれでいいのかもしれない。
コンビは解散した。
役目を背負うのは、残った俺だけだ。
朔夜が傷つくことは、もうないだろう。
「そうだよ……これでいい。これでいいんだ」
寂しいなんて思うな。あいつの力に甘えるな。
俺は今まで通り、一人で戦い続ければいい。
「傷つくのは、俺だけでいい……」
荒ぶる感情を鎮めるように、言い聞かせた。
俺は布団を被り、それから朝まで泥のように眠った。
◇◇◇
2027 7/17 10:57
カルキノス連邦領第13廃棄地区 旧一番通り
Cafe&Diner《ENZIAN》
翌日、何も予定のなかった俺はアンブレにログインしていた。
土曜日の午前中。休日を過ごすだけの趣味も他にない俺は、いつものように《ENZIAN》に入り浸る。理優も家の中で寝ている分には安全だし、何も懸念するところはない。
「姐さん、依頼は何か来てます?」
コーヒーを注文し、カウンター席に座る。
朔夜のいない店内は、喫茶店らしく物静かな雰囲気だった。ユーガやモニカたちも、今日は心なしか粛々と業務に勤しんでいる。
「依頼ねぇ……来てるには来てるけどさ」
片手間にディスプレイをスクロールしつつも、ジャンヌさんは煮え切らない口調だ。コレットが運んできたコーヒーを受け取った俺に、彼女はなんとも言えない視線を向ける。
「……アンタ、また一人で戦う気かい?」
「はい、それはまあ……。戦力低下は痛いですけど、前と同じようにやるだけですよ。今さら辞めるつもりはさらさらないです」
「ははっ、そうかい。ま、こっちとしてはその方が安心だね」
笑って済ませてくれた彼女は、多分どこかで俺のことを心配していたんだろう。俺が朔夜とのコンビを解消したことでショックを受けていたのは、ここの面々も同じだ。
そんな心配が杞憂であることを、俺が証明しなければ。
「とはいえ……今の俺じゃさすがにランキング上位には敵わないですし、とりあえずは軽い依頼からリハビリがてら——」
コーヒーを一口啜り、カップから口を離す。
それと同時に、店の扉がドアチャイムを鳴らしながら開かれた。入ってきた人影に周囲の視線が集まったので、なんとなく俺も横目で一瞥する。
その人影は、よく通る声で俺に言った。
「——久しぶりやなぁ。クソ狐」
金色の髪に、吊り目気味な紫の瞳。
見覚えがあるようでないその男の登場に、一番早く反応を示したのは他でもないユーガだった。配膳していた食器類を両手から滑らせ、皿の砕ける音を床に響かせる。
「な、なんで……お前が……!」
「ん? 誰やっけ君。俺そこのクソ狐にしか興味ないねんけど」
「……生憎だが、俺もお前には興味ないな。誰だか知らないが、ここはお前みたいなチンピラが来るべき場所じゃない。帰ってくれ」
「あらら、覚えてへんの? 嘘やん、ショックやわ〜」
へらへらと笑い、男は挑発するように目を細めた。
既視感があるようでない。脳の片隅で、記憶が燻るようだ。
俺が忘れているだけだろうか。
まさか本当に、俺はこの男と面識があるのか?
「——ほな、思い出させたろか」
不敵な笑みを浮かべて、男は言った。
「【虚装構築】」
そんな掛け声とともに、男の体は光を放ち戦闘体を構築する。あろうことか店内で戦闘態勢に入ったことよりも先に、俺は男の展開してみせた装備の方に驚いていた。
(あの剣……炎……)
軽量のブレードに、手足に装着された加速装置。
紫色の炎と煙を纏うその姿に、俺は確かな見覚えがあった。
(まさか、こいつ——!)
既視感が確信に変わる。
しかし、そのせいで俺の行動はワンテンポ遅れることになる。
男はブレードを振りかざし、店内に無数の斬撃を飛ばした。
「ハハッ……その目、思い出したみたいやなぁ!」
切り刻まれる店内、ニタリと男が笑う。
俺はすぐさま武装を構築し、銃剣で男に迫った。
この装備、この話し方……間違いない。
こいつは「あの日」——俺と朔夜が出会った日、ユーガと戦っていたDプレイヤーだ。俺は確かにあの日PvPデュエルでこいつを下して、証拠とともに運営に突き出した。
それなのに、何故。
「——殺す」
どうして、お前がここにいる。




