社長の苦悩
総合人材派遣会社『メイド天国』社長であるエンリコはため息を吐く。
それは彼の苦悩を物語っているように、深く、重い。
──ユーゴー……。
まさかユーゴーが殺されるとは思っていなかった。
いや、その前にアダルジーザが殺されたことを考えると、エンリコの考えが楽観的に過ぎたということだろう。
アダルジーザは仕方なかった、と納得できる面がある。
現在、起きている『案山子』の関与したと思われる殺人の共通点を考えれば、その意図も想像できたからだ。
アダルジーザはメイド天国にいる呪詛蒐集能力者で最もエンリコに近い立場にあった。
故に、知ってはいけないことも知っていた。
だから、彼女の次に殺されるとしたら、エンリコ自身だろうと考えていた。
予想ができていたからこそ、大した能力も役割も負っていないユーゴーが殺されたのは意外だった。
いや、そんなこと外部にいる『案山子』に分かるわけがないのか。
誰がどれだけ知っていたか、実働していたかなんて把握できるわけがないのだ。
──いや、本物の『案山子』であれば把握も可能なはずだが……。
それはあくまでも想像だ。
想定される『案山子』ハセ・ミコトの能力が、英雄ハセ・ナナセに匹敵するものであれば、把握するくらいは容易いはず。
ただ、可能かもしれないが、把握しているかどうかをエンリコたちの立場からは分からないというだけ。
その場合、メイド天国にいる関係者は皆殺しだろう。
鏖殺することが目的だから順番も役割も関係ない。
『案山子』の能力を考えると、その想像は非常に現実感があった。
エンリコはため息を吐いて、小声で歌い始める。
「かーかーし、なぜころすー。かかしはやさしいー。くーるしい、こーのぉよからときはなつー」
案山子何故殺す
案山子は優しい
苦しいこの世から解き放つ
子どもの頃に聞いた童謡だ。
おそらく何か別の童謡の替え歌で、全体は覚えていないが、その部分だけは覚えていた。
資料を紐解くと、英雄である『案山子』ハセ・ナナセは比較的善良な人格をしていたらしい。
実際、『案山子』は相手に苦痛を与えない殺し方をしていたようだ。
相手のことを考え、理解できないうちに瞬殺する。
人殺しではあるが、いや、人殺しであるからこそ、それは異常さの表れかもしれない。偽善ですらない。ただ、最も冷徹に人を殺すために痛みなどという余計なものさえ不要なのだ。
冷静にそう考えている自分にエンリコは苦笑する。
エンリコは自分が殺されるかもしれない、という今の状況が怖くないわけではない。
ただ、この仕事に手を染めることで覚悟を決めていた。
「かーかーし、なぜころすー。かかしはやさしいー。くーるしい、こーのぉよからときはなつー」
再度歌いながら、エンリコはふと思う。
英雄である『案山子』ハセ・ナナセは、本当に何を考えて生きていたのだろうか、と。
彼女は最強の殺し屋だった。
その気になれば彼女を止められる人間はいなかったはずなのだ。
他の英雄たちも止められない存在なのに、彼女は表舞台に立つ前、何故か殺し屋として使役されていた。
それは不可解なことだった。
金、だろうか。
たとえば、借金があって支配されていた、とかどうだろうか。
しかし、それでも疑問が生まれる。
お金を借りた相手を殺してしまえば良い。
防御不能、圧倒的な殺人能力があるのだから支配されるという状態が想像できなかった。
──強くても世の理からは逃れられないだけ、か。
昔、エンリコは『士』の一員として治安維持のために理想を持っていた。
理想的な、平和な世界が実現できると思っていた。
それが不可能だと悟るのに、それほど長い時間は必要なかった。
基本的に『士』は外界からの侵略──『魔王の眷属』たちに備えた存在だ。
もちろん、国内の不安にも対応できるし、そのために活躍することもある。治安出動で陰ながら国を支えてきた。
だが、『士』という存在そのものが不安だとしたら?
それはどうしようもない袋小路。思考の停滞地。
エンリコが『士』を辞したのは、理想と現実のギャップに耐えられなくなったからだ。
そして、今の仕事を始めたのもそのため。
「ただ、中途半端なんだよな……」
それがエンリコの正直な感想だった。
『士』の人間と完全に決別するわけでもなく、中途半端に関与している状態。
別に自分が愚か者で卑怯者でなんて考えているわけではない。
ただ、七件の殺人を見て、それを世論にバレないようにしている姿は、道化じみていると感じていた。
『案山子』が関与していると目される、全七件の事件には共通点があった。
それは殺人が人目につく場所で行われていたという点。
つまり、必ず目撃者がいたからすぐに殺人が発覚したのだ。
『隠す気がない』という共通点。
それは『隠す必要がない』とも言えた。
点を線で結んだ結果、だからこそ、『案山子』を連想させたのだ。
──と、その時だった。
「あの、社長」
人がやってきた。
呪詛蒐集能力者としては最低ランクだが、一応、『メイド天国』の秘密も知っている若い女性。
目の下に濃い隈がある。
ただ、それはこの場にいるはずのない人間だった。
「おや、ミッチェン。確か君は『竜騎士』たちに呼ばれていたはずでは?」
ミッチェンは気まずそうに言う。
「テルツァさんが代わりに行くって言ってくれて」
「『竜騎士』サイドのオーダーは君だったんだが?」
「……私が怖くなっちゃって」
「それじゃあ問題があるだろ……」
「それと、ちょっと社長に言いたいことがあって」
「それは後でも構わないだろう」
「大切なことです」
「じゃあ、とりあえず、言ってくれないか」
「実は――」
ミッチェンが何かを言おうとした、次の瞬間だった。
「あれ?」
何か違和感があった。
ミッチェンが驚いたように口を中途半端な形で開けている。
「え、社長、それ……!」
「ん?」
不思議なことがあった。
ミッチェンの視線はエンリコの胸元に向いていた。
エンリコはゆっくりと視線をそちらに向けた。
血が見えた。
流血だ。
そして、空洞があった。
角度があるので、貫通しているかどうかは見通せない。
ただ、明らかに胸から背中まで、拳くらいのサイズの空洞が空いていた。
それは『案山子』の基本的な殺害方法だ。
ただ、痛みはなかった。
まるで現実感がなかった。
エンリコはゆっくりと視界がブラックアウトする。
ああ、このまま死ぬのだな、と気づいたが、抗えない。
悲鳴も上げられない。
苦痛のない死。
『案山子』の優しさを痛感しながらエンリコは意識を失った。




