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Blood Red  作者: 井村六郎
Episode19
37/40

前編

 マリー、ボブ、ジーナ、ダニエルの四人は、ダニエルの村から遠く離れた森の中を歩いていた。


「ん?」


 と、ダニエルが足を止めた。


「どうしたの?」


 ダニエルがついてこない事に気付いたジーナが振り返る。ダニエルは立ち止まって、何かを見ていた。


「何見てるの?」


 そのそばまでやってきて、ダニエルが見ているものを一緒に見る。


「……げ」


 直後、彼女が苦い顔をした。


「何を見てるのかと思えば、蜘蛛じゃない」


 二人の視線の先には、大きな巣を張って中央に陣取っている、蜘蛛がいたのだ。


「この辺り結構荒れてるのに、虫がいるんだなって思って」


「私蜘蛛嫌いなのよ。早く行きましょ」


 ジーナはダニエルの背中を押して、先を急がせる。仕方なく足を動かし、マリーとボブに追い付く。


「どうして蜘蛛が嫌いなんですか? もしかして、蜘蛛に食べられそうになった事があるとか?」


 訊ねるダニエル。確かに言われてみれば、妖精という生き物は蜘蛛の巣に引っ掛かりそうなイメージがある。


「蜘蛛じゃなくて、蜘蛛の魔族に食べられそうになった事があるのよ。アルケニーって知ってる?」


「アルケニー? それって、上半身が人間の女の人だけど、下半身が蜘蛛だっていう……」


「それは人間の間で伝えられてるアルケニーの外見。本物はもっと人間っぽいし、あいつらは人間に化けるのが得意なの。私はちょっと前に、アルケニーの巣に引っ掛かっちゃった事があってね」


「それをマリアージュ様にお救い頂いたというわけじゃ」


 二人が話していると、ボブが割り込んできた。ジーナはかつて、アルケニーの巣に捕らえられてしまい、食われそうになっていたところをマリーに救われ、以来、彼女の旅に同行しているのだ。


「ジーナさんって、見かけによらず結構ドジなんですね」


「まったくじゃ。よりにもよってアルケニーの巣に掛かるなんぞ……わかっておるのか? マリアージュ様が通りがかって下さらなければ、お前なんぞとっくの昔に、蜘蛛女の腹の中じゃ。もっとマリアージュ様に感謝せんか」


 ダニエルはくすりと笑い、ボブは呆れている。そんな二人の様子に、ジーナは怒った。


「あんた達ねぇ! 好き放題言ってんじゃないわよ! あいつらは結界術も得意なの! 飛んでる途中でいきなり目の前に蜘蛛の巣なんか出されたら、どうやってかわせってのよ!?」


 アルケニーの巣になど、引っ掛かりたくて引っ掛かったわけではない。どうも彼女を捕らえたアルケニーは少し前から彼女を狙っていたようで、蜘蛛の巣を大量に展開した結界を作って待っていたのだ。そして、彼女の意識に隙が出来た瞬間に結界を発動し、彼女を閉じ込め、絡め取った。糸には力を封じる術式が刻まれていたので、転移魔法を使った逃走も出来なかったのである。


「相手を捕まえる能力に特化してるだけじゃなくて、あいつら基本的に変態なの。私を犯し尽くしてたっぷり辱めてから、苦痛を与えて悲鳴を楽しみながら食べてあげるって言われたわ。それならいっその事ひと思いにやってもらった方がマシよ!」


 ジーナの話だと、彼女を襲ったアルケニーは極度のサディストで、彼女をたっぷり苦しませてから捕食するつもりだったらしい。またその個体だけでなく、アルケニーの一族は基本的に何かしらの特殊性癖を患っているらしかった。


「お前は死にたかったのか?」


 と、今度はマリーが話しに混ざってくる。


「……そんなわけないじゃないですか」


 ジーナはそっぽを向きながら言った。死ぬなら苦しませずに楽にして欲しいというだけで、死なずに済むならその方がいいに決まっている。


 彼女は最も自由を愛する妖精ピクシー族。蜘蛛の巣に捕らえられて嬲り殺しにされるなど、彼女が最も嫌う死に方の一つだ。


「これでも感謝してるんですよ?」


 ジーナは不機嫌そうな顔で、ウインクする。絶望に閉ざされた最期を迎えるはずだったところを救われて、感謝しないはずがない。口は悪いし、言いたい事は存分に言うが、それは決してマリーに対する恩を忘れたからではなく、彼女の癖だ。


