『士』隊舎にて その五
オリンピオ・マルターニ大尉はジャンマルコ・ブレッサ特務大尉に毒を入れた。
しかし、ジャンマルコは何の異常もなさそうだ。
最悪の場合、内臓が腐るくらいの毒だったのだが、おかしい。
それ以上におかしいのはジャンマルコがオリンピオの前に立っていることだ。どうして彼が今ここにいるのか本当に理解できない。
いや、立っているだけであれば良いが、体をぶつけてきたのだから狙っていることは間違いない。
ただ、オリンピオが言葉を失っていたのは本当に一瞬で、すぐに挨拶を返す。
「ジャンマルコ特務大尉、奇遇だね」
「そうかな」
「人にぶつかったら謝罪すべきじゃないか」
オリンピオはすぐに批判の意味で言葉を続ける。先ほど彼からぶつかってきたことを、わざとらしいかもしれないが、非難の意味で視線に力を込める。
「それはすみませんね」
全く謝罪の意志が感じられない。
というよりも、目の奥に値踏みする光があった。
明らかにオリンピオが毒を入れたことを知っている雰囲気があった。
ジャンマルコ特務大尉は皮肉げに言う。
「体がぶつかるよりも無礼なことってあると思うんだけどね」
皮肉。
確実にバレている。
だが、オリンピオもプロだ。
証拠は残していない自信があった。
「そうかもな。だが、もっと無礼なことがあるから無礼を働いて良いとでも?」
「時と場合次第じゃないかな」
「かもな。まぁ、良いや。俺は用事があるんでこれで」
「いやいや、オリンピオ大尉、僕はあなたに用があって来たんだ。少し時間をくださいよぉ、ねぇ」
「改めてくれないか。用事があると言っただろ」
「僕の用も大切なんだ。ああ、これは頭領からの指示でもある」
「……お茶を一杯飲む時間だけなら」
「十分だよ」
ジャンマルコ特務大尉はさっさと歩き出した。
一瞬だけオリンピオはこのまま逃げようか考えたが、問題の先送りにもならない。大人しくついていく。
道中会話はなく、連れて行かれたのは公園だった。
酒場などではないことに、そういえば、十五歳だったなと再認識する。まだ呑む時間帯ではないが、喫茶店でもないことに若さを感じた。
ジャンマルコ特務大尉は片隅にある自動販売機で缶ジュースを購入する。すぐ近くのベンチに座ってから両方を突き出してきた。
「はい、どうぞ。好きな方を取って良いよ」
「どうも」
どちらも甘い炭酸飲料。ただ、オリンピオは飲む気がなかったので大人しく受け取った。開封もしない。
ジャンマルコ大尉は美味しそうに飲み、そして、口を開く。
「僕以外の参加者にも毒を盛るつもりだったの?」
「? 一体、何を言っているんだ、お前は」
「ああ、とぼけるタイプなんだね。意外だなぁ」
オリンピオはここに来るまでに心は決めていたので一切動揺しなかった。
どういうタイプだと思われていたのかは正直、気になるが、軽く小首を傾げて言い返す。
「お前がこちらを値踏みしているのは分かるが、何のことを言っているのか分からない。せめて説明をしてくれないか」
「僕、こういうの苦手なんだよね。でも、どうして汚い手を使ってまで勝ちたい理由が分からなかったんだ」
ジャンマルコ特務大尉は特に説明をする気がないようだ。
思いついたことをダラダラと喋るような態度だ。
オリンピオはため息をついて降参する。
「……楽に勝とうとして問題があるか?」
「問題あるし、僕には文句を言う権利もあると思うんだ」
「分かった。謝る。もうお前は狙わない。それで良いだろう」
「良くないけど、いや、違うな。実のところその件は別に問題はないんだよ」
本当に問題がないのであれば、ジャンマルコ特務大尉はわざわざ会いに来るわけがないのだ。
オリンピオは「悪かったよ」と再度謝る。
「問題がなくてもこちらに何か要求をするつもりなんだな。言っておくが試験を放棄するつもりはないぞ」
「繰り返すけど、問題は毒物を入れてまで勝ちたい理由は何があるか、なんだよね。だから、頭領も調べろと命じた」
あえて謝ることで意識を逸らすつもりだったが、それも失敗したようだ。
