第21話「初めての現場実習」
# 第21話「初めての現場実習」
実習当日の朝、神代悠斗はいつもより三十分早く目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗い。新東京第三居住区の古い集合住宅には、朝食の支度をする音や、出勤する人々の足音が少しずつ増え始めていた。
悠斗は布団から起き上がると、壁際に置いていた探索者用の鞄を手に取った。
「……忘れ物は、なし」
昨日の夜、何度も確認した中身をもう一度確かめる。
水筒。応急処置用品。記録帳。筆記具。採集用の小型ナイフ。素材を分けて入れる保存袋。手袋。そして、予備の留め具。
どれも学校から指定された装備だ。高級品ではないが、父の古い道具を参考にして、必要なものを少しずつ揃えてきた。
最後に、鞄の肩紐を引っ張ってみる。
「よし」
「お兄ちゃん、もう行くの?」
寝ぼけた声に振り返ると、妹の陽菜が居間の入口に立っていた。まだ眠そうに目をこすっている。
「今日は学校で現場実習だからな。いつもより早く出るんだ」
「現場って、ダンジョン?」
「違う。学校が管理している訓練施設だよ。実際のダンジョンに入るのは、まだ先」
「そっかぁ」
陽菜は少し残念そうにしたあと、すぐに笑顔になった。
「でも、お兄ちゃんが探索者っぽいことをする日なんだね!」
「……まあ、そうだな」
探索者っぽいこと。
言われてみれば、今日の実習は今までとは少し違う。
教室で知識を学び、訓練場で手順を確認するだけだった日々から、一歩だけ外へ出る。実際の仕事に近い環境で、自分たちが何をできるのかを確かめる日だ。
「気をつけてね。帰ってきたら、どんなことをしたか教えて!」
「ああ。ちゃんと帰ってくるよ」
悠斗はそう答え、鞄を背負った。
稼ぐためにも、生きて帰る。
父から教わった言葉を、今日も忘れない。
◇
第三探索者育成学園の校庭には、六人が集合時間より少し早く集まっていた。
「おはよう。みんな、早いね」
悠斗が声をかけると、桐谷健吾が大きな盾を背負い直した。
「おう。現場実習だからな! 装備を忘れたら、訓練どころじゃないだろ?」
「その考えは正しいわね。ただし、装備を持ってくるだけで満足していたら意味がないけれど」
白石凛が手元の確認表を見ながら言った。
その隣では、月城美鈴が剣の固定具を確かめている。東雲紅葉は自分の装備袋を何度も開け閉めし、九条レオンは六人の持ち物を静かに見渡していた。
「紅葉、さっきから袋を開けたり閉めたりしているけど、何か探しているの?」
「違うよ! ちゃんと入ってるか確認してるの!」
「三回目だね」
「レオンくん、数えなくていいから!」
「確認回数が増えても、確認の質が上がるとは限らない」
「うっ……」
レオンの指摘に、紅葉が頬を膨らませる。
いつものやり取りに、悠斗は小さく笑った。
そのとき、校庭の入口から低い声が響いた。
「集合。私語はそこまでだ」
鬼塚蓮司。
三十八歳、A級探索者。生徒たちからは、赤鬼先生という呼び名でも知られている。
鬼塚は六人の前に立つと、順番に顔を見た。
「今日は現場実習だ。実際のダンジョンではない。学園が管理する屋外訓練区画で、採集、観察、移動、安全確認を行う」
鬼塚の背後には、学園の敷地の一角へ続く門がある。
門の向こうには、人工的に起伏をつけた地面、岩場、植生区画、簡易的な水路などが配置されていた。訓練場よりも広く、足場も一定ではない。安全管理のための設備は整っているが、教室のように整然とした環境ではなかった。
「ここで扱う素材は、すべて訓練用に管理されたものだ。危険な魔物も出ない。だが、それを理由に気を抜くな」
鬼塚は生徒たちを見回した。
「訓練施設でできないことを、ダンジョンでいきなりできると思うな。反対に、訓練施設で守れない手順を、実戦で守れるとも思うな」
「はい!」
返事が重なる。
