炎の向こう側
猿叫のような声を上げ、エルフ達が迫る。居並ぶ鉄の穂先がまっすぐ突き上げられる。
進路も退路も絶たれ、進むも地獄、退くも地獄の状況だ。周りにいるのは浮き足だったオーク六人。あとにあるのは敵味方の死体だけだ。
俺は地面に落ちていた盾を掴み、突き出された槍の穂先を間一髪で受け止める。突き刺さった槍が逸れて俺のこめかみの横を通る。
「盾だ。盾を拾え! 守るぞ!」
この状況で守っても意味がない。本来ならば。
しかし今は戦略的に包囲され、こちらが浮き足だった状態だ。どんなに個人が屈強でも、足並みが揃わなければ弱兵だ。今の俺達がまさにそうなのだ。
だが、今、一人のオークが俺の横を通り過ぎ、エルフへ襲い掛かる。血走った目は言葉以前に俺の声を聞いていない。
「しまった……」
ここで俺はオークの心理を読み違えたことに気付く。
俺にとってエルフは単なる敵だが、オークにとっては不倶戴天の怨敵である。今までの暴れっぷりを見れば、敵を前に守りの選択肢がないのは明白だったのだ。
攻め込むべきか、それとも守るべきか。その判断を俺は読み違えた。逡巡している間に、突出したオークの胸に槍が突き刺さり、巨体が泥に叩きつけられるように崩れ落ちた。
「~~ッ! 突っ込め、ゴエだゴエ!」
俺の声より先にオーク達は突撃する。俺は一拍遅れて走り背中を追った。跳ねた泥が口に入り、思わず唾を吐き出す。
狭い通路の先には並んだ槍。構えた先端が、今か今かと串刺しにする相手を待っている。
(まずい――!)
この勢いのまま突っ込めば、さっきのオークと同じように串刺しだ。立ち止まるか、防ぐかできれば別だが、猪突猛進の勢いがついた今は無理だ。
「くっそ、当たれ!」
俺は咄嗟に拾った盾を叩きつけるように投げ、続けざまに手にしていた木刀を敵めがけて放った。
投げた盾が、先頭のエルフの顔面に直撃した。鼻骨が砕ける鈍い音。よろめいた拍子に、後ろの槍が乱れる。続けざまに放った木刀が、構えた穂先を横から弾き飛ばす。乱れた槍先が互いに擦れ、金属同士の嫌な音が狭い壕に響いた。
「ガァリリ!」
一瞬、槍の壁に隙間が生まれる。オーク達が吼え、勢いのまま押し込んだ。エルフ等は棍棒の一撃で肩を砕かれ、顎を弾き飛ばされ、顔を押し潰す。あっという間に蹴散らしていく。
突破した。と思った瞬間、視界の奥にもう一列の槍が現れる。壕の曲がり角の向こう、ぴたりと揃った穂先がこちらを向いていた。二段目の槍を見た時、俺は何もできなかった。
息を呑む暇もない。前列を崩した勢いのまま、オーク達はそのまま突っ込んでいく。止まれ、と叫ぶより先にまた一人が前に出た。
二段目の槍が、待っていたかのように一斉に突き出された。
先頭のオークの腹が裂け、濁った声が壕に弾ける。
続けて別のオークが脇腹に穂先を突き立てられ、勢いのまま前に倒れ込んだ。前列を崩した勢いは、そのまま死に変わる。狭い壕の中で巨体が行き場を失って折り重なる。
続けざまに迫る槍を前に、一人のオークの目線が下に動く。
足元に転がっているのは、さっきまで槍を構えていたエルフの死体だった。顔を伏せたまま、もう動かない。
その腕を、オークが掴んだ。引きずり起こし、前に押し出す。
……盾にする気だ。
そう気づいたとき、一週間前に見た森の中での凄惨な光景が蘇る。エルフ達の残虐な行為。今度はその役を彼らが引き受けるつもりだ。死が溢れる戦場で、理性を保つための一線を俺達は自分の手で踏み越えた。
「待て――」
喉まで出かかった声が音にならない。
止める理由はある。だが、止める余裕がない。
盾にされた死体に、槍が突き立つ。
肉を裂く嫌な音が、湿った壕の中に響いた。一度、二度。穂先は骨に阻まれて止まり、エルフ達の動きが鈍る。
ほんの一瞬だ。
だが、その一瞬で、こちらは一歩だけ距離を詰められる。俺は急いで投げた木刀を拾い構えた。
「……ん?」
構えた時、俺は違和感を感じる。まるで時が止まったかのように、敵が動かない。串刺しにされたエルフを見て、明らかに動揺している。
「そうか、そうだよな」
度重なる彼我の死に忘れかけていた。
敵は新兵なのだ。訓練もしてよう。命を奪うことも経験しておろう。だが、味方の死を追い打ちする経験はない。こちらが捨てた倫理観を侵略者側が持っているのは何たる皮肉だろうか。
