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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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第二十八話「中古パソコンは中二には高すぎる」

 参考書を買った翌日、俺は自分の机の上に財布の中身を並べた。


 硬貨を種類ごとに分け、札を伸ばして、メモ帳に金額を書く。

 貯金箱から出した分、お年玉の封筒に残っていた札、財布の中身。そこに、父さんから「取っておけ」と言われた昨日のお釣りを足す。


 合わせて、二万五千二百九十円。


 中学生としては、たぶん悪くない。

 少なくとも、放課後にコンビニで買い食いをしていた昔の俺よりは、かなりまともな金額だ。


 ただ、これをパソコン代として見ると、一気に薄くなる。


 会社員時代の俺は、ノートパソコンを買う時に十万円前後の値札を見て「まあ、そんなものか」と思っていた。財布は痛いが、給料とボーナスとカード払いでどうにかなる。

 今は月の小遣いが二千円で、お年玉も自由に全部使えるわけじゃない。カード払いなんて当然ない。


 未来知識なんて大げさなものを持っていても、財布の中身は中二男子のままだ。

 やってられない。


 俺はメモ帳に「パソコン」と書いて、その下に線を引いた。


 その下に、調べ物、記録、表計算、タイピング、家族共用だと困ること、と並べていく。

 字面だけ見ると、夏休みの自由研究というより会社の備品申請に近い。

 中二男子の机から出てくるには、だいぶ渋い。嫌なリアリティだ。


 白石に言われた通り、目的と使い道は分けた。

 それでも、父さんに見せるにはまだ弱い。

 欲しいから欲しい、と言っているように見える。


 まずは、値段を知らないと話にならない。


 俺はガラケーを開き、田端にメールを打った。


『今日、駅前の電器屋にパソコン見に行く。暇なら来るか』


 送信して、机の上の小銭をまた財布に戻す。

 田端からの返信は、思ったより早かった。


『行く。ゲーム売り場も見る』


 目的が違う。

 いや、田端らしいのでいい。


 少し迷ってから、白石にもメールを送った。

 昨日の今日で誘うのはどうなんだ、という声が頭の中で軽く鳴る。

 まあ、パソコンの値段を見に行くだけだ。甘い要素なんて、値札のどこにもない。

 昨日も似たような言い訳をした気がする。

 自分で自分に呆れながら、それでも送信画面を閉じられなかった。


『午後、駅前の電器屋でパソコンの値段を見てくる。昨日のメモの続き。もし時間あったら』


 文章を打ってから、最後の「もし時間あったら」が妙に逃げている感じに見えた。

 でも消せなかった。

 結局、そのまま送った。


 しばらくして、白石から返信が来た。


『行けると思う。時間教えて』


 短い文面なのに、少しだけ机の前で固まった。

 変に落ち着かなくなって、意味もなくガラケーを開いたり閉じたりした。

 何をやっているんだ、俺は。


 俺は「二時に駅前」と返して、ガラケーを閉じた。


 参考書を買って、次はパソコンの値段を見に行く。

 やっていることだけ見れば真面目なのに、予定表だけは妙に夏休みっぽい。


 いや、中学生なのだが。


 ◇ ◇ ◇


 駅前の家電量販店は、外から見ても涼しそうだった。


 入口の自動ドアが開くたび、冷房の冷たい風が外へ流れてくる。

 店頭では扇風機が何台も首を振り、ポスターには地デジ対応とか、夏のボーナスセールとか、そういう文字が並んでいた。


 二〇一〇年の家電量販店は、薄型テレビの売り場がまだやたらと元気で、携帯電話のコーナーには二つ折りのガラケーがずらっと並んでいる。

 スマホも少しは置いてあるが、今の時代ではまだ売り場の端で様子を見ている感じだった。

 未来を知っている俺から見ると、ここから数年で景色がひっくり返る。


 ただ、その未来を語ったところで、今の俺の財布は二万五千円ちょっとである。

 ひっくり返りそうなのは世界ではなく、俺の予算だった。


 田端は入口近くで待っていた。

 手には溶けかけたアイスの棒を持っている。


「佐伯、おせえ」

「二時ぴったりだろ」

「俺が早かった」

「なら俺は悪くない」

「細かいな」


 田端はアイスの最後の一口を食べ、近くのゴミ箱に棒を捨てた。

 こういうところは妙に行儀がいい。


 少し遅れて、白石が来た。

 今日は白い半袖のブラウスに、薄い色のスカートだった。

 昨日より少しだけ外出らしい格好に見える。


 見るな。

 いや、見ないのも変だ。

 普通に挨拶しろ。


「白石、こっち」


 俺が声をかけると、白石は小走りまではいかないけれど、少しだけ急いだ足取りで近づいてきた。


「ごめん、待った?」

「いや、今来たところ」

「俺は待った」

「田端は勝手に早く来ただけだろ」

「アイス食ってたから平気」


 白石が小さく笑った。

 田端がいると、空気が軽くなる。

 それがありがたい時もあるし、今みたいに、少しだけ悔しい時もある。


「パソコン見に行くんだよな?」


 田端が店内を覗き込む。


「見るだけな。今日は買わない」

「買えない、じゃなくて?」

「正確に言うな」

「なるほど」


 白石は俺と田端のやり取りを聞いて、少し困ったように笑った。


「値段を確認するんだよね」

「うん。父さんに相談する前に、相場くらいは知っておきたい」

「やっぱり、ちゃんとしてるね」

「昨日からそればっかり言われてる気がする」

「でも、大事だと思うよ」


 白石がまじめに言うので、俺は少しだけ視線を外した。


 店内に入ると、冷房が一気に肌に当たった。

 外の暑さでじんわり汗ばんでいた首元が、急に冷える。

 田端は「天国」と言いながら、ゲーム売り場の方へ足を向けかけた。


「田端、パソコン売り場」

「ちょっとだけゲーム見ていい?」

「あとで」

「絶対だぞ」

「分かった」


 田端を引き戻し、俺たちはパソコン売り場へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 新品のノートパソコン売り場は、まぶしかった。