「では、装備点検から始める。昨日、私が話したことを覚えているな?」
昨日の授業。
進路が塞がれ、仲間が負傷した状況を想定した訓練。そして鬼塚が語った、A級時代の撤退判断。
悠斗はすぐに答えた。
「予定どおりに進めることより、状況に合わせて判断することです」
「それも正解だ。だが、今日の最初の課題はもっと手前にある」
鬼塚は自分の腰にある道具袋を軽く叩いた。
「装備点検だ。出発前に確認したつもりでも、移動中に留め具が緩むことはある。道具を入れたつもりでも、必要なものが必要な場所にあるとは限らない。確認したという記憶と、実物の状態は別物だ」
鬼塚は健吾を指名した。
「桐谷。盾の点検を説明しろ」
「はい! 表面に亀裂がないか、持ち手が緩んでいないか、腕に固定する部分がずれていないか確認します。それから、実際に構えて動かし、違和感がないか確かめます!」
「よし。月城」
「剣の刃と柄、固定具を確認します。抜き差しが正常にできることも確かめます。周囲に人がいないことを確認してから扱います」
「白石」
「応急処置用品の数量と使用期限、容器の破損を確認します。必要なときにすぐ取り出せる位置にあることも重要です」
「東雲」
「魔術用の補助具と、使用に必要な道具を確認します。自分の魔力の状態も見ておきます。無理に出力を上げないことも大切です」
「九条」
「自分の装備に加えて、周囲の足場と移動経路を確認します。異常があった場合は、原因を決めつけず、見たことを報告します」
最後に、鬼塚の視線が悠斗へ向いた。
「神代」
「採集道具の破損、保存袋の数、容器の密閉状態を確認します。採集した素材を傷めずに持ち帰れるかも考えます」
「全員、悪くない」
鬼塚は頷いた。
「では、自分で確認したあと、隣の者と相互点検を行え。自分の装備は、自分では見落とすことがある」
六人は二人ずつ向き合い、点検を始めた。
悠斗は健吾の盾を確認し、健吾は悠斗の鞄を調べる。美鈴と凛、紅葉とレオンも、それぞれ相手の装備を一つずつ確かめていった。
「神代、これ」
健吾が鞄の横側を指さした。
「保存容器の留め具、最後まで閉まってないぞ」
「えっ?」
悠斗は容器を取り出した。
確かに、留め具の片側がわずかに浮いている。中身が落ちるほどではない。しかし、歩いているうちに開く可能性はあった。
「昨日、閉めたはずなんだけど……」
「閉めたかどうかじゃなくて、今どうなっているかだろ?」
健吾は悪気なく言った。
悠斗は容器を閉じ直し、軽く引っ張って固定を確認した。
「ありがとう。自分じゃ気づかなかった」
「おう!」
鬼塚が二人のやり取りを見ていた。
「今のが相互点検の意味だ。見つけた側は、相手を責めるために指摘するのではない。見つけてもらった側は、指摘されたことを恥じる必要もない」
鬼塚は一拍置いた。
「出発前に見つかれば、直せる。現場で見つかれば、作業を止めることになる。帰路で見つかれば、場合によっては危険になる。点検は形式ではない。行動を続けられる状態かどうかを確かめる作業だ」
悠斗は、記録帳の端にその言葉を書き留めた。
自分一人で完璧に確認しようとするより、互いに見落としを補ったほうが確実なのだ。
採集も同じかもしれない。
自分が見つけたものを、自分の判断だけで採るのではなく、必要なら仲間に確認する。見つけることと、採ってよいと判断することは別なのだから。
◇
点検が終わると、鬼塚は六人を訓練区画へ案内した。
今日の課題は三つ。
一つ目は、指定された採集対象を探すこと。
二つ目は、対象の状態と周辺環境を記録すること。
三つ目は、採集の可否を判断し、作業を終えたら全員で指定地点へ戻ること。
制限時間は九十分。
採集数だけを競う試験ではない。対象を見つけても、状態が悪ければ採らない判断が必要になる。
