第74話 旅立つ我が子〈ジェームズ視点〉
父親視点です。
可愛い我が子の後ろ姿を見送りながら、涙をこらえる。
きっとあの子は振り返ることなく未来を歩いていくだろう。後ろにいる僕たちが泣いていたら、あの子は心配してしまう。
子に親の心配をさせるわけにはいかない。
「……きっと無事に帰って来てくれるさ」
自分に言い聞かせるように、隣にいる最愛の妻に告げる。
微かに震えながら、口元を固く結んでいる彼女の肩をそっと抱く。
「そう、ね」
震える声を聞きながら、僕は最愛の娘が生まれた日のことを思い返していた。
十四年と少し前、僕たちの間に生まれた可愛い娘、リア。妻によく似た容姿は将来とびきりの可愛らしい美人に育つことが約束されている。
よく泣き、よく笑い、よくはしゃぐ赤ん坊のリアを見て、この子がこの世に、僕たちの下に生まれて来てくれたことを妻と神に何度も感謝した。
リアは大きくなるにつれ、少し他の子供とは違うような気がした。
まず我儘をほとんど言わなかった。
四歳くらいからだろうか。買い物に行ってお菓子をねだることもなく、食事で好き嫌いをするでもなく、誰かに迷惑をかけるようなこともなく、ただひたすらに知的好奇心を満たすためにいろんな事を聞いてきた。
この街の名前から始まり、国の名前、大陸、世界、種族、魔物、身分、言語、道具……などなど、この世界についてたくさん知りたがった。
子供というのは、この歳からこんなに賢いのだろうか。聞かされた内容をちゃんと理解しているみたいだから、僕たちの娘は天才なのかもしれない。
リアはこの時から、世界を旅することを夢見ていたのかな。
さらに大きくなると、今まで言わなかった我儘……にしては規模の大きいものばかりだったけど、それを言うようになった。
魔法を学びたい、剣を学びたい、魔道具の作り方を学びたい……リアは知的好奇心の塊のような子だと思った。
可愛い我が子に危険なことをさせたくはなかったけど、この子はなかなか頑固で諦めようとしなかった。
何度もお願いされたせいで、妻は割とすぐに了承していた。
「真剣に知りたいと思っているんだから、応援してもいいと思うの」
そう妻に言われて、僕もなんだかんだで許可することが多かった。それでもなるべく一人で行動はさせないようにしていた。
しかし、一人での行動を制限した反動か、リアが一人で王都で暮らすようになった途端、冒険者として活動するようになったらしい。
サイラスから聞いた時、気が気じゃなかった。すぐに王都まで行って連れ戻したいと思ったけど、サイラスに止められた。
「あの子の幸せは、お前の腕の中じゃねえんだ」
「これ以上縛れば、あの子はお前らのところに帰って来なくなる」
そう言われて、目の前が真っ暗になった。何故だろうか、愛情が足らなかった? もっと信頼してあげるべきだった? もっと、もっと……僕は何を間違えてしまった?
学校を卒業して我が家に帰って来たリアは一回り大きくなっていて、学校での思い出話をたくさん聞かせてくれた。
仲の良い友人ができたこと、すごい魔道具を作って優秀作品に選ばれたこと、それを僕たちに今までの感謝として渡したいと言ってきたこと、それから、それから――旅に、出たいこと。
リアはやっぱり知的好奇心の塊のような子だ。
妻はすでに覚悟ができていたのか、すぐに了承していた。もう子供ではないのだから、好きにさせてあげるべきだと。
そして、リアから会いたい人がいると聞いて、その表情があまりにも、あまりにも……に似ていたことが衝撃的だった。
妻の僕を見る――幸福を形にしたような表情に。
いつかそんな日が来るとは思っていたけど、こんなに早いなんて。
子供はたった一年間そばで見ていなかっただけで、こんなにも早く成長するものなのか。
でも、だからって簡単に了承するわけにはいかない。世界には危険がいっぱいなんだ。少なくとももっと強くなってくれないと、安心できない。
だから剣の試合に勝てたら許可しようと言い、リアはそれに同意した。リア本人も、もっと強くなってから旅に出るつもりだったようだ。
そうして行われた初めての試合は、僕の圧勝だった。
剣術も筋力も足の運びも全て僕の方が上だ。当然だろう、リアとは比べ物にならないくらい長い間剣を振って来たんだから。
それでも彼女の避ける技術はすごい。僕以上……いや、あれはもっと伸びる。動体視力と勘がいいんだろう。
動きの無駄が減れば、もっと経験を積めば、素晴らしい剣士になれるはずだ。
将来に期待はできる、親としても誇らしい。が、二年以内だとどうだろう。
勝負が厳しすぎてこれでは不満を言われるかもしれないけど、今更撤回できないし、これくらい強くなってほしいのは本音だ。頑張ってもらうしかない。
それから一年、彼女はたくさん修行をしたようだ。
どんな修行だったのかは何も教えてくれなかったけど、必ず数日の内に顔を見せに来てくれたから、そこまで不安にならずに済んだ。
そして最初の試合から一年後、二度目の試合で僕はリアの力に負けた。
たった数分にも満たない試合だったけど、確かに彼女はこの一年で強くなっていた。
剣は鋭さを増し、動きの無駄が減り、魔道具のおかげか、力が僕とは比べ物にならないほど増していた。
身体強化の魔道具を作ってしまうなんて、僕の娘は本当にすごい。まさか予定よりも一年早く勝たれてしまうなんて思っていなかった。
でも約束は約束だ。これ以上引き留めることはできない。行ってほしくないけれど、僕と妻は愛しい我が子の旅路を見守ることにした。
きっと困難がたくさんあるだろう、それでも、それと同じくらいの幸福も見つかるはず。
あの子のこれからの人生が、長く幸福に続いてくれることを心から祈る。
でも、次に帰ってくるときは……結婚相手とか、連れてくるのだろうか。
一体どんな相手なんだろう。変な人に騙されていないだろうか。ああ、心配だ……。
「でもリアが決めた相手なら……ぐぬぬ……」
「……いきなり追い返したりしちゃダメよ?」
呟いた言葉に、妻は僕が何を考えていたのか察したのか、泣き顔から苦笑いに変わった。
「善処するよ……」
あの子を守れるくらいの実力者かどうか、見極めるくらいはするけどね。




