長い一日は終わりへと
お待たせしました―――!!
遅くなってしまい申し訳ありません。
「……今日はここまでですね」
「…っ、終わった…………」
地面に寝そべりながら、俺は今まで溜まっていたありったけの気持ちを込めて心情を吐露した。
「…大丈夫?」
実態に戻ったアリスが俺の顔を覗き込みながら心配してくれる。
…そういや、久しぶりに聞いたな、アリスの声。
「ああ……大丈夫だ。心配してくれてありがとな」
もう何年も聞いてない気がする。
それくらい濃密だったのだろう。
この打ち合いは。
あれから沙織さんとやった乱打ちという名の一方的なリンチは俺が一太刀も入れられずに終わった。
身体中は切り傷だらけというよりも打撲の後で凄い事になっていた。
それも沙織さんが避けるどころか刀の柄で攻撃を防いだ挙句に殴るは蹴るはで俺をボッコボコにしたからだ。
切り傷など皆無と言ってもいい。
拳が残像残すとかありえないぞ。
沙織さんなら爆裂拳とか出来るんじゃないか?
世紀末のあの人みたいに奇声あげながら「お前はもう死んでいる」とか言えそうなくらいだ。
いや、まあ傍から見たら俺も十分大概なんだろうが。
少なくとも前の俺が見たら腰を抜かすくらいには。
更に付け加えるとするならば、相手は一度も抜刀していない。
それほどあの神と俺は離れているのだろう。
……でもまあ、後半から動きを目で追えるようになってきたのは収穫だ。
次こそ当てる。
まずは一撃。
それが当面の目標かな。
「ああ…大丈夫。心配してくれてありがとな」
俺は手を伸ばし、アリスの頭を撫でた。
「……んっ」
彼女は気持ちよさそうに目を細めてされるがままになっている。
「それにしても―――」
沙織さんがこちらに向かって歩いて来ながら、何やら感心していた。
「凄いですね。今更な気もしますが、休みなしでやったというのに息切れ一つしていません」
あんたもだろうが。
汗ひとつ掻いていないとか化け物だろう。
まあ、その言葉は飲み込もうか、今は俺自身も自分のことながら信じられないからな。
そう。
俺の身体は、あの(思い出したくもない)猛攻を終えたというのにも拘らず、始まる前と変わっていないのだ。
まあ汗を掻いているが。
何を当たり前のことをと思うかもしれないが、その汗の量が異常だ。
軽くランニングした程度しか掻いていない。
新陳代謝は良いはずなんだけどな。
自分の事ながらビックリだ。
まあその分すり減ったけどな……主に俺の精神が。
あれだ、正直もうやりたくない。
「この分だと手を抜く必要性はなさそうですね。私の杞憂だったようです」
「!?」
……あれで手を抜いていた、だと?
呆然とする俺を余所に、良い意味で裏切られましたね等と物騒なことをニコニコしながら言いつつ頷いていた沙織さんは心底不思議そうに告げる。
「何を驚いているのですか?この程度できて当たり前、昔の私でもできましたよ?」
あれが、できて、当たり前なのか……。
というか沙織さん、昔できたって、それ、神様になってからですよね?
まさか……いや、沙織さんなら……考えるのはよそう。
俺の精神衛生上よろしくないのは確実だ。
戦慄する俺を余所に、沙織さんは何でもないかのように続ける。
「諌君には、この程度の速さを最長3日で覚えてもらいます」
………………ツッコミたい所がたくさんあるが、とりあず一つ。
「……‘‘最短’’の間違いですよね?」
「うふふふ。違いますよ諌君。‘‘最長’’です」
子供の間違いを正すような優しい口調で沙織さんは訂正する。
いやいやいやいや!
「無理でしょうに」
俺に才能はないってさっき言ってたよね?
そんな俺の考えは分かっていますよと、人を安心させるような慈愛に満ちた顔をして、沙織さんは告げる。
「大丈夫です。私が気合いを入れて教授しますから」
いや、そこはできれば手を抜いて下さい!
割と切実に。
そんな俺の心情が伝わるはずもなく、
「さあ、帰りますよ。夕飯までに帰る約束ですから」
沙織さんはスタスタ歩いて行ってしまった。
「坊主」
後ろから嶄さんが歩いて来て俺の元で立ち止まる。
その表情は相変わらずの無表情だ。
だが、それを告げる時だけはその表情を崩すと、
「頑張れよ」
複雑そうな表情を浮かべ、俺に死刑宣告を告げた。
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「ただいま戻りました」
俺達が翡翠家に戻ったのはちょうど日が沈み始めた頃だった。
沙織さんの声を合図に奥から複数の足跡が聞こえて来た。
「お帰りなさいませ。お腹が空いたでしょう?ご飯―――の前にお風呂かしら」
香澄さんがニコニコしながら出迎えてくれる。
その後ろでは気まずそうにしつつも翡翠が小さくお帰りなさいと言ってくれた。
さっきの事を気にしているんだろうな。
俺は今思い出したが。
いや、そんな関係ないことを考える余裕なんか無かったし、と誰にともなく胸中でそんな言い訳をする。
「ええと。お邪魔します」
そう言った俺を見て香澄さんはやんわりと注意する。
「違いますよ諌君?今はここがあなたの家です。諌君は自分の家にお邪魔しますと言うんですか?」
「え?」
そこで今更ながらに気づいた。
そういえば俺、どこで寝れば―――いや、その前に今日の飯か……!おいコラスサノオ!食糧くらい寄越せよ―――って俺が言いたいのはそうじゃなぁぁああああ!もう!!