 まぁマリーからすれば、助けたという認識はなく、気持ちの悪い気配がする結界があったから、精神衛生上の問題で破壊し、巣と蜘蛛を駆除したというだけなのだが。


「でもよく考えたら、吸血鬼と蜘蛛って似てますよね? 獲物を捕まえて動けなくして、血を吸っちゃうわけですし」


「あのような低俗な虫と吸血鬼を一緒にするな」


「あ、ごめんなさい!」


 ダニエルは吸血鬼と蜘蛛の生態の類似性を指摘しただけなのだが、マリーの機嫌を損ねてしまったようで、すぐに謝る。


「侮れん存在だというのは確かだがな」


 マリーは前を見たまま、呟いた。



 ☆



 葵町も初夏に突入し、夏服を着て鼻歌を歌いながらスキップして、学院への道を行く真子。


「この夏服大好き!」


 動きやすく通気性もあり、白いニーソックスが眩しく光る。真子はこの夏服がお気に入りで、夏が好きだった。


「ん?」


 と、真子は気付く。通学路に、昨日はなかったはずの大きな蜘蛛の巣が出来ている。そして、女郎蜘蛛が一匹の美しい蝶を捕らえ、糸を巻き付けていた。


「うわ……」


 せっかく夏服を着て気分が晴れているというのに、嫌なものを見てしまった。


 と、奇妙な現象が起きる。


 女郎蜘蛛が、蝶に糸を巻き付ける行為をやめて、頭を真子に向けたのだ。


「!?」


 不気味な現象だった。


(何なの、この蜘蛛……まるで……)


 まるで自分を見ているようだと、真子は感じた。蜘蛛の複眼から、ただの虫ではない、知性を持っているかのような輝きを感じるのだ。


「っ!」


 とても不気味な蜘蛛だ。恐ろしくなった真子は、駆け足でその場を離れた。


 女郎蜘蛛は、やはり頭を動かして、真子が去った方角を見ていた。



 ☆



「という事があったの」


 真子は学院に着き、瑠阿に今朝見てしまった気持ちの悪い蜘蛛の話をした。


「ねぇ瑠阿。蜘蛛の魔族について何か知らない?」


「蜘蛛の魔族かぁ……いろいろいるけど、一番有名なところだとアルケニーかしら?」


「アルケニー……これまたメジャーな……」


 瑠阿はアルケニーという魔族の生態について話す。


「基本的には、普通の蜘蛛に変身して身を隠しているし、その時の主食は虫よ。でも時々人間に変身して、人間を罠に掛けて襲う事もあるわ」


「虫で満足してるような連中がどうして人間を襲うのよ?」


「アルケニーは雌しか生まれない魔族なの。だから繁殖の為に男の人を襲って、遺伝子を採取してるのよ」


「……あんまり聞きたくないんだけど、遺伝子を取られた後は?」


「もちろん、子供を産むための栄養にされるわ」


 それには、目撃者を消す為の口封じの意味合いもある。


「でも襲われるのは男の人でしょ? 女の私が襲われる事はないわね」


「そうとも言い切れないわ。繁殖期のアルケニーは凶暴で、男女関係なく襲い掛かってくるの。一人で夜道を歩いている時とか、隙を見計らってね」


 それを聞いて、真子は背筋が寒くなるのを感じた。もしあの時自分を見た蜘蛛の正体がアルケニーで、餌にする為に自分を狙っていたら……。


「でもアルケニーの繁殖期としては、まだ早いはずよ。考えすぎじゃない?」


「だといいんだけど……」


 真子は思い直した。蜘蛛が視線に気付いて捕まえた餌を捕食するのを中断するなど、あまりにも非現実的すぎる。何かの見間違いだったのかもしれない。仮にアルケニーだったとしても、女性の自分が襲われるはずがない。


「一応、帰ったらメアリーに訊いてみるわね」


 旅をしてきてもっと魔族の生態に詳しいメアリーなら、何か知っているかもしれない。


「お願い」


 ここは真子も、生き字引のメアリーにお願いする事にした。



 ☆



 一方その頃メアリーは、アウトローホールにいた。フェリアの至宝について、何か情報を得る為だ。


「それ、本当ですか?」


 メアリーはレヴェナの言った事に、耳を疑う。


「ええ。残念ながら」


 彼女から聞いたのは、フェリアの至宝についてではなく、とある話だった。


 異端狩りを倒そうとしているのは、メアリーのような魔族だけではない。ジャスティスクルセイダーズは既に、人間からも恨まれる存在となっている。


 その人間は科学技術に秀でており、魔界の魔道士と契約して、様々な魔族の細胞を入手していた。理由は、その細胞を使って異端狩りを殲滅する生物兵器を造る為である。


 しかし、一年前異端狩りに目を付けられてしまい、科学者は殺され、研究所は破壊され、その時に開発されていた生物兵器達も、一匹残らず駆除されてしまった。


 ところが、生物兵器が一匹だけ研究所から逃げ出していた事が、最近になってわかったらしいのだ。


「どんな兵器なんですか?」


「簡単に言えば、キメラです」


 キメラ。異なる魔族同士が交配する事によって生まれる、合成生物。自然界においても誕生する魔族だが、人為的に造る事も出来る。


「何のキメラですか?」


 一体どんな魔族を合成させて造ったのか、緊張するメアリー。魔族の種類によっては、彼女でも勝てないかもしれない。


 レヴェナは話す。


「アルケニーとサキュバスです」


「……は?」


 再び耳を疑うメアリー。


 彼女としては、ドラゴンとオーガ、悪魔と海魔のような、恐ろしい魔族を合成させたキメラを想像していたのだが、アルケニーとサキュバス。なぜそんな組み合わせにしたのかと、三時間くらい問い詰めたくなるキメラだ。


