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魔女のお話  作者: seara
9/9

お呼ばれ

起きるとすぐにルチルは小さな小屋の掃除と昨夜使ってしまった水瓶の補充をしました。

家の中は、昨日と同じようにしんとしていて、薪の匂いと薬草の乾いた香りが漂っています。


でも、ルチルの胸の中は昨日とは違いました。

『……行かなきゃ』

声に出すと、胸の奥がきゅっと縮みました。

怖い気持ちはまだあります。

村の喧騒を思い出すと、足がすくみそうになります。


でも――エミリの笑顔を思い出すと、胸の奥がじんわり温かくなりました。


運搬袋を持って、母さんがぐっすり眠っている気配がする家を出て木の洞に向かいます。

2回目であっても、村に行くのは胸がどきどきします。


ひんやりする空気の中を進み、村の近くの木の木陰に出ます。

昨日と同じ村の喧騒が聞こえてきました。


笑い声。

怒鳴り声。

鍋の音。

車の音。


胸がぎゅっと縮みます。足が止まりそうになります。


でも、昨日よりも、ほんの少しだけ、その音が“全部怖いもの”には聞こえませんでした。


「……エミリさん、いるかな」


その言葉が、ルチルの足をまた一歩前へ進ませました。村の中央へと進むと、通りの反対側にいた女の人が銀縁メガネを光らせてルチルを見ました。

『お嬢ちゃん』

キラリとする銀縁メガネを直しながらルチルに話しかけました。

『村にお住まいざんすか?』

なんだか女の人の話し方は変わって聞こえました。

『いいえ。違います。私は黒い森にいるんです』

ルチルは礼儀正しく答えました。

『子供は学校にいる時間ざんすよ。学校には行かないざんすか』

女の人はピシャリと言います。眼鏡越しの目はなんだか鋭くなりました。

『私は黒い森で母さんの手伝いをしているんです。今日は母さんのお使いで村に来ました』

ちょっとだけ、女の人の目は優しくなったようでもありました。でも、ピカピカしたメガネは、ルチルを脅しているようにも見えます。

『そうざんすか。お嬢ちゃんのような子供が、学校に行かないで働いているのは法律違反なんざんすよ』

法律違反。

その響きは、母さんの怒りよりも、村の喧騒よりも、ずっと恐ろしいもののように感じられました。


ルチルは思わず一歩後ずさりました。


『私、お嬢ちゃんじゃありません。ルチルって言います』


声は震えていましたが、昨日ナーダに名前をもらった誇らしさが、その震えをどうにか支えていました。


女の人は、銀縁メガネを指で押し上げながら、じろりとルチルを見つめました。

『そうざんすか。あたくしは村長のコーマンチキンの妻ざんすの。教育委員も務めてるざんすわ。富める者の義務ざんすからね』

コーマンチキン夫人のいうことは、ルチルには全くわかりませんでした。でも、そんな失礼なことは言えません。

『初めまして、コーマンチキンさん』

んん?とコーマンチキン夫人は首を傾げます。

『ちょっと発音が違うざんすわ。コーマンチキン、とこうもっと高雅な響きにして頂かないとざんすの』

『失礼しました。コーマンチキンさん』

ルチルの発音は、どうもコーマンチキン夫人の気に入らないようでした。が、大目に見ることにしたようです。

『まだ小さい子ざんすからね。段々に話せるようになるざんすね』

コーマンチキン夫人は話を続けることにしました。

『黒い森の魔女の家にいるざんすね。あたくしは地球環境改善会議にも参加してるざんすよ。お子さんの教育の必要と持続可能なエネルギーや大気汚染についてお母様とお話しさせて頂く必要があるざんすわ。お母様は森の中で薪を燃やしてるざんすからね。お母様は家にいらっしゃるざんすか』