つーか気づくの遅えよ!しっかりしろよ俺の頭!!
そんな俺の内心に気づいたのか、沙織さんが口を開いた。
「諌君。どうせスサノオの事だから何も考えずに放り出したと思いまして、あなたのこちらでの衣食住をここの長に頼んだ所、こちらにしばらくの間ご厄介になる事になりました」
その発言に俺は目を見開く。
あんた神や!!
いや、神だけど。
「そういう事ですのでこれからよろしくお願いしますね?」
そう言って香澄さんは微笑んだ。
その瞳に宿した優しい眼差しは心の底から告げているのが分かった。
良い人過ぎるだろうこの人は。まるで―――
不意に。
その姿が誰かに重なった。
いつも家へ帰ればいた人の―――あの時はそれが当たり前で―――いつも変わらない笑顔で出迎えてくれた……もう聞くことも、会うこともできない懐かしい人の―――
「諌!?」
翡翠が驚いた声を出す。
見ると周りもそれぞれ驚いた顔をして心配そうに見ていた。
「あらあら、先に治療した方がいいかしら」
香澄さんが困った顔をしている。
「やりすぎたでしょうか……」
沙織さんがさっきまであった大人の余裕を崩してオロオロしている。
「…………」
嶄さんは黙っていたが眉根を少し寄せているのが分かる。
「……諌…大丈夫?」
「ん?どうした?アリス」
下を見れば、俺の服の裾をキュッと握りしめ、俺を心配そうに見上げる小さな相棒が居た。
「…どこか痛いの?」
「いや、別に痛くないぞ?」
見た目こそ傍から見れば痛々しいのだろう。
全く痛くないと言えば嘘になるが、動きに支障が出るほどの痛みは無い。
それを心配してくれたのと思ったがどうやら違ったらしい。
「…じゃあどうして―――」
―――泣いているの?
その言葉を最初、理解できなかった。
泣いてる?俺が?
そう考えた俺は、そこで始めて頬を何かが伝っているのに気づいた。
触れた手を濡らす何か。
それは俺の手を伝い地に落ちた。
それは紛れもない俺の涙だった。
「あれ?何で俺―――」
―――泣いているんだ?
そう考えた瞬間、より涙は溢れてくる。
拭えど拭えど止まらない。
「ははっおかしいな。何で止まらないんだ?…あ、心配かけてすみません。放っておけば直に止まると思いますんで、気にしないでくださ―――」
笑おうとして頬が引きつり上手く笑えない。
どうしたんだよ俺の体は。
打たれ過ぎていかれたか?
そんな俺の言葉を遮るように、俺は何か温かい物に包まれた。
「もう……いいです」
それが抱きしめられたのだと気づいたのは頭上から聞こえた香澄さんの声だった。
「…ええっと。どうして俺は抱きしめられたんでしょうか」
いきなりの行動に驚いた俺は思わず問い返していた。
しかし、不思議と引きはがそうという気にはなれなかった。
「…………」
香澄さんはそれには答えず、俺を黙って抱きしめている。
これは何かの花の匂いだろうか、その匂いは不思議と安らぎを俺にもたらす。
そしてその状態がどれほど続いたのか、ポツリと香澄さんが話し出す。
「……諌君に何があったのか…それは私には分かりません。ですがこれだけは言っておきます」
そう言って香澄さんは俺と視線を合わせると優しく微笑んで続けた。
「一人で悩んではいけませんよ。ここには私たちがいます。どんな些細な事でもいい、くだらない事だっていいんです。一人で抱え込もうとせず、私たちに相談してください。そうしたら私たちは全力であなたを助けると約束しましょう、だってそれが―――」
———家族でしょう?
「―――――――――っ」
その言葉が俺の中の最後の何かを崩した。
止まりかけていた涙が先ほどよりも溢れ出す。
その言葉は―――そのすべてを包み込むような優しい表情は紛れもない―――
―――母親だった。
俺は今まで我慢していたすべてを吐き出すようにして涙を流す。
最後の抵抗として、声を頑張って押し殺し、泣いた。
そんな俺を香澄さんは黙って抱きしめ、受け止めてくれた。
遅くなってしまい申し訳ありません。さてさて、次話ですが、割と早く投稿できるかもとだけ述べておきます。
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