「対象の見本は、各班に一つずつ配布する。似た植物を間違えて採らないようにしろ。今回の実習では、採集対象以外の植物をむやみに傷つけることも禁止する」
鬼塚から見本を受け取った悠斗は、葉の形と茎の特徴を記録帳に写した。
見本は、訓練用に栽培された薬草だった。葉の縁に細かな切れ込みがあり、茎の根元に薄い斑点がある。
「まずは特徴を確認して、探す範囲を決めよう」
悠斗が言うと、美鈴が周囲を見た。
「見本と同じ植物が生えていそうな場所を探すのね」
「うん。でも、日当たりや土の状態が違うと、見た目にも差が出るかもしれない。そこは先生に確認しておきたい」
「なら、最初から全部を調べるより、候補を見つけてから比べるほうがよさそうね」
凛が頷く。
「ただし、候補を絞る条件を決めすぎると、別の特徴を見落とす可能性があるわ。見本と一致しないからといって、すぐに対象外と決めつけないこと」
「なるほど……」
悠斗は、見本と周囲の植物を交互に見た。
葉の形。茎の色。斑点。根元の状態。
教室で学んだ知識を思い出しながら、六人は訓練区画の中へ進んだ。
健吾が前方の足場を確認し、美鈴は周囲を警戒する。紅葉は不用意に魔術を使わないよう、補助具の状態を確認しながら歩いていた。凛は全員の水分補給や疲労の様子に気を配り、レオンは少し離れた場所から地形と移動経路を観察している。
悠斗の役目は、採集対象を探すことだった。
最初の数分は、何も変わらなかった。
見本と似た植物はいくつか見つかったが、葉の切れ込みが違ったり、茎の斑点が確認できなかったりする。候補を見つけるたびに記録し、見本と照らし合わせる。
「こっちは葉の形が近い。でも、茎の斑点がない」
「こっちは斑点があるけれど、葉の縁が違うわね」
凛が補足する。
「両方とも、今の情報だけでは対象とは判断できない。採らずに記録しておきましょう」
「そうだな」
悠斗は頷いた。
時間だけが過ぎていく。
残り時間を気にし始めたころ、岩場の脇に小さな植物が生えているのが目に入った。
「あれ……?」
葉の形は見本に近い。茎の根元には、薄い斑点らしきものも見える。
しかし、植物の半分が岩の陰に隠れていた。根元の状態がよく分からない。
悠斗はすぐに手を伸ばさず、しゃがんで観察した。
葉の切れ込み。茎の色。斑点の位置。
どれも、今まで見つけた候補より一致している。
それでも、根元が見えない。
「どう思う?」
悠斗が尋ねると、美鈴が少し離れた位置から答えた。
「見た目は近い。でも、根元を確認できないなら、採集していいかは判断できないと思う」
「岩を動かすのは?」
健吾が岩を見た。
「この大きさなら動かせるかもしれないけど、周囲の土や植物を傷つける可能性がある」
「岩を動かすこと自体が今回の課題ではないわ。安全に確認できる範囲で判断すべきね」
凛の意見に、悠斗は頷いた。
無理に動かせば、根を傷つけるかもしれない。岩の下に何があるかも分からない。
採集対象らしい植物を見つけた。
しかし、まだ採集できるとは言えない。
そう考えながら、悠斗は植物をもう一度見つめた。
その瞬間だった。
視界の中で、何かが引っかかった。
葉の形や斑点を見ていたはずなのに、それとは別の情報が、意識の端に浮かび上がったような気がした。
植物の根元。
岩との距離。
土が露出している範囲。
葉の一部に残る傷。
それぞれが、ばらばらの特徴ではなく、何かを判断するための項目のように感じられる。
「……え?」
悠斗は目を瞬かせた。
もう一度、植物を見る。
何も変わっていない。
文字が浮かんでいるわけでもない。色が変わったわけでも、植物の名前が頭に流れ込んできたわけでもなかった。
ただ、これまで一つずつ意識していた特徴が、なぜか整理されて見えた。
見本と一致する特徴。
まだ確認できていない特徴。
採集する際に注意が必要な部分。
その三つを、別々に考えられる気がする。
「悠斗? どうしたの?」
紅葉の声に、悠斗は我に返った。
