勇者編 『案山子』の依頼人 前編
それはある特別な殺し屋について。
伝説の存在だが、あまりにも異常すぎて実在しているとは思われない。
だが、確かに実在している殺し屋だ。
その殺し屋の少女は獣人種である。
年齢は二十前後に見えるが、獣人種の場合は外見から年齢が測れない。
背は高く痩せ型。
長い黒髪でおしとやかな容姿をしている。
深窓の令嬢と言われてもおかしくはない。
言い換えるとやや地味にも見える。
だが、その少女は深窓の令嬢の世話をする立場――メイド服を着ていた。
その少女はただのメイドではない。
知る人ぞ知る、『案山子』というコードネームを持つ究極の殺し屋。
ハセ・ナナセである。
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「今回殺した男はこれね」
ハセ・ナナセは殺した相手を処分するためにその家に訪れていた。
死体のあるそこは個人の居室である。
1LDKのマンションだ。
都会にある普通のシングル向け――比較的高級な物件だ。
周囲の家の洗濯やらの環境音が聞こえてくるが、日常的なものだ。
そして、リビングのソファーに座っていたのがターゲットとなった一人だ。
目つきは悪いが、中肉中背の普通の男だ。
ただ、心臓が停止しているだけ。
心臓発作で死んだのと変わりない。
ナナセは死体をごろんと床に転がし、それから持ってきた厚手の袋に入れる。
特注品で、人を入れても破れないし、外からは透けて見えない。
まだ死体は固まっていないのでそのまま詰め込む。入口に台車を置いているので、それに載せてエレベーターで運び出すが、獣人種の腕力ならそう重くもない。
エレベーターがなければ、そのまま手で運ぶことも容易い。痩せ型のナナセでも人間種の成人男性よりはよほど腕力が強かった。
ハセ・ナナセは安全圏からどんな相手も殺害する能力者だ。
無敵にして最強。
ありえないほど強力だからこそ伝説化されている。
だが、その死体を処分することはできなかった。なので、直接的に手を汚す必要がある。
掃除をするためにメイド服。そういうサービスだと思われるために必要な服装だった。
だが、ここは元々この男の居室ではない。
買われている家具も女性モノばかりでサイズもセンスも男に似合っていない。
ここに住んでいた女性の姿はどこにもない。
おそらくはこの男にどこかへ売られてしまったようだ。現在の所在どころか生死すら不明。
この男から情報を引き出すことは仕事内容に含まれていないので推測でしかないが、若い女性だったのだろう。
そして、男は売り飛ばした女性の家を隠れ家として暮らしていた。
それほど長い年月ではないはずだ。
周辺住人とのかかわりがあるだろうし、あくまでも一時的なものだろう。
いや、そういう性癖なのかもしれなかった。売り飛ばした女性の家で暮らすことで性的充足を感じるタイプ。
だが、ナナセにとっては興味ない。
そういった背景は想像するが、あくまでも掃除しながら考えるだけ。事実かどうかは分からない。
掃除に集中しながら、ふと考えるだけ。
『案山子』が殺したのは仕事だから。
人身売買をしていた悪人だからは原因かもしれないが、ナナセにとっては無関心なできごとだ。
別に善人を殺すことだってあるだろう。
無関係なのだ。
殺された理由なんてどうでも良い。
ただ、依頼されたから殺した。
そこに正邪も善悪も区別はない。
今掃除しているのもそちらの方が何となく気持ち良いから綺麗に掃除をしておこう。
それだけだった。
「普通の人って死体の処理、どうしているのかしら」
普通の人は死体の処理などしない。
だが、ナナセにそんな指摘をしてくれる人などいない。
そもそも、昔いた彼女の仲間たちは殺しを仕事にしていた。
人殺しが彼女にとっての普通の人。
その中からたった一人生き残ったナナセが『案山子』に至っただけ。
殺し屋の頂点である『案山子』は特別だが、ナナセたちにとっては普通の生業だった。
彼女にとって殺しは日常的なものに過ぎない。
掃除と変わらないのだ。
掃除との違いはナナセにとって楽しいかどうか。
ナナセが殺した後に死体を処理するのは、そちらの作業は嫌いではなかったからも理由の一つだった。
失禁で汚れたソファーを綺麗にし、カーペットやテーブルも綺麗にする。
心停止させただけなので出血はない。
すぐに『案山子』の手で部屋は綺麗になった。
ここで人が死んだなんて誰も信じられないだろう。それくらい綺麗になった。
元の住人が戻ってくることはないだろうが、すぐに住めるくらいの美しさだ。
掃除道具を死体と一緒に袋に詰めながら、ナナセは楽しくなって口の中で歌を歌う。
かかし なぜよごす
かかしはきれいずき
よりおへやをきれいにする
即興の歌は適当だ。
ナナセの歌が上手いせいか、ミュージカルの一節のようになっている。
メイド服は効率的だ。
掃除の汚れも気にならないし、身分を隠す役にも立つ。
心臓を握りつぶすにしても、首の骨を折るにしても、わかりやすい殺傷の痕さえなければ、彼女は掃除をしているだけだ。
仮にこの場を見られたとしても、掃除をして死体を遺棄しようとしているかもしれないが、殺したことまでは分からないはずだ。
そもそも、メイド服を着た殺し屋なんて現実的ではないだろう。
念のためというなら死体を放置すべきだ。
ただ、ナナセはあまり死体を放置したくなかった。
死体は腐る。
腐ると部屋が汚れる。
それが嫌だった。
潔癖症一歩手前の綺麗好き。
だから、すぐに死体が発見される場合は放置することもある。路上で歩いている時に殺害した場合などだ。
そもそも、そういう場合は通報されて病院に運ばれるので手が出せないだけだが。
ナナセが片付け終えて一息ついた時だった。
ぴんぽーん
家のチャイムが鳴った。
ナナセは動じない。
誰かが見に来たのかもしれないが、居留守を使うだけ。鍵はかけているので、そこまでして入ってくることはない。
だが。
ガチャ
扉が開く音が聞こえてきて、さすがに目を見開く。
チェーンもかけていたはずなのに何故? 誰が? 元の住人が戻ってきた、あるいは同居していた……いや、その可能性は低い。
「仕方ないか」
侵入者――その言い方が適切かは分からないが――の殺害も視野に入れていると、入ってきた誰かは言う。
「『案山子』、我は殺さないでくれよ」




