手がかり
診察を終えた夕方。
俺は副院長室で、副院長の兄と秘書のがっちゃんという、いつものメンバーでお茶を飲んでいた。
窓の外は明るい曇り空。このお茶会が開かれる時はなぜか曇りの日が多い気がする。
薫り高い紅茶に心が和むのを感じながら、俺は今日の本題を口にした。
「司くんのことなんだけどさ」
兄とがっちゃん、2人の動きが止まった。
さぁ来た、何を言われるんだ、と警戒するように固まっている2人の誤解を解こうと、結論から先に伝えた。
「……ありがとね、穏便におさめてくれて」
病院として何か処分を下す、ということはせず、何もなかった・何も聞かなかったことにしてくれたのだ。
司くんが、もし研修先をかわりたいと申し出てきた際はそれを許可する、という条件付きではあったけれど。
元々水面下で動いていた(つもり)こともあり、司くんの長期欠勤を訝しむ声はあれど、この間の「患者さんが診察室で大泣きした騒動」と結びつける者はいなかった。(と思う)
紅茶を一口飲んだ。
もやがかかった思考が一瞬だけクリアになり、またすぐに深い霧に飲み込まれた。
最近、ずっとこんな感じだ。
何か重大なことを見逃している気がするのだけれど、それが何なのかがわからない。
がっちゃんも似たような違和感を抱いているようで、「虫の知らせというやつでしょうか…」とよく頭をひねっている。
「……もし、初期研修を修了しなかった場合は、どうなるのですか?」
がっちゃんが、おずおずといった感じで口を開いた。
それは兄が説明してくれた。
「保険診療・自由診療共にできない。『医師』ときいて世間がイメージするような感じではなくなるな」
「医師免許が無効になるのですか?」
「はは、そうじゃない。診療行為ができないというだけで、そうだな、製薬会社に就職して開発に従事したり、予備校の講師で活躍したり、あぁ、そうだ、大学院に進んで研究の道に進んだ者もいるな」
兄が該当者を思い出しているのか、顎に手をやり懐かしむように言葉を紡ぐ。
きっと、6年間共に過ごした友人たちを思い浮かべているのだろう。
優しい声音に、兄の学生時代を垣間見た気がした。
「そうなんですね」
「うん。だから、初期研修を修了しなかったからといって、未来が閉ざされるわけじゃない」
「よかった」
がっちゃんがほっとしたように言ってお茶を飲み、兄はその様子を見て満足そうにお茶菓子に手を伸ばしたところで、はた、と気付いた。
「ちょっとちょっとちょっと────なーんで司くんがやめる前提で話進めちゃってんの────」
俺の待った、に2人が哀れみのこもった目で俺を見た。
「考えたくはないですが、そのようになるかも、と覚悟はしております」
「続けてくれるんだったらそれが一番だ。だがそういう……図太いタイプには見えない」
兄が肩をすくめた。
「だから、今回の件で間宮くん(司くんのことだ)が犯人だった、というのは、正直かなり驚いた」
「…………………………」
兄も、俺とがっちゃんが抱いているような違和感を持っているのかもしれない。
そのまま沈黙がおり、各々考えを巡らせているところで秘書室の電話が鳴った。
失礼します、とがっちゃんが立ち上がり、「はい、……はい、あぁ……」と対応しているのを聞きながら、お茶菓子に手を伸ばした。
今日は紅茶に合わせたクッキー。
目を閉じて、さくさくとした食感を楽しみながら、口の中に広がる甘さを味わった。ほのかな甘味に、疲れが癒やされていくようだった。
「湊先生、恐れ入ります。〇〇大学の××先生が、近くに来たので急遽ではあるがお会いしたいと今ロビーの方にいらしているそうで……」
がっちゃんの芯のある仕事モードの声で現実に戻る。
お茶会は、終わり。
茶器をまとめ、お菓子もお盆にのせた。
そのままでいい、と言われたが、2人ともバタバタし始めたので俺がささっと片付けておいた。
「じゃあね〜仕事戻りまーす」
「あぁ」
「片付けまでさせてしまい申し訳ありません」
「いいっていいって。慣れたもんよ。あ、このお菓子おいしかったからちょーだいねー」
手をひらひらさせて、その場を辞した。
人数分とったクッキーは、詰所のみんなと研修医たちのデスクの上に置いておくことにする。
・・・
詰所に戻り、自分の席についた。
しばらく座っていなかったせいか、デスクの上は少々乱雑になっていた。
谷川さんからの小言を避けるため、片付けに取り掛かり始めた。
雪崩を起こしていた書類をトントンとまとめ、目を落とすと、研修医たちのレポートだと気付いた。
なんだか別の世界の出来事のような気がしてしまい、懐かしい思いで一枚一枚めくってみた。
パラ、パラ …
その中に、「間宮 司」の文字を見つけ、思わずかたまってしまった。
あぁ、彼はどんな気持ちでこのレポートを書いていたのだろうか
彼は日々何を思っていたのだろうか
表面的なことしか見えていなかった自分が情けなかった。
レポートの最後に小さく添えられた「ご指導ありがとうございます」の文字に、心が沈んだ。
そのままぼんやりと几帳面な文字を眺めた。
そうそう、司くん手書きのレポートでも「,」とか「.」書く子だったよね…としみじみしていたところで、ハッとした。
頭の中にあった霧が一気に晴れ、晴天がのぞいた気がした。
待て。
ちょっと待て。
パズルが急速にはまり出した。
ポケットから急いでスマホを取り出し、焦る気持ちを抑えメッセージを開いた。
司くんと何度かやりとりした文面を確認。
続いてマッチングアプリにログイン。
やりとりの記録を遡った。
────司くんは「,」や「.」を使うタイプ。
けれどマッチングアプリのやりとりではそれは見られず「、」や「。」が使われていた。
「────────」
今までつかみどころがなかった違和感が急に輪郭をもった気がして、震えた。
もちろんこれだけで証拠になるわけではない。
けれどもしかしたら
司は本当に犯人ではな……
「先生」
「うわぁぁぁぁ!」
いつのまにか詰所にいた鉄平に声をかけられ、椅子から飛び跳ねてしまった。
俺のそんな様子を鉄平は一瞬真顔で眺めた後、いつものようににこっと笑った。
人懐っこい、子犬のような笑顔。
「そんなにびっくりしなくていいじゃないですかー!このクッキーありがとうございます」
そう言いながら俺が副院長室から失敬してきたお菓子をひらひらとかざした。
「うまそうです」
「うん、おいしかったよ。食べてみてね」
「えーこれ開きませーん」
「もう、貸して」
袋が開けられず奮闘する鉄平が気の毒になり、開けてやった。
「斗真先生が食べさせてくれないんですか?あーん、してくださいよー」
「何言ってんの」
最近日に日に距離感がおかしくなってきている気がする。
鉄平の額を軽くデコピンしてやった。