「あ、ごめん。ちょっと……今、変な感じがした」
「変な感じ?」
「うまく説明できないんだけど。植物を見ていたら、特徴がいつもより整理されて見えたような……」
レオンが近づいてきた。
「何が見えたのか、具体的に説明できる?」
「葉の形とか、茎の斑点とか。それから、根元が見えないこと。前から分かっていたはずなんだけど、今はそれぞれを分けて考えやすいんだ」
「それは、植物そのものの変化ではなく、悠斗の見方が変わった可能性もあるね」
「うん。俺もそう思う」
悠斗は、すぐに特別な能力だとは考えなかった。
昨日まで学んできたこと。今日の課題。何度も見本と植物を比べた経験。
それらが積み重なったことで、気づき方が変わっただけかもしれない。
しかし、気になる。
悠斗は記録帳を開き、見えている情報を整理して書いた。
対象候補。
葉の形は見本に近い。
茎の斑点も見本に近い。
根元は岩に隠れていて、全体を確認できない。
安全に採集できるかは未確認。
書き終えたところで、もう一度植物を見た。
すると、さっきと同じ感覚が、わずかに戻ってきた。
今度は焦らず、特徴を一つずつ確認する。
葉の切れ込みは、見本とよく似ている。
茎の斑点は、見えている部分では一致している。
だが、根元の状態は分からない。
採集できるかどうかは、まだ決められない。
その判断に、以前よりも迷いが少なかった。
「先生を呼ぼう」
悠斗が言った。
「対象の可能性は高そうだけど、根元が見えない。採集していいか確認したい」
「賛成」
凛が即座に答える。
健吾が周囲の足場を確かめ、美鈴が植物に触れないように位置を示す。レオンは、岩の周辺に不自然な沈み込みなどがないかを確認した。
紅葉は植物のそばにしゃがみ込んだものの、勝手に岩を動かそうとはしなかった。
やがて鬼塚がやって来た。
「状況を報告しろ」
悠斗は、見つけた場所、植物の特徴、確認できた部分と未確認の部分を順に説明した。
「対象である可能性は高いと考えています。ただし、根元が岩に隠れているため、採集時に根を傷つける可能性があります。現状では、安全に採れるか判断できません」
鬼塚は植物を確認し、岩の周囲にも目を向けた。
「報告は分かりやすい。では、どうする?」
「無理に採らず、別の角度から確認できる範囲を調べます。それでも判断できなければ、今回は記録だけにします」
「よし。確認してみろ。ただし、岩を動かす必要があると判断したら、そこで止めて報告しろ」
悠斗たちは、植物の反対側へ回った。
足場を確認しながら慎重に位置を変えると、岩の隙間から根元の一部が見えた。
しかし、根は岩の下へ伸びている。全体の状態までは確認できなかった。
「……やっぱり、無理に採るのは危ないですね」
悠斗が言った。
「そうだな」
鬼塚は短く頷いた。
「対象を見つけたことと、採集を成功させたことは違う。今回は採集しない判断も、課題の一つだ」
悠斗は植物の位置を記録し、特徴と採集を見送った理由を書き込んだ。
不思議な感覚は、まだ消えていなかった。
だが、今の段階で分かったことは一つだけだ。
自分は、植物を以前より細かく、整理して見られた。
それがスキルによるものなのか、経験による変化なのかは分からない。
断定するには、まだ早い。
◇
その後、六人は別の場所で採集対象を探した。
今度は、見本とよく似た植物が、足場の安定した場所に生えていた。
悠斗は先ほどの感覚を思い出しながら、特徴を確認する。
葉の形。茎の斑点。根元の状態。周囲の土。
候補を見つけたあと、必要な情報を順番に確かめる。
「これは、見本と一致している部分が多い。根元も確認できるし、周囲に傷つけそうな植物もない」
「採集できそう?」
美鈴が尋ねた。
「うん。ただ、念のため先生に確認してもらおう」
鬼塚の許可を得て、悠斗は指定された手順で植物を採取した。