オリンピオは押し黙って、ジャンマルコ特務大尉の言葉を待つ。
「あなたが『与力』の野望、つまり、『士』打破の橋頭堡であることは分かっ――」
ジャンマルコ特務大尉が喋っている途中、オリンピオは服の下に隠していた手のひらの長さの短刀を彼の首筋に突き刺した。
躊躇はない。
何の予備動作もなかった自信がある。
自分が『士』の下部組織――『与力』と通じていることまで知られているとは思わなかった。このままジャンマルコ特務大尉を始末して身を隠すか、それとも、ごまかすために残るか、どちらにせよ全力で彼を排除が必要だ。間髪入れずに襲いかかった。
タイミング的にも避けられなかったし、実際、間違いなくジャンマルコ特務大尉の首に短刀を刺した。
しかし、刺さらずに接触しただけだった。あまりにも奇妙な手応え。硬いとも柔らかいとも違う、言語化できない感覚。
「!?」
オリンピオは混乱する。
『士』の大尉である彼は戦闘経験が豊富だ。
だから、人を殺す際の手応えを熟知しているし、仮に防がれたとしても『あとどれくらい力を込めれば殺せるか』は分かる。いや、分かると思っていた。
だが、その感覚がまるでなかった。
「っ!」
今一度ジャンマルコ特務大尉を刺そうとするが全く同じだった。今度は全身全霊の力を込めて刃を押し込んだが、何の意味もなかった。
まるでジャンマルコ特務大尉には通用しない。
彼が何らかの手段を講じたことは間違いない。だが、魔法や魔道具などを使った形跡や挙動がなさすぎる。備えている者特有の気配がない。
あまりにも自然体。
――特異能力者だろうか?
可能性は高い。
特務大尉という地位もその能力のおかげか。
だが、仮に防御特化型だとしてもその種類が謎過ぎた。少なくともオリンピオの経験や知識の中にはない。
ジャンマルコ特務大尉は首筋に短刀を突き立てられた状態のまま、のんびりと言う。
「そんなに怯えて攻撃しなくても良いじゃないですか」
一切動きを見せない。
反撃に転じる様子もない。
それくらい余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》だった。
その時、オリンピオはとても信じられない情報を思い出していた。
――ジャンマルコ・ブレッサ大尉は『武道家』に単身勝利した、と。
まるで信じていなかったが、もしかしたらそれは真実なのかもしれない。そう感じていた。
「……逃げさせてもらう」
オリンピオは返事を聞かずに走り出す。
走力については『士』の中でもかなり自信があった。反撃に転じるにしろ、一度距離を取りたかった。
だが――
「無駄ですよ」
耳元で囁かれてオリンピオは背筋が凍る。
そして、違和感に襲われる。
確かにオリンピオは走り出したし、公園から離れて距離も取った――と思っていた。
だが、景色が変わっていなかった。
いや、違う。
走ったと考えたのはオリンピオだけで、一歩も動けていなかったのだ。
彼は公園のベンチに座ったまま微動にしていなかった。
何が起きたのかは分からないが、何かが起きていた。
オリンピオは思考が凍る。理解できない事態が起きていた。幻覚でも見たのだろうか? 違う。そういった手段とは異なる。何か次元の違う能力をかけられた感触。『士』として蓄積した勘が警鐘を鳴らす。
このジャンマルコ・ブレッサ特務大尉は異常だ。
「さて、あなたにはいろいろ聞きたいことがあるから連行するね。とりあえず、『士』の中枢へ上り詰めるという計画は不可だから」
そんなジャンマルコ特務大尉の言葉と共に、訪れる強烈な一撃。
顔面への激痛を感じた次の瞬間、オリンピオは気絶した――。
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オリンピオ・マルターニ元大尉。
昇任試験参加前に失格。
なお、この件で『与力』による『士』への反逆計画は大幅な修正が必要になる。
オリンピオへの尋問で『与力』の情報を大量入手し、『士』たちはその芽を大量に潰すことに成功するからだ。




