truth
味のしないケーキをコーヒーで流しこみ、ぼんやりとした足取りでカフェを出た。
(お店の名誉のために言っておくと、ケーキは美味しかったようだ。麻耶はにこにこと頬張っていたので)
すっかり黙り込んでしまった俺を、麻耶はずいぶん心配してくれた。
「ごめんなさい、私が余計なこと言っちゃったから……」
「いや、全然。ていうか俺が聞いたんだし。うちの病院の奴が迷惑かけて申し訳ありませんでした」
誠意を込めて、深々と頭を下げた。
麻耶が慌てたように俺の肩に手をやり、顔を上げてください、と言った。
「そんなことしないでください!あの、私だって勤務中に押しかけるなんて非常識なことしたんだし……」
髪を耳にかけながら、困ったように笑う。
「だから、おあいこ?ということで」
「────────」
自分の傷よりも俺を気遣ってくれるこの健気な人を、今すぐ抱きしめたくなった。
もちろんそんなことはしないけど。
苦笑い。
なんとなく離れがたい気分になり、このまま食事にでも誘ってしまおうかという気になる。
麻耶も同じようなことを思ってくれているのか、大の大人2人がもじもじし合うという、なんとも奇妙な時間が流れた。
麻耶の「えと」という言葉で断ち切られた。
「……じゃあ私、自習室行ってきます」
ひどく健全な報告。俺の心に若干の失望の雫が落ちた。
「うん。勉強、頑張ってね。えらいね」
「ふふ、今までやってきた仕事を何か形にしてみようと思って。テキスト読んでると、漫然とやっていた作業にもこんな意味があったんだってわかって嬉しく……すみません、話が長くなりそう」
「ははは。じゃあ、また次の機会に」
笑い合い、別れた。雑踏の中に消えていく麻耶。
連絡先は聞かなかったけれど、不思議とまた会える気がした。
彼女がこちらを振り返ったときにひらひらと手を振ると、照れたように手を振りかえしてくれた。
その姿が、すごく印象的だった。
・・・
麻耶と話してから、幾日か経った。
なりすましの犯人は鉄平かもしれない。
そうは思っても、まさか本人に聞くわけにもいかず、ただだらだらと日にちが過ぎていった。
相変わらず司くんは欠勤。
のんびりやの部長もそろそろ「今後どうするのか、本人の意思を確認しないとな」と頭をかきはじめていた。
そんな空気が流れている中、鉄平と俺は相変わらず時間外練習をこなしていた。
「司くん、大丈夫かな……」
練習室の空いた机に座り、思わずつぶやいた。
「さぁ?大丈夫なんじゃないっすか?ていうかあいつ元々基礎研究の方に進みたいって言ってたし、色々考えてのことなんじゃないっすか?」
少し離れたところで縫合の練習に励む鉄平がイライラした様子で言った。
今日は調子が悪いらしい。先ほどから何度も同じミスをしている。
「あ────もう!!くそっっ」
「はは、落ち着いて。そんな日もあるよ」
『今日はもういいですか?』と言いたげな視線を無視し、続けるよう促した。
「もう一回、落ち着いてやってみよう」
「さっきからそうしてます」
「ふふ、大丈夫。今度はできるから」
「え────マジかよ────なんか今日厳しくないっすか────?」
まぁやりますけど、と不満そうな鉄平を笑顔でかわし、椅子に腰掛けた。
机の上に置いてある、練習中は預かっている鉄平のスマホの画面が光った。
意図せず目に入ってきた画面に、心臓が止まるかと思った。
画面には「with」という文字が見えた。
マッチングアプリの名だった。
……落ち着け。悟られるな。
大丈夫、鉄平は気付いてない。
ポケットに手を入れ、自分のスマホを出した。
ロック解除。
静かに深呼吸をしながら、マッチングアプリwithを開く。
妙に冷静だった。
逆方向に曲がった指を前にして、感情を切り離し、必要なことだけを考えるときのように。
一文字一文字打ち、送信した。
鉄平のスマホがすぐ光り、画面には、今俺が送った文章がそのまま見えた。
『信じてたよ』。
鉄平は、手技に集中している。
・・・
駒井鉄平くん。大学は、俺と同じ。
『色んな科がある鈴木総合病院で己を鍛えたいと思います!ご指導よろしくお願いします!!』
元気な挨拶で、「また整形外科が騒がしくなるな」とみんなが嬉しそうに笑っていたっけ。