根を傷つけないよう、道具を使って周囲の土を少しずつ取り除く。無理に引っ張らず、植物の状態を確認しながら作業を進めた。
採集した植物は、保存袋へ入れる前に状態を記録する。
その一連の作業は、今までの実習よりも少しだけ滑らかだった。
必要な情報と、まだ分からない情報。
採集の判断に必要な情報と、今は確認しなくてもよい情報。
それらを分けることで、観察にかける時間を調整できたのだ。
「……できた」
悠斗は保存袋の留め具を閉じた。
健吾が横から覗き込む。
「おお、さっきより早かったな!」
「うん。何を確認するか、少し分かりやすくなった気がする」
「スキルの効果かしら?」
凛が尋ねた。
「分からない。そうかもしれないし、今までの授業を思い出して、整理できただけかもしれない」
「その判断は妥当ね。現時点では、原因を特定できるだけの情報がないもの」
凛は頷いた。
「ただ、変化があったと感じた状況は記録しておくべきだと思う。あとで同じ条件を試せるかもしれないから」
「そうだな」
悠斗は記録帳に、今日の変化について書き足した。
――植物の特徴を確認している最中、情報が整理されて見えるような感覚があった。
――葉、茎、根元、周囲の状態を分けて考えやすかった。
――対象候補を見つけたあと、採集に必要な情報と未確認の情報を整理できた。
――スキルによる変化かどうかは未確認。今後も同様の状況で確認する。
書き終えてから、悠斗は自分の手を見つめた。
《採集士》。
判定を受けたときには、何ができるのかさえ分からなかったスキルだ。
これまでは、植物を見つけることも、価値を判断することも、知識と経験を積み重ねるしかないと思っていた。
もちろん、それは今も変わらない。
だが、もしスキルが成長することで、採集対象について得られる情報が増えるのなら。
自分にしかできない仕事が、少しずつ見えてくるのかもしれない。
期待が胸に広がりかけて、悠斗はすぐに気持ちを落ち着かせた。
まだ、何も確定していない。
スキルが変化したと断言することも、これから何が見えるようになるのか予想することもできない。
今できるのは、経験を積み、記録を残し、確かめ続けることだ。
「まずは金だな……」
ぽつりと呟くと、健吾が首を傾げた。
「何の話だ?」
「いや。今日の実習が、将来の仕事につながるといいなって」
「つながるだろ。こういうことを積み重ねて、探索者になるんじゃないのか?」
「……そうだな」
悠斗は笑った。
焦る必要はない。
今日、採集できた植物は一つだけだ。大きな成果とは言えない。
それでも、以前よりも確かな手応えがあった。
◇
実習終了の合図が鳴った。
六人は採集した素材と記録を整理し、点呼を受けてから訓練区画を後にした。
採集数は多くなかった。岩場の植物も、結局は採らずに記録だけを残した。
それでも鬼塚は、全員の報告を聞き終えると頷いた。
「今日の目的は、指定された数を集めることではない。現場に近い環境で、観察し、判断し、必要なら作業を止めることだ」
鬼塚の視線が悠斗に向く。
「神代。途中で何か変化を感じたそうだな」
「はい。植物を観察していると、特徴が整理されて見えるような感覚がありました。ただ、スキルの効果なのか、経験によるものなのかは分かりません」
「なら、今は分からないままでいい」
鬼塚はあっさりと言った。
「感覚だけで結論を出すな。いつ、何を見て、何が変わったと感じたのか記録しろ。同じことが起きるか、違う対象でも起きるか、確認できる範囲で試せ。分からないものを分からないまま扱うのも、探索者に必要な能力だ」
「はい!」
「それと、変化があったからといって、今まで守ってきた手順を省略するな。見える情報が増えたとしても、見えない情報まで分かるようになったとは限らない」
その言葉に、悠斗は強く頷いた。
植物の特徴が整理されて見えたとしても、根元が岩に隠れていれば、根の状態までは分からない。
