来訪者
名探偵である『W・D』は推理において全く頼りにならなかった。
あまりにも根拠がなくて、ユーゴー殺害の犯人が本当にカルメン大佐なのか、マクシムは半信半疑だった。
マクシムは無駄だと思いつつ、一応訊ねる。
「犯人はカルメン大佐って言うけどさ、その動機は分かっているの?」
「分からないぜ」
「名探偵……」
「調べるしかない──いや、とりあえず、待てば良いぜ」
「待つ? 待つって何を?」
『W・D』は答えることなく、そのまま床で休み始めた。目を閉じ、小さくなる。
ホテルのマクシムの部屋である。
高級なだけあって、ベッドはダブルだし、ソファーも一流のものが備え付けられている。
(どうして床にいるんだろう、犬だからかな)とマクシムが考えていると──トントンとノックの音がした。
『W・D』がのそりと顔を起こしながら言う。
「来たな」
マクシムはナタリアと顔を見合わせる。ルームサービスや掃除は頼んでいない。一体、誰が訪ねて来たのか心当たりがなかった。まさか、『士』の人間? カルメン大佐だろうか?
マクシムは警戒しながら扉を開ける。
そこにいたのは、明らかにホテルの女性従業員だった。
「えーっと。どうしましたか?」
「ルームサービスのティーセットをお持ちしました」
「いえ、頼んでませんけど……」
「え、そんなことは――」
従業員は部屋番号を見て、メモを見て、混乱している。
マクシムはそれ以上の会話は止める。
何となく押し問答は無駄だと思ったので、「ありがとうございます」と礼を言い、デザートとティーセットを受け取った。
カップは四人分だった。
そして、その時、誰かが言った。
「頼んだのは自分であります!」
マクシムとナタリア、シラの三人は一斉に声の聞こえた方向──部屋の奥を振り返った。
そこにいたのはヒトトセ・リョウ。
彼はゆったりとソファーに座ってくつろいでいた。
マクシムは驚いて目を見開く。
それはナタリアやシラも同様だった。
「一体、いつ、いや、どうやって」
ヒトトセ・リョウはにっこりと笑う。
「何のことでありますか?」
とぼけるヒトトセ・リョウに「何のこと、じゃないぜ」と『W・D』が立ち上がりながら言う。
ヒトトセ・リョウは目を丸くする。
「え」
「大したトリックじゃないぜ。動揺するな」
「い、犬が喋ったでありますか!?」
『W・D』はヒトトセ・リョウの驚きを無視して言う。
「入り口に人が来た、そちらに意識を集中させている間に窓から侵入した。それだけだぜ」
「どうしてそんなことをするのさ。ここ最上階だよ」
「最上階はルーフバルコニー付き特別プランだ。その気になれば最も入りやすいぜ」
「いや、そうかもしれないけど……」
「相手の意表を突いて、主導権を握る。それだけだろう。大した意味はないぜ」
そして、相手の意図を叩き潰した結果、『W・D』が主導権を握っていた。
彼が床で寝そべっていたのも、ヒトトセ・リョウから見えないように低い体勢になるためだったのか、とマクシムはようやく意図を理解した。
ただ、どうしてヒトトセ・リョウがこの部屋を知っていて、このタイミングで現れることが読めたのか、それは分からなかった。
それこそ、名探偵だから、という答えで説明は済むと思ってしまいそうだ。
ヒトトセ・リョウは少し赤くなりながら言う。
「いやいや、それよりも喋る、犬!」
「うるさいぜ。俺のことを犬犬言うんじゃないぜ、人」
ヒトトセ・リョウは口をパクパクさせながら何も言い返せなくなっている。
完全に名探偵の勝ちだ。
『W・D』はマクシムたちに言う。
「いいから早く座れよ。『案山子』の話をしてくれるんじゃないか」
+++
「今回の殺人について『案山子』は関与してないであります」
ヒトトセ・リョウはそう言った。
『W・D』のことは自分の中で折り合いがついたのか、もう触れなかった。
ティーセットは彼の手ずからお茶を淹れた。
マクシムたちは少しだけ警戒して飲むことに躊躇したが、ヒトトセ・リョウは美味しそうに飲み始めた。警戒が馬鹿らしくなり、四人でお茶を口にしてから、彼はそう切り出したのだ。
──今回の。
つまり、ユーゴーの殺人事件についてだろう。