 銀色や黒の筐体が台の上に並び、画面には店員が設定したらしい宣伝画面が流れている。

 大きいもの、薄いもの、テレビが見られるもの、持ち歩けそうなもの。

 値札も、しっかり存在感がある。


 値札には七万九千八百円、九万九千八百円、十二万八千円と並んでいる。


 見ただけで、俺の財布が静かに死んだ。


「高っ」


 田端が素直に言った。

 俺も同じ気持ちだったので、反論できない。


「これ、一台でゲーム機何個買えるんだ?」

「発想が田端だな」

「大事だろ」

「大事かもしれないけど、今日はそこじゃない」


 白石は値札を見て、少し目を丸くしていた。


「こんなにするんだ」

「新品だとこのくらいはする」

「佐伯くん、これを買うつもりだったの?」

「いや、さすがに新品は無理」


 無理という言葉が、思ったよりはっきり出た。


 未来の俺なら、性能と値段を見比べてぐだぐだ悩むところだ。

 今の俺は、悩む前に値札で殴られて終わりである。


 店員が近づいてきそうな気配があったので、俺は少しだけ横へ移動した。

 中学生三人が新品ノートの前で真剣に悩んでいると、店側としても声をかけるべきか迷うのだろう。


「中古とか型落ちを見る」


 俺が言うと、田端が首を傾げた。


「中古って、パソコンにもあるのか」

「ある。むしろ今の俺にはそれしかない」

「中古のパソコンって、前の人の宿題とか入ってそう」

「普通はデータ消してるぞ」

「ほんとか?」

「たぶん」


 たぶん、と言ってから少し不安になった。

 実際、中古パソコンは店による。

 初期化済みか、保証はあるのか、バッテリーは持つのか。そのあたりを見ないで買うと、あとで泣く。

 未来の知識があっても、この場で見極められるほど詳しくはない。


 俺はパソコンに詳しい人間じゃなかった。

 会社では支給された端末を使い、壊れたら情報システム部に泣きつく側だった。

 未来から戻ったからといって、急にハードウェアに強くなるわけじゃない。


 それでも、何も知らないよりはましだ。

 たぶん。


 店の奥に、中古パソコンと書かれた小さなコーナーがあった。

 新品売り場ほどきらきらしていない。

 台の上に並んでいるのは、少し厚くて、少し重そうなノートパソコンばかりだ。


 その中に、見覚えのある銀色のノートがあった。

 レッツノートだ。

 会社員時代、営業の人がよく持ち歩いていた。頑丈で、軽くて、バッテリーがそれなりに持つ。

 新品は高いが、ここにあるのは何年か前の型落ちらしい。


 値札には、三万九千八百円とあった。


 俺はしばらく、その数字を見ていた。


 新品よりはずっと現実的だ。

 とはいえ、中学生にはまだ高い。

 二万五千二百九十円を全額出しても届かない。

 しかも、全部出したら財布が空になる。


「これでも高いな」


 田端が俺の隣で言った。


「だな」

「でも、さっきの十万よりはマシじゃね?」

「マシだけど、今すぐ買える金額じゃない」

「親に言えば?」

「そのために理由を考えてる」


 田端は首の後ろをかいた。


「理由って、パソコン欲しい、じゃ駄目なのか」

「駄目だろ」

「俺ならそれで行く」

「通らない時もあるんだろ」

「ある」

「じゃあ駄目じゃないか」


 白石が少し笑った。

 そのあと、レッツノートの説明札をじっと見た。


「これ、軽いって書いてある」

「持ち歩き用の仕事向けだと思う」

「仕事向け?」

「たぶん、会社の人が外で使うやつ」

「ゲームは?」


 田端が食いついた。


「これはそういうパソコンじゃないぞ」

「えー」

「えーじゃない」


 グラフィックは内蔵で、大きなゲームを動かすような機械じゃない。ネットを見て、文章を書いて、表計算を少しいじるくらいのやつだ。

 地味だが、今の俺にはその地味さがいる。


 問題は古さだ。

 バッテリーが死んでいるかもしれないし、動作が遅いかもしれない。保証が短いなら、壊れた瞬間にただの重い板になる。


 そして何より、父さんに「中古で四万円近いパソコンが欲しい」と言うには、まだ説明が足りない。


「佐伯くん」


 白石が声をかけてきた。


「うん?」

「これで何をしたいか、もう少し分けた方がいいかも」

「分ける?」

「調べることと、書くことと、残しておくこと」


 白石は指で空中に小さく区切りを作るような仕草をした。


「調べるだけなら、図書館でもできるよね」

「まあ、できる」

「でも、書いたものをずっと残すなら、自分のパソコンの方がいい」

「そう」

「お父さんに言うなら、そこを分けた方が伝わる気がする」


 俺は値札から白石の方へ視線を移した。

 そこを拾うのか、と思った。


 調べるだけなら、別に図書館でもいい。

 学校の技術室でも、授業中ならパソコンに触れる。

 家族共用のパソコンだってある。


 でも、俺がやりたいことは、調べて終わりでは済まない。

 メールアドレスを作るかもしれないし、パスワードも必要になる。証券口座の下調べ、株やサービスの記録、十年以上先まで残すつもりのメモもある。

 こうして並べると、中二の夏休みに考える内容としては本当に重すぎる。

 我ながら嫌になる。


 学校の備品でそんなものを扱うのは論外だ。

 図書館の共用パソコンも同じ。

 誰が次に使うか分からないし、どこまで履歴が残るかも分からない。時間も好きには使えない。

 家族共用パソコンでも、父さんや母さんにいちいち見られる可能性がある。


 見られたくないというより、消えたり混ざったりするのがまずい。

 あと、父さんが仕事用の設定をいじっていて、俺の大事なファイルがどこかへ行ったら泣く。たぶん本気で泣く。

 前の人生で、データが消えて青ざめた人間を何度か見た。

 あれを自分の未来計画でやるのは、さすがに笑えない。


「そうだな。調べるだけじゃなくて、記録を残したいんだ」


 俺が言うと、白石はうなずいた。


「じゃあ、パソコンがほしい理由は、調べ物だけじゃないね」

「うん。自分用のノートと机が欲しい、に近いかもしれない」

「ノートと机」

「高すぎるノートだけど」


 白石が小さく笑った。

 田端はレッツノートの横に置かれた別の小型パソコンを見ていた。


「こっちは?」


 小さなネットブックだった。

 画面はかなり小さい。

 値札は二万九千八百円。


 心が一瞬だけ動いた。

 今の手元資金にかなり近い。

 親に少し足してもらえれば届く。

 あるいは、お年玉の管理分を少し使わせてもらえば――。


 いや、落ち着け。


 安いものには安いなりの理由がある。

 画面もキーボードも小さいし、性能もかなり控えめだ。調べ物と文章作成くらいならいけるかもしれないが、毎日使うと肩がこりそうだった。


 会社員時代にも何度か思い知ったが、安物買いの銭失いという言葉はわりと当たっている。

 特に、毎日使う道具でそれをやると、じわじわ効く。


「安いけど、画面が小さいな」


 俺が言うと、田端が画面を覗き込んだ。


「これで動画見たら目が死にそう」

「動画を見るためじゃない」

「じゃあ何のためだよ」

「勉強と調べ物と記録」

「真面目か」

「真面目に言ってる」


 田端は「へえ」と言いながら、あまり分かっていない顔をした。

 まあ、田端はそれでいい。

 分かっていない顔で値札に反応してくれるだけで、こっちの説明が足りない部分はだいたい浮く。


「でもさ」


 田端が急に言った。


「学校の技術室のパソコンでよくね? 授業で使うやつ」


 来た。


 たぶん、普通の中学生なら一度はそう思う。

 俺も昔の俺ならそう言ったかもしれない。

 買えないなら、あるものを使えばいい。

 それ自体は別におかしくない。

 ただ、技術室のパソコンで何でもやろうとすると、あとで先生に怒られる未来しか見えない。


「技術室のは授業用だろ」