分かることが増えても、分からないことは残る。
だからこそ、確認が必要なのだ。
「今日はここまでだ。報告書を提出したら解散。次回は、採集した素材の価値と扱い方について学ぶ。自分たちが持ち帰ったものが、どう評価されるのか。そこまで考えておけ」
「はい!」
◇
帰宅後、悠斗は夕食を終えると、自分の記録帳を開いた。
父の大輔は、椅子に座って右脚を休ませながら、息子の様子を見ていた。
「どうだった、初めての現場実習は?」
「楽しかったよ。訓練場より広い場所で、実際に採集する練習をしたんだ」
「そうか。何か採れたか?」
「一つだけ。でも、それより気になることがあってさ」
悠斗は、今日起きたことを順番に説明した。
植物の特徴が整理されて見えるように感じたこと。採集対象らしい植物を見つけても、根元が見えずに採集を見送ったこと。別の植物では、必要な情報を確認しながら、以前よりもスムーズに採集できたこと。
大輔は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「……スキルが変化した可能性はあると思う?」
悠斗が尋ねると、大輔は少し考えた。
「可能性はあるかもしれない。だが、今の話だけじゃ断言できないな」
「やっぱり?」
「スキルのことは、俺にも分からない部分がある。ただ、今日お前がやったことは、スキルがどうであれ無駄じゃない」
大輔は、自分の手のひらを見つめた。
「見つけたものを、すぐに採ろうとしなかった。分からないところを分からないまま報告した。仲間の意見も聞いた。そういう判断は、現場で役に立つ」
「……うん」
「それに、何か新しいことに気づいたなら、忘れないうちに記録しておけ。次に同じことが起きたとき、比べられるからな」
悠斗は記録帳を見下ろした。
「今日の先生にも同じことを言われたよ」
「なら、いい先生なんだろう」
大輔は笑った。
「ただし、スキルがすごいものになるかもしれないからって、無理はするなよ。何ができるようになっても、お前の体は一つだ」
「分かってる」
悠斗は力強く答えた。
家族を支えたい。
いつか、みんなを焼肉屋へ連れていきたい。
その夢は変わらない。
そのために必要なのは、急に強くなることでも、誰よりも多くの素材を採ることでもない。
自分にできることを確かめ、少しずつ仕事につなげていくことだ。
悠斗は記録帳の最後に、今日のまとめを書いた。
『採集対象を見つけることと、安全に採集できることは別』
『見えた情報と、まだ分からない情報を分けて考える』
『スキルの変化かもしれない感覚があった。原因は未確認』
『同じ現象が起きるか、記録を続けて確かめる』
ペンを置いた悠斗は、窓の外を見た。
遠くには、魔石技術によって明るく照らされた新東京の街並みが広がっている。
その向こうには、数え切れないほどのダンジョンがある。
今の自分には、まだ遠い世界だ。
けれど、今日の小さな気づきが、その世界へつながる一歩なのかもしれない。
「……まずは、明日の授業だな」
悠斗は記録帳を閉じた。
《採集士》というスキルが、本当は何を見せてくれるのか。
その答えは、まだ分からない。
だからこそ、確かめていく価値がある。
今日の経験を、明日につなげるために。
そして、いつか家族全員で、好きなだけ肉を食べられる日を迎えるために。
### 次回予告 第22話「素材の価値と扱い方」
初めての現場実習を終えた悠斗たちは、採集した素材の評価と保管方法を学ぶことに。
素材は、持ち帰れば終わりではない。傷や水分、保存状態によって価値が変わることもある。
そして悠斗は、実習中に感じた不思議な感覚を、授業でもう一度確かめようとする。
《採集士》の変化は、本当に始まっているのか――?
ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!