(今なら……)
俺は弾帯を触る。触れた指先が、水筒の硬い感触に当たった。緊急時、塹壕での防衛が不可能に陥った際、残しておいた最後の手だ。
だが、これは防衛戦において最悪な手である。使えば戻れない。この壕は彼らが一週間かけて掘った、守るための砦だ。その成果を、俺が台無しにする一手なのだ。
周りのオークは既に息も絶え絶えで傷だらけだ。そして周囲は完全に囲まれている。俺が迷えばこのまま彼らは死ぬ。決断は俺の指先に委ねられる。
「……クソ」
俺は歯を食いしばり、水筒の栓を捻った。
薄い黄色の液体を壕の壁と床にぶちまける。湿った土に染み込んだ筋が、じわりと広がっていく。
撒いた液体の正体は集落で調理する際に用いる油。独特の臭いを放つそれに、その臭いに顔をしかめながら、俺は胸ポケットからライターを出し近づける。
「逃げろ逃げろ! 焼き殺されたくなきゃ逃げろ!」
ライターを弾いた。
乾いた音とともに、橙の火が指先に灯る。炎は油の筋へわずかに触れると、たちまち火は音もなく走り、壕の壁を舐めるように広がった。
次の瞬間、熱より先に、濃い煙が壕の中へ溢れ出す。
「……ッ!?」
エルフ達の動きが、目に見えて止まる。
さっきまで一斉に突き出されていた槍が、煙の向こうで揺れた。
「今だ、抜けるぞ!」
俺は近くのオーク達の背中を力強く叩くと、自ら先陣を切る。
狭い通路での火災に敵のエルフ達は慌てふためく。当然だ。火は原初の恐怖、訓練された戦士なら耐えれるが、未熟な兵ではとてもじゃないが不可能だ。
持ち場を維持できず、武器を構える手もおぼつかない。迫る大量の煙と火に大混乱だ。
俺は狼狽する集団を押しのけ進み、味方を手招きする。日頃から泥炭の燃える臭いに慣れた彼らは、馴染みの香りに理性を取り戻す。
「いけいけ、ゴエゴエゴエだ! 止まるんじゃぇぞ!」
仲間へ激を飛ばし、ひた走る。言葉は通じなくとも、理解できるヤツはいる。その仲間へ向け声を出した。
やがて俺達は炎と煙の向こうへ転がるように抜け出した。
喉の奥に張り付いた煤を吐き出しながら振り返ると、燃え上がる壕の奥で槍の影が揺れている。追撃は来ない。少なくとも、今は来られない。
オーク達は膝に手をつき、荒い呼吸で地面を睨んでいた。誰も歓声を上げない。生き延びたという実感より、焼いて捨てた塹壕の匂いが、胸の奥に重く残る。俺は息を整えながら周囲を見回し、散らばった者達の数を数えた。足りない。分かっていたことでも、実際に生き残りを数で突きつけられると胃の奥が冷える。
「どうする?」
燃える陣を見て呟く。もはやこの戦線は崩壊した。塹壕が炎上している間は敵も攻め込むことはできないはずだ。消えてしまえば再度襲ってくるが時間は稼げるはずだ。
ならば今のうちにゲルダと合流し戦力を整えなければいけない。向こう側の戦況はゲルダが上手いこと進めてくれていることを願おう。
周りの項垂れるオーク達へ声を掛け、俺は移動しようとした。その時に何気なしに燃える陣を見た。
煙にまみれる塹壕、乱れている槍。その向こう側。熱で揺らめく景色の奥にダークエルフの姿が見える。ザラの隣に火の揺らめきとは別のものが、揺れていた。白く、とても女の子向けらしいデザインの日傘。
呆然と見ていた俺の耳に高い笛の音が聞こえてくる。咄嗟に耳を塞いだ俺の視界に、突如として赤い塊が乱れ飛ぶ。
「な、なんだぁ!?」
赤は矢のような形を取り、燃え盛る壕を炎ごと穿っていく。壕も、火も、盾も関係ない。そんなものは最初から存在しないかのように。そのうちの一発が俺の足元に着弾し、錆のような臭いを撒き散らす。
「血……?」
赤の正体を認識した途端、俺に影が落ちる。上を向いた刹那、迫ってくるの真っ白な牙だった。
「!?」
咄嗟に木刀を振り上げるが、その牙は防いだ木刀をまるで菓子のように噛み千切る。
陶器のように綺麗な乳白色の歯。口角は吊り上がり、長い犬歯が木片を裂く。
「ヨォウ、ハジメ。ワォロロ、デオンエ」
その声を聞いた瞬間、本能が逃げろと叫んだ。
砕いた刀身を吐き捨て、妖艶に笑う整った顔。純白の指は俺を指差し、片手で日傘をまるで子供が遊ぶようにくるくると回す。
吸血鬼、ミアがそこにいた。