俺が指導係になって。
勤務外でもこうして練習に励んで。
……俺、君のこといい子だと思ってた。
なんで。
なんで、なりすま
「先生っっ!!やっとできました!!!!見て!!!!」
鉄平の、俺の気持ちとは真逆の明るい声音に思わずハッとした。
彼は犬がしっぽを振るように、嬉しそうにこちらを見ていた。
その白々しさに、笑いが込み上げて来そうになった。それを誤魔化すように、ゆっくりと首を横に振った。
「……うん、よくできてる」
「でしょー?あー疲れたっ。今日はもう終わりにしましょーよ!」
「そうだね」
にっこり笑って見せると、鉄平もへへっと笑った。
道具を片付けた後、預かっていたスマホを返した。
チラ、と画面を確認した鉄平が、ぎょっとしたように体を震わせた。
────気付いた。
1秒がこんなに長いのか、と思うような、張り詰めた沈黙が続いた。
やがて鉄平が恐る恐る俺を見た。こちらの出方を伺っているような探るような視線がなんともふてぶてしく感じ、何も言わず鉄平を見つめ続けた。
観念したのか、ぎこちなく口を開いた。
「……えっと、バレました?」
「そうだね」
「怒ってます?」
「…………………………」
この脱力を、どう言えばいいのか。『怒ってます?』だなんて、まるでこどもが、自分のしたイタズラがバレてしまったときのような呑気なセリフに、心底呆れた。努めて平静を装った。そして、ちょっとだけ嘘をついた。
「……怒ってないよ。全然。ただ、どうしてこんなことをしたのか教えて欲しい」
「それは────」
鉄平の視線が泳いだ。泣きそうに顔を歪めた。
「俺が、あなたに憧れてたからです。憧れ過ぎて、斗真先生になりたくなって、せめてアプリの中だけでもって思って……。ほんと、すみませんでした」
鉄平が頭を下げた。
けれど本題はここからだ。淡々と言葉を紡いだ。
「……どうして司くんが、約束した場所にいたの?」
「……そ、それは……実は、あいつも一緒になりすましてたんです。送られてきた画像がめちゃくちゃかわいい子だったから司が『俺が行く』って言って……。要するに、そういうことだったんです。斗真先生、司をすごく気に入ってたから、言いづらいんすけど……」
「…………………………」
一見筋が通っている言い分に納得しそうになる。が、
「アプリでやりとりしたよね?あれ、司くんが書く文章じゃない気がしたんだけど」
「……やりとりは俺が担当してたんです。ていうか、俺が司に片棒を担がされていた可能性は考えてくれないんですか?」
斗真先生、と鉄平が哀れみを乞うように、じり、と一歩寄った。
俺もその分後ずさりした。危うい緊張感に包まれ、目を逸らした方が負けとばかりにお互いを見張っていた。
「ちなみに、どうして俺が疑われたんですか?」
鉄平が、あぁそういえば、と思い出したように言った。場にそぐわない楽しそうな声音だった。
それに本能的に恐怖を感じ、脳が「高崎麻耶のことは言うな」と警鐘を鳴らした。
無言でいると、鉄平が推理するように顎に手をやった。
「……あぁ、あの女ですかね。病院まで来た。カルテを見て連絡取って、なんか医局の写真見せて確認した、って感じっすか?」
麻耶をあの女呼ばわりされたことが癪に障った。顔をしかめて不快を示した。
そして、悲しくなった。
そう、あの瞬間までは。麻耶が指差すあの時までは、俺、君のこと疑ってなかったんだぞ。
何も言わない俺に気をよくしたのか、鉄平が演説するように続けた。
「すみません、俺が原因で斗真先生に迷惑かけちゃって。まさか病院まで来るとは思わなくって。ほーんと、真面目な女って怖いですよね。やらせてもくれなかったし」
「そんな風に言うなよ……」
声を絞り出した。
鉄平からにじむ狂気のようなものにぞっとする。
「とにかく、今の話は司くんにも確認するから。それまでは今聞いたことは誰にも言わない。けど確認が取れた後は、──残念だけど、上に報告はするからね」
タイミングよくピルルル…と院内スマホが鳴った。
がっちゃんだった。
副院長がお呼びです、という用件に今練習に付き合ってるから後で行く、と答え、電話を切った。
同時に、
「この期に及んでなんで司なんですか!!!!!」
という鉄平の大きな声が、練習室に響いた。




