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第0話 プロローグ 不思議な出会い

五月下旬。


 少し未来の日本、とある街。


 一人の少年が、学校からの帰り道を歩いていた。


 背中を丸め、うつむきながら、一歩。また一歩。


 歩いているというより、前に倒れないよう足を出しているだけだった。


 時刻は午後四時を少し過ぎたころ。


 空は厚い雲に覆われ、春を過ぎたというのに風は冷たい。


 少年は足元だけを見つめていた。


 車が横を通り過ぎるたびに顔を上げ、またうつむく。


「はぁ……」


 何度目かも分からないため息。


 やがて少年は立ち止まり、曇った空を見上げた。


「なんで、こうなったのかな……」


 誰に聞かせるでもない言葉は、走り去った車が巻き起こした風に消えていった。


 少年――アドニス・アトキンスは、十歳だった。


 ほんの少し前まで、こんなふうに下を向いて歩く少年ではなかった。


 身体は同級生より大きく、気も強い。


 むしろクラスでは、他の子供を従わせる側だった。


 その結果が、今だった。


 かつて自分が虐げていた三人が手を組み、気づけばクラス全体がアドニスの敵になっていた。


 誰も話しかけない。


 誰も隣に座ろうとしない。


 机は廊下へ出され、落書きをされる。


 すれ違いざまに肩をぶつけられ、授業中には足を蹴られる。


 それでも相手は笑って言うのだ。


『あれ? 今、何かにぶつかった?』


 まるで、アドニスなど存在していないかのように。


 最初はやり返した。


 だが、一人では数に勝てなかった。


 教師に助けを求めることもできなかった。


 自分が今までやってきたことを考えれば、助けてくれる人間なんていない。


 だからアドニスは、これを『いじめ』とは呼ばなかった。


 これは報復だ。


 自分がやったことを、やり返されているだけ。


 そう思うことにしていた。


「…………」


 アドニスは再び歩き始めた。


 そのときだった。


 厚い雲の隙間から、一筋だけ陽の光が差し込んだ。


「……ん?」


 アドニスが顔を上げる。


 光が差した先。


 歩道の真ん中に、誰かが立っていた。


 銀色の髪。


 見たこともない服。


 自分より少し年上に見える少年。


「誰……?」


 目を凝らした、その瞬間。


 少年はいなくなった。


「あれ?」


 アドニスは足を止めた。


 さっきまでの重い足取りが嘘のように、その場所へ駆け寄る。


 だが、誰もいない。


「今、絶対誰かいたよな……?」


 周囲を見回す。


 何度か同じ場所を行ったり来たりしていると、冷たい風の中に、ふわりと甘い香りが混じった。


「いい匂い……。花?」


 どこかで嗅いだことのある香りだった。


 だが、何の花なのか思い出せない。


 直後、冷たい風が吹き抜ける。


「うわっ、寒っ!」


 アドニスは身体を震わせた。


 顔を上げる。


 もう、誰もいなかった。


「ゲームのやりすぎかな……」


 そう呟いてから、もう一度少年がいた場所を見る。


「……ま、いいか。もう少しで家だ!」


 アドニスは走り出した。


 久しぶりに、足元ではなく前を見て。


 その背後。


 再び雲の切れ間から光が差す。


 その中に、銀髪の少年が立っていた。


 走り去るアドニスの背中を、静かに見つめていた。


     ※


 家に帰ったアドニスは、ランドセルを放り出すと、すぐにテレビとゲーム機の電源を入れた。


 画面に映ったのは、今流行しているロールプレイングゲーム。


 勇者が仲間と旅をし、魔法を使い、最後には魔王を倒す。


 そんな王道の冒険物語だ。


「よし! 今日はここからだ!」


 帰り道とは別人だった。


 コントローラーを握ったアドニスの目は、キラキラと輝いている。


 ゲームの主人公につけた名前も『アドニス』。


 ゲームの中なら、自分は勇者になれる。


 仲間がいる。


 敵がいるなら戦えばいい。


 倒せば先へ進める。


 現実より、ずっと分かりやすかった。


 学校で何をされても、アドニスは一つの言葉を自分に言い聞かせていた。


 ――死ぬよりはマシだ。


 死ぬのは怖い。


 だから明日も学校へ行く。


 そして帰ってきたら、またゲームをする。


 それでいい。


 そう思っていた。


 このときまでは。


     ※


 翌日。


 アドニスは、昨日と同じ道を一人で歩いていた。


 途中、木々が生い茂った場所がある。


 近くの家で飼われている犬が、いつもアドニスが通ると吠えてくる。


 だが、その日は違った。


「ワン! ワンワン!」


「あれ?」


 まだアドニスは近づいていない。


 犬は、木々の向こうに向かって吠えている。


「誰かいるのかな……」


 そのときだった。


 ふわり。


 昨日と同じ香りがした。


「あ……!」


 アドニスは立ち止まった。


 今度は分かった。


「そうだ。フリージアだ!」


 甘く、それでいて爽やかな香り。


 しかし周囲を見ても、フリージアなど咲いていない。


 アドニスは香りのする方へ歩いていった。


 そして――見つけた。


「……いた」