『母さんはいます。でも魔女なので、昼間は起きないです』

まあ、とコーマンチキン夫人は眼鏡を光らせました。

『じゃ、夜しか起きてないざんすか。昼間は誰がルチルちゃんの面倒をみるざんすか』


“面倒を見る”という言葉が、ルチルの胸に刺さりました。

まるで赤ちゃんみたい。まるで何もできない子みたい。


ルチルは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じました。


『夜は母さんは魔女の集会に行くんです。私はもう大きいので一人で居れます』


言いながら、ルチルは自分の声が少しだけ強くなっているのに気づきました。


コーマンチキン夫人はじっとルチルを見ました。

『ルチルちゃん、大人は子供の面倒をみる義務があるざんすよ。お母様は、いつなら、あたくしと話せるざんすかね』

母さんにはコーマンチキン夫人と話す時間があるのでしょうか。ルチルには分かりませんでした。

『わかりません。母さんが人と話すのは見たことがないので。私、なんでもやさんに母さんのお使いで行くんです。行ってもいいですか』

『よござんすよ。気を付けて行くざんす』

夫人はそう言って頷きましたが、その目はじっとルチルの後ろ姿を追っていました。


ルチルは背中にその視線を感じながら、なんでもやのドアを開けました。


ちりりん。


ドアの呼び鈴がなります。

こんにちは、と声を出す前にどすどすとエミリの足音が聞こえました。

『よく来たね。ルチルさん。あんたを待っていたんですよ。中へ入りなさい』

エミリは手を家の中に向かって振って促しました。ルチルが言われたままに進むと、奥は食堂になっていました。

テーブルの上には、作り立ての料理が一杯に並んでいます。ふかふかした白パン、蕪のスープ、ぱりぱりしたサラダ、バターがたっぷり乗ったジャガイモ、こんがりしたベーコン。ルチルのお腹がぐ~っと鳴りました。

『うちの人を連れてくるからね、ちょっとだけ待っていて』

エミリは、やっぱりどすどす大きな音を立てて奥に入り、つまみ上げるようにして旦那さんを連れてきました。手際よく、思いの他優しく椅子に旦那さんを座らせます。

旦那さんはルチルを見ると口元をほころばせました。

『小さい魔女さん、お使いをありがとう。なんでもやのトマスだよ。』


『おあがりなさい。ルチルさん』

えっとルチルは驚きました。薬を届けに来たのであって、食事を貰いに来たのではないのです。

『いいえ、エミリさん。私、お使いに来ただけなんです』

エミリはふん、と鼻息を出しました。

『昨日はカップケーキしか渡せてないからね。ちゃんと食べて顔色が良くならないと森にかえせないですよ。子供は大人の言うことを聞くものです』

ルチルは、どきどきしながら椅子に座りました。

『好きな物だけ食べるんですよ。いつもじゃダメだけど、お呼ばれですからね。嫌いなものを食べたら怒りますよ』

ルチルは好きな物と言われてもよく判らないのでした。白パンも蕪も食べたことはないのです。どうしたら良いか分からないで居たら、エミリが蕪のスープを深皿にちょっとだけ入れました。