「製作者が亡くなった今となっては確かめられない事ですが、恐らくアルケニーの拘束能力と、サキュバスの魔力に目をつけたものかと」


 サキュバスは色欲の魔法で有名な魔族だが、実はとても高い魔力を持っており、戦闘力は馬鹿に出来ない。とはいえ、大きな力も当てられなければ意味がないのだ。サキュバスのパワーを確実に当てる為に、アルケニーの糸に目をつけたとなれば、なかなか実用性の高い合成である。


「まぁいいです。で、そのキメラが最後に目撃された場所は?」


「三週間前、上海です」


 上海。これはまた、記憶に新しい場所の名前が出てきた。この前あそこで、元ジャスティスクルセイダーズのエルクロスと死闘を繰り広げたばかりである。


「もっとも、今もまだいるとは限りませんが」


「アルケニーって、通常時は蜘蛛に変身してますよ。蜘蛛ってどこにでもいますし、もしかしたら上海から帰ってきた時に、僕達にくっついてきたかも」


 メアリーは自分の身体を見てみる。もちろん、蜘蛛なんていない。というか、今さらそんな事をしても無意味だ。


「一応、警戒はしてみますね」


「瑠阿さんにも言っておいて下さい。心配ないとは思いますが」


「もちろんです。そうそう、この前姉さんと戦ったんですが、瑠阿がすごくいい働きをしてくれまして」


「それはそれは。彼女も強くなっているんですね」


 嫁自慢を始めるメアリー。まだ嫁にはなっていないのだが、もうほとんどそんなものである。


「僕としても嬉しいです。あとは、姉さんの問題ですが」


「マリーですね。彼女ももう少し、人を愛するという事を学んでくれればいいのですが」


 レヴェナとマリーには、一応面識がある。あまり深く会話した事はないが、父の事を大切に想っている事はわかった。


「姉さんが人間をあれだけ深く憎んでいる理由、知ってるんです」


「お父さんを殺されたからですか?」


「もちろんそうです。ただ、それは殺されたからだけじゃないんです」


 吸血鬼の父、アグレオン。彼はただの吸血鬼というだけでなく、魔界の頂点に一番近い存在と言われるほど、強大な力を持っていたという。マリーは強く優しいアグレオンを、誰よりも尊敬していた。


「愛していたからこそ、乗り越えようと願っていた。自分の力で倒して乗り越えようとしていたんです」


 そう。マリーは自分の力が最大に高まった時、彼と一対一で勝負して、打ち倒そうとしていた。そうする事で父を乗り越え、彼が成し遂げられなかった魔界最強の称号を得ようと考えていた。その機会を、無関係な異端狩り達が奪ってしまった事を、マリーは恨んでいるのだ。


「姉さんがやろうとしている事は、ただの八つ当たりです。とても愚かな事ですよ」


 八つ当たりで世界を滅ぼすなど、馬鹿げている。どんな手を使ってでも、やめさせなければならない。


「でも、時々思うんです」


 しかし、それでもメアリーは考えてしまう。


「もし僕が姉さんと同じ考えを持っていたら、父さんを殺された時、人間を恨まずにいられたのかなって」



 ☆



「ティルアさん。ジンさんは?」


 放課後、真子はジンの事が気になり、ティルアに訊ねた。


「彼なら、訓練中ですよ」


 ジンはマリーに敗北して以来、再び遭遇した時確実に勝てるよう、現在進行形で猛特訓中である。少なくとも、すぐにここに戻ってくるという事はない。


「どうしてですか?」


「いえ、この前助けて頂いたので」


「ああ……またジンに伝えておきますよ。善良な一般市民が、あなたの働きに感謝していたと」


「あはは……」


 一応伝えてくれるらしいが、正直言ってジンはあまり喜びそうにない。そんなもんいいから魔族を狩らせろ! という声が聞こえてきそうである。


「それでは」


 ティルアは帰ってしまった。


「あたしも帰るわ」


「あ、うん……」


「……蜘蛛の事が心配?」


 暗い顔を見せた真子。理由はやはり、今朝の蜘蛛だ。


「考えすぎよ」


「そうだといいんだけど……」


「もし何かあったら、いつもみたいにあたしを呼んで。アルケニーって話し合いが通じるから、会話で時間を稼ぐ事は出来るわ」


「……うん」


 真子には瑠阿が、メアリーがついている。何があったとしても、この二人に解決出来ない事態などない。


 そう思うと少しは安心出来たので、真子は帰る事にした。


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