 昨日の銀髪の少年だった。


 木々の間に、静かに立っている。


 だが、何かがおかしい。


 アドニスは目を擦った。


 もう一度見る。


「……透けてる?」


 少年の身体越しに、向こう側の景色がうっすら見えていた。


 アドニスには、時折、他人には見えないものが見えることがあった。


 それらは大抵、目を擦ったり、近づいたりすれば消えてしまう。


 だから今回も同じだと思った。


 ――なのに。


 一歩。


 銀髪の少年は消えない。


 もう一歩。


 まだ消えない。


「なんか……嫌な感じするな」


 怖い。


 だが、それ以上に知りたい。


 昨日も見た。


 今日もいる。


 しかも、自分を待っているように見える。


 気づけばアドニスは走っていた。


 銀髪の少年の目の前まで来て、ようやく足を止める。


「君……誰?」


 銀髪の少年はアドニスを見下ろした。


「俺は、君に会いに来た」


「僕に?」


「ああ。ここではない、遠い場所からな」


「外国?」


「もっと遠い」


 銀髪の少年は少し考えてから、笑った。


「別の世界、と言った方が分かりやすいかな」


「……は?」


「ただ、俺はここに長くはいられない。そういう決まりなんだ」


 そして少年は、アドニスに右手を差し出した。


「まずは握手をしよう」


「…………」


 アドニスの足が止まった。


 別の世界。


 透けた身体。


 昨日から自分の前に現れている謎の少年。


 どう考えても怪しい。


 怖くなったアドニスは、その場にしゃがみ込んだ。


 すると銀髪の少年もしゃがみ、そっとアドニスの背中に手を当てた。


「不安なのは分かるよ。君たち人間からすれば、俺みたいな存在は得体が知れないだろうからな」


 声は穏やかだった。


「ゆっくりでいい。俺は君の選択をここで待ってる」


 そう言って、少年が手を離そうとした。


 その瞬間。


 ガシッ!


「うおっ!?」


 アドニスが、その手を掴んだ。


 今度は銀髪の少年の方が驚いた。


「びっくりした!」


「日本語話せるんだ」


「そこかよ」


「遠いところってどこ? 外国じゃないの? なんで僕を探してたの?」


「いきなり元気になったな……」


 銀髪の少年は困ったように笑った。


「外国じゃない。もっと遠い国……いや、世界かな。それ以上は今は話せない」


「なんで?」


「それも今は言えない」


「じゃあ――」


「待て待て。質問は後だ」


 少年は、握られたままの手を見る。


「それより、この握手をすると契約成立になる。それでもいいか?」


「契約?」


「ああ」


「何の?」


 銀髪の少年は少し笑った。


「俺と君の個人的な契約だ。嫌ならいつでも解消できる」


 そして、アドニスの目をまっすぐ見た。


「簡単に言えば――俺が君の『特別な友達』になるための契約だよ」


「…………」


 怪しい。


 ものすごく怪しい。


 どこの国のものか分からない服。


 銀色の髪。


 半透明の身体。


 触れているのに体温もほとんど感じない。


 そして異世界から来たと名乗り、いきなり契約。


「な、なんなんだよ、それ……」


 アドニスの頭は完全に混乱していた。


 それでも――手は離さなかった。


 銀髪の少年が笑う。


「ははっ。自然な反応だ。それでも手は離さないんだな。いい心がけだ」


 そして初めて、自分の名前を告げた。


「俺はサウザー。サウザー・ガンル」


「サウザー……?」


「ああ。君を探して、遠いところから来た」


 サウザーはアドニスの右手を軽く握り返した。


「君たちからすれば……俺は『異世界人』ってことになるのかな」


「異世界……?」


「まあ、その辺も追々説明するよ。これからよろしくな、アドニス」


「えっ」


 アドニスの表情が固まった。


「なんで僕の名前――」


「っと。もう時間だ」


「待ってよ!」


「とりあえず、君の右手を借りる」


「右手を借りるって何!?」


「家に帰れば分かる。俺と話したくなったら、目を閉じて右手に意識を集中するんだ」


 サウザーの身体が、徐々に透けていく。


「ちょっと待って! まだ聞きたいことが――」


「大丈夫。また会える」


 サウザーは笑った。


「ああ、それと――」


 言葉の途中で、その姿が消えた。


「…………」


 あとには、アドニスだけが残された。


 右手を見る。


 わずかに、握られていた感触が残っている。


「……なんだったんだ、今の」


 異世界。


 契約。


 特別な友達。


 そして、自分の名前を知っていた謎の少年。


「…………」


 しばらく考えて――。


「ま、いいか!」


 アドニスは右手を握りしめた。


「とりあえず帰ってやってみよう!」


 そして家へ向かって走り出す。


 昨日まで、帰り道で足元しか見ていなかった少年は。


 この日、前だけを見て走っていた。

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初コメですー 続きを楽しみにしております 頑張ってください
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