エピローグ
「内定おめでとう。来年4月から君と一緒に働けることを嬉しく思うよ」
銀座の一等地に構えるオフィスビルの一室。採用担当の石井さんが僕に優しく微笑みながら手を差し出した。僕は驚きのあまり一瞬固まったが、すぐに手を差し出し、石井さんと固い握手を交わした。活気ある社風。風通しの良い職場。インターンシップの時からずっと、絶対にここで働きたいと心に決めていた。そんな会社からの採用通知は、僕にとって例えようもないほどに嬉しいことだった。
「本当は電話で採用通知を行うんだけど、佐々木くんにわざわざ会社に来てもらったのは理由があるんだ。なんでかと言うとだね、理事長がぜひ佐々木くんに会いたいって言っているんだよ」
理事長が会いたい? 僕はその言葉に少しだけ身構えた。取締役社長でもなく、なぜ理事長が自分なんかと会いたがっているのだろう? 僕がそう石井さんに尋ねると、石井さんも理由はわからないと首を振った。
「まあ、そんな緊張しなくてもいいよ。理事長はすごく気さくな人だからね。数十年前からいくつもの事業を成功させてきた人だし、きっと勉強になると思うよ」
「はあ」
僕はすっきりしないもののとりあえず返事をした。それでもなぜという疑問は捨てきれなかった。石井さんに先導され、僕たちは他の部屋へと歩いていく。オフィスの端っこに位置する簡素な扉の前で石井さんは立ち止まり、ノックをする。石井さんは扉を半分だけ開き、「佐々木さんがお見えになりました」と中にいる理事長へ報告した。
「じゃ、中にはいって」
石井さんに促され、僕は緊張しながら理事長室に入る。樫でできたテーブルの向こうに、黒革の椅子に腰掛けた理事長の背中が見えた。後ろで石井さんが扉を閉める音がする。僕はできるだけ明るい口調で挨拶をした。
「そんなに固くならなくていいよ、ゆうすけ」
理事長が僕に背中を向けた状態でそう言った。ゆうすけ。理事長のその声に僕はハッとする。頭の隅っこの方をかきむしられるようなその声で、小学生の時の遠い記憶が呼び起こされる。はるか昔のことなのに、今でも鮮明に思い出すことのできる。走馬灯のように少年時代の思い出が脳裏を駆け巡る。そして、その中心で、僕を見つめ返す存在。僕の胸がざわめきだつ。それは緊張からではなく、歓喜の感情からだった。
「お金持ち……?」
夢見心地のまま、僕はそうつぶやく。そして。目の前の人物はゆっくりと、椅子ごと僕の方へと向き直った。