しかし、どこでその情報を仕入れたのか、それも不明だった。
『W・D』は言う。
「知っているぜ」
「え?」
「それより、だ。俺としてはあんたの正体が気になるぜ」
「自分は『案山子』の名代であります」
「ふーん。そういうことか。なるほど。分かったぜ」
『W・D』はそれで全てを納得したのか、ひとつ頷いた。
そのまま『W・D』は再び目を閉じて休み始めた。
マクシムは唖然とする。
「え、あの『W・D』さん?」
『W・D』は面倒くさそうに片目を開けてボソッと言う。
「……お前らはお前らで聞きたいことを聞け。どうせ向こうの目的はもう終わっている」
「もう終わっている? どう意味さ」
「ああ。ユーゴーの殺人に『案山子』が無関係って話が伝えたいだけだぜ。もう俺に知りたいことはない」
だから、休むと言ってから再び『W・D』は目を閉じてしまった。
もう事件の全貌を掴んでしまったというのか、あの会話だけで。
いや、マクシムが経緯も伝えてはいるが、つまり、それは同じだけの情報はこちらも持っているということだ。
これが名探偵。
マクシムは驚きながらも、今自分にできる最大限の原因究明を行おうと思う。
「ヒトトセさん。ひとつ質問して良いですか」
「はいであります!」
「どうしてあなたは僕らにコンタクトを取るんですか」
「? どういう意味でありますか」
「『案山子』は人を殺していないんですよね」
「はいであります。『案山子』はもう人殺しではないであります」
「じゃあ、そもそも、僕らのところに出てこなかったら良いじゃないですか」
そう、本当に『案山子』が無関係なら無視するのが一番なのだ。
ヒトトセ・リョウの行動は疑われる切っ掛けを作っているようだと、マクシムは感じていた。
ヒトトセ・リョウは少しだけ苦笑しながら言う。
「それは『竜騎士』たちが途中から参加しているから、そう考えるでありますよ」
「途中? どういう意味ですか?」
「既に『案山子』が疑われている状況に、あなたたちが参戦してきたのであります」
ヒトトセ・リョウはゆっくりと、噛むようにして説明をする。
「現在の『案山子』の関与が疑われている殺人事件は現在時点で七件あります。
あなたの知るのはユーゴーと『メイド天国』従業員のアダルジーザの件だけかもしれませんが、『案山子』の関与が疑われている事件は、それ以前にも五件も起きています。密室殺人や不可能殺人も『案山子』なら可能。呪詛が観測されているのが根拠。そういう疑惑です。自分は『案山子』の疑いを晴らすために動いているであります」
「そうなんだ。じゃあさ、『案山子』に会わせてよ。それでずいぶん解決するからさ」
「それは無理であります」
「秘密主義が疑いを濃くしていると思うんだけどなぁ……」
マクシムは後頭部を掻きながらぼやく。
そこでナタリアが提案する。
「それではこちら側の重要人物と会うというのはいかがでしょうか」
「『案山子』は無理であります」
「いえ、ヒトトセ・リョウ様。あなたに提案しています。会うのはあなたですわ」
「自分で、ありますか……?」
「ええ。疑いを晴らしたいのであれば、コミュニケーションを取り、誤解を取り除くことが一番の近道だと思いますから」
ヒトトセ・リョウはナタリアの提案に驚いたようだった。
「自分……。なるほど。それなら大丈夫であります」
ヒトトセ・リョウは頷いた。
あまりにもあっさりとした態度でナタリアは驚いた。念押しの意味で確認する。
「一応、『案山子』ハセ・ミコト様に確認された方がよろしいのではありませんか?」
「いえ、自分の行動については裁量がありますから大丈夫であります。それで、自分は誰と会えば良いでありますか?」
ナタリアはマクシムに頷いた。
マクシムが彼女に代わって提案する。
「ダメだったら言ってくださいね。というか、こちらもアポを取っているわけではないので、断られる可能性がありますが……」
「構わないであります。あなたが言う通り、自分も歩み寄りは必要だと思うであります」
「ありがとうございます。会って欲しいのはメイド天国従業員のミッチェンさんです」
「分かりました。会いましょう」
ヒトトセ・リョウはこの件を快諾した。