『嫌な味だったら止めるんですよ。残ったらうちの人とあたしで次の食事に回せば無駄にならないですからね』

白いパンはふかふかで、指で押すとへこんで、すぐに戻りました。

蕪のスープは湯気が立っていて、スプーンを入れるととろりとしています。

こんなに美味しいものはルチルは初めて口に入れました。

とても美味しいとルチルが伝えると、トマスは嬉しそうに笑いました。

『うちのエミリは綺麗だし、体も大きくて力もあるし、器用で料理も上手くって自慢の嫁なんだよ』

エミリは、照れたように頬を赤くしながらも、「まあね」と言いたげに胸を張りました。そしてルチルの皿に白パンをもうひと切れ置きました。

ルチルは慌てて手を振りました。


『あ、あの……こんなに、食べられないかもしれません』


エミリは指をひらひら振りました。

『いいんですよ。残したらあたしとトマスで食べるんだから。良かったら他のもおあがりなさい』

ルチルはすぐにお腹が一杯になってしまいました。

『もうお腹が一杯です。ありがとうございました』

ルチルがそう伝えると、エミリは

『お腹が一杯になったらもう一口だけ食べなさい。そう。そんな風に。それでもって、最後にもう一口食べるんですよ。ルチルさんは瘦せすぎですからね』

不思議なことに、本当にルチルはエミリの言う量がお腹に入ったのです。エミリの丸々とした指が、器用にオレンジの皮をくるくると剥いていきます。

その動きは豪快なのに丁寧で、ルチルは思わず見入ってしまいました。


『さ、お食べなさい。フルーツは女の肌を綺麗にするんですよ』


ルチルは、“肌が綺麗になる”という言葉の意味はよく分かりませんでしたが、エミリが自分のために剥いてくれたことだけは分かりました。


オレンジは甘くて、口に入れるとじゅわっと果汁が広がり、喉の奥まで爽やかに満たしてくれました。

もうお腹が本当に一杯です。そう思ったら

『はい、これも。甘いものは別腹って言うんですよ』


エミリは、たっぷりのチョコレートクリームが乗ったケーキを一切れ差し出しました。

ルチルは慌てて首を振りました。


『あ、あの……もう本当に……』


でも、エミリはにっこり笑いました。


『大丈夫。これは喉を通るんですよ。あんたみたいに細い子は、甘いものを食べておかないとね』


ルチルは恐る恐るひと口食べました。


とろりとした甘さが舌に広がり、驚くほどすっと喉を通りました。そして、お腹の奥に、すとん、と落ち着きました。

『チョコレートケーキはまだ入りそうだけども食べなれないと興奮するからね。次にはは二切れ食べるんですよ』

エミリは目を細めて言いました。

『あんたはコーマンチキンの奥さんに会ったでしょう。ちょっとあの人は気取り屋でいばりんぼですけどね、気はいいのであんたに悪いようにはしないですよ』

エミリはみていたのでしょうか。ルチルは、まだ喉の奥にチョコレートの味を感じながらも胸の奥が縮むのを感じました。

あの銀縁メガネの光は、まだ胸の奥に刺さっていました。


でも、エミリの声は、その刺さりをそっと撫でるように柔らかでした。

『あの人はね、悪い人じゃない。ただ、ちょっとだけ……うるさいだけです』

トマスが笑いました。

『エミリの“ちょっと”は、だいたい“かなり”なんだけどね』

エミリは笑って、チョコレートでべたべたに汚れたルチルの顔と手を、温めた濡れタオルで拭ってくれました。

袖をあげて肘のあたりまで。

『ん~ってしてごらん』

とルチルに顔をあげさせて首の辺りまで拭ってくれました。そんなあたりまでチョコレートを付けたつもりはなかったのですが。

『さ、綺麗なルチルさんになったね』

エミリはまた目を細めます。

『さあ、遠くまで歩ける元気が付いたかしら?』

とルチルに聞きます。今までこんなに美味しいものを食べて元気があったことがあったでしょうか。ルチルはトマスとの取引を終えました。

『また来るんですよ。あたしとトマスには子供がないので、あんたはうちに来るだけで善行をしていることになるんですからね』

エミリが目を細めて言う横で、トマスもうんうんと頷きます。

一杯になったお腹を抱えてルチルはまた村の通りへと戻りました。


なんだか、お腹が一杯すぎて苦しい気もします。昨日のナーダはこんな感じだったのでしょうか。

トマスの腰が治るまで、もう何回か、こうやってエミリとトマスに会うことが出来るのでしょうか。トマスは食事中も時々顔を歪めて痛みに耐えているようでした。


ルチルは祈るような気持ちで、空を見上げました。まだお日様は高い位置にいます。すうっと小鳥がお日様を横切りました。あんな風にすうっと、トマスの痛みも飛んでなくなると良いのに。

ルチルはそっと、空に呪文を書きました。半人前以下の魔女の呪文が効くでしょうか。トマスの腰が治ったら、ルチルが村に来ることはなくなるのでしょうか。

なんだか悲しいような気持ちになって、ルチルは家につくまで俯いてしまったのです。

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