「でもパソコンじゃん」

「自由に使えない。放課後に勝手に触れるものでもないし、先生の管理下だ」

「まあ、それはそうか」

「あと、私物のデータを入れるのも危ない。消されるかもしれないし、他の人が触るかもしれない」

「宿題くらいならよくない?」

「宿題ならいいかもしれない。でも、長く残したい記録には向かない」


 俺は言いながら、言葉を選んだ。

 口座とか、ウォレットとか、パスワードとか、そのまま言いすぎると白石にも田端にも変に聞こえる。


「たとえば、日記とか、家計簿とか、将来のためのメモとか。そういうのを学校のパソコンに置きっぱなしにするのは嫌だろ」

「日記は嫌だな」

「だろ」


 田端は即答した。

 分かりやすい。


「図書館のパソコンも同じ?」


 白石が聞いた。


「似てるかな。調べ物にはいいけど、自分の情報を入れるのは怖い。次に誰が使うか分からないし、時間も限られる」

「家のパソコンは?」

「家族共用だから、使いたい時に使えるとは限らない。あと、父さんが仕事で使うこともある」

「じゃあ、自分用じゃないと続けられないんだ」

「たぶん、そこが一番大きい」


 言ってから、俺は少し息を吐いた。

 説明しているうちに、自分でもようやく分かってきた。

 父さんに「未来知識を使いたいから」なんて言えるわけがない。言ったら病院か説教か、どちらかだ。

 となると、言える範囲で理由を作るしかない。

 面倒だが、そこをサボるとたぶん全部止まる。


「佐伯くん」


 白石が、少し控えめに言った。


「今の話、メモにした方がいいと思う」

「父さん用?」

「うん。技術室でできること、図書館でできること、家の共用パソコンでできること、自分用じゃないと難しいこと」

「比較表か」

「たぶん、その方が分かりやすい」


 いかにも白石らしい。


 俺は鞄からメモ帳を出した。

 店内で値札の前に立ったまま、中学生三人がメモを取る。

 かなり変な光景かもしれない。


 田端が横から覗き込む。


「佐伯、こういう時だけ本当に大人っぽいな」

「こういう時だけってなんだ」

「普段は田端様と同レベル」

「自分で様をつけるな」

「田端様、ゲーム見たい」

「あとでって言っただろ」


 白石がまた笑った。

 その笑い方が、少し自然になっている気がした。


 俺はメモ帳に線を引き、学校、図書館、家族共用、自分用と横に並べた。

 さらに、使える時間、保存、安全、続けやすさという項目を足す。

 白石が「個人情報って書くと、お父さんは心配するかも」と言ったので、「安全」と書き直した。


「安全の方がいい?」

「うん。危ないことをしたいんじゃなくて、安全に使いたいって伝わるから」

「なるほど」


 また助けられた。

 最近このパターンが多い。

 助けた側みたいな顔をしていたくせに、今は中古パソコン売り場で白石にメモの項目を直されている。

 格好はつかないが、まあ助かるものは助かる。


 田端がレッツノートの値札を指で叩かないように、ぎりぎりの距離で示した。


「で、佐伯はこれが欲しいの?」

「候補だな」

「三万九千八百円」

「言うな」

「高いな」

「知ってる」

「親に半分出してもらう?」


 半分なら、現実味はある。

 俺の手元資金から二万円出して、父さんに残りを出してもらう。

 ただ、それを言うには、俺の貯金をどこまで出すか、今後の小遣いをどう使うか、成績が下がった時の条件まで考えないといけない。


 適当に頼んで買ってもらえる金額じゃない。


「半分でも、ちゃんと相談しないと無理だな」

「佐伯の父ちゃん、厳しい?」

「厳しいというか、理由は聞かれる」

「でも参考書の時、お釣りくれたんだろ?」

「それは参考書の話」

「信用ってやつじゃね?」


 田端が何気なく言った。

 俺は少しだけ黙った。


 信用、か。

 そういう言葉を田端が軽く使うと、妙にくすぐったい。

 癪だが、田端