侵食
──急がないと。
ディアナ・フェルミ大尉は焦ってはいないが、急いでいた。
彼女は速やかにマーラと合流し、組んでからこの試験に挑む予定だったからだ。
だが、ディアナがスタート地点として誘導されたのは森の中にある、壁が壊れて地面が剝き出しになっている小屋だった。
海沿いの道で合流する予定だったので、移動が大変な距離である。
その半壊した小屋は木を切る生業の人の休憩所だったのだろう。斧の柄が転がっていた。
ディアナは速やかにリュックの中身を確かめ──なぜか潜水用機材だった。彼女はほとんど泳げない──道具は無視して、戦闘用にいくつか土人形を創り出した。
ディアナ・フェルミは人形遣いだ。
魔法で生成した土人形を操り、戦闘を行う。
それ以外にも汎用的な魔法はいくつか使用できるし、最低限の接近戦スキルもあるが、それらはあくまでも補助用のものでしかない。
土人形を中心に組み立てた戦闘術は初見殺しに特に長けていた。
更に誰にも内緒の奥の手があるが、そちらは今回の試験で使うことはないだろう。
ディアナは剥き出しになった床部分の土を材料に、土人形を三体創り出したところで、ふと気づいた。
異音だ。
何か、軽いものが窓ガラスに当たる音。
それが、二度、三度。
ディアナは一瞬だけ敵襲を警戒するが、さすがにまだ開始して間がない。そこまで攻撃的なスタイルの人間がいるとは思えなかった。リスクが大きすぎる。
──窓に木の枝が当たりました?
大鷲に運ばれてきたから森の中を歩いてきたわけではない。
だが、小屋に入る前に、周囲に空き地があったことは覚えていた。
風でも強くなったのかな。でも、別に吹き込んでないし──と、ディアナは顔を上げて絶句する。
窓の外には、違和感しかなかった。思わずうめき声。
「っ!? これは……?」
木の枝が窓を突き破らん勢いで当たっていた。
いや、壊れた壁の隙間から木が入り込んでいる。
そして、いつの間にか小屋を囲む周囲の、森林密度が異常に濃くなっていた。
ディアナが慌てて周囲を見回すと、小屋を圧迫するほど周囲の森が成長していた。
――い、一体、何が起きているの?
考える間もなく荷物を掴み、作ったばかりの土人形を先導させながら小屋から出ようとする。
しかし、扉は外側から押さえつけられているのか、既に開かない。即座に窓からどうにか這い出た。
そこでディアナは絶句する。
「──冗談でしょ……っ」
木、樹、大木。
外にあった空き地がなくなり、その空間に新たな木が生まれていた。
何が起きているのかディアナには分からない。
分からないが、このまま木が増え続けた場合、圧死する可能性さえある。
既に成長した木で動けなくなりそうだ。
ディアナは土人形を操って小屋の屋根に上った。
ここなら少しの間は逃れられるだろう。
そこで冷静になって周囲を見渡すと──木が目に見える速度で成長していた。
周囲の全ての木が、である。
いや、屋根上という高い視点になって分かったが、かなり遠くの木も成長していた。
ただし、こちらを積極的に拘束する動きなどは見られない。
特異な動きを見せるわけではなく、ただただ成長しているだけ。
これが何らかの能力だと仮定すると、そこまでの操作性がないのか、それとも、今は成長させることに専念させているのか、まだ判別できない。
それと能力者はどちらだろうか?
『竜騎士』マクシム・マルタンである可能性は低い。
先ほど見たが、竜を操ってこの島に来ていた。
それと、この植物に作用する能力を併用している可能性は低いとディアナは判断した。
まだ断言はできないが、この能力の規模は島全体に及んでいる可能性が高いからだ。
いくらなんでも強すぎる。
竜を操り、樹木を島全体で成長させるほどの特異能力者……さすがにそこまで強力な人間が存在するはずがない、というディアナの希望的観測であった。
となると、これはジャンマルコ・ブレッサ特務大尉の仕業だろう。
無差別に、この広さに作用できるとしたら特務の地位にあるのも納得だった。
カテゴリーは英雄クラスの怪物。
紛れもない強敵だが、ディアナは冷静に切り替える。
──どうやって脱出しましょう。
木は成長しているが、直ちに小屋そのものを押し潰す様子はない。壁の隙間から入り込んでいるが、その程度で済んでいる。
だから、小屋の中に入れば、しばらくは耐えられるかもしれない。
だが、敵に生殺与奪の権を委ねるのは恐ろしいことだった。
いつ気が変わってこちらを木で圧迫させるか分からないなんて、しかも、持久戦では間違いなく不利な状況で耐え続けられる神経は持ち合わせていない。
「くそがっ……」
ディアナは口汚く毒づく。
この能力がジャンマルコ特務大尉だとしたら、ありえない規模と威力。
正直、勝負になる気がしないほどの力量差を痛感していた。
だが、もちろん、諦めるという選択肢は存在していない。
ディアナは脱出手段を探るため、土人形を上空へ飛ばす。
飛行魔法ではない。
そんな高度な魔法は併用どころか、そもそも使えない。
射出に近く、着地次第では一体が無駄に壊れる奥の手の一つだ。
上空へ打ち上げた土人形の目を借りてディアナは周囲を見渡す。
どうやら島の中心よりはかなり東側に位置しているようだ。
海もこの木の圧迫を抜けられれば、たどり着くことはできそうだった。
問題はあまりにも木の密度が高いということ。
道は見当たらなかった。最初からなかったのか、木が成長してなくなったのかは判別できない。
土人形は木の上に落下したため、衝撃が吸収されて壊れなかった。
ディアナは安堵の吐息を漏らしながら──新たに土人形を作るのも魔力と体力を消耗するため──考える。
木を一本一本切り倒しながら進むことはディアナには難しい。
木そのものがまるで強化されたかのように頑丈に柔軟になっている。
試しに土人形で木をなぎ倒そうとしたが、全身全霊でも難しそうだ。こちらの魔力が尽きる方が早いだろう。
そこでふと上空からの視界を思い出す。
緑の絨毯のような森の中で、少しだけ薄い箇所が少し西側にあった、ような気がする。
それほど大きくはないが、木とは違う低い緑。
ディアナはその正体を考えて思いつく。
「あ、湖?」
そうだ!
小屋があるということは水場も近かったということで、薄い色なのは藻か水草が湖の上を生えているのだろう。
そこまでいけば川から海まで行けるかもしれない。
問題はそこまでどう移動するか。
それに、川にたどり着いてもディアナはほとんど泳げない。
そこで彼女はふとリュックの中身を思い出す。
潜水装備。
出来過ぎのシチュエーション。
──いやいや、それは……。
ディアナは想像する。
まず、土人形の射出で、この木の囲いから脱出。
着地点は湖上になるように調整する。
そこからは潜水装備で川下りだ。
「……嘘でしょ……」
気がつくと周囲を囲む木の圧迫感は刻一刻と増している。
ほとんど博打のようだが、決断するタイミングは今しかなかった。
ディアナは絶望感の苦味に顔をしかめ、半ば泣きそうになりながら脱出の準備を始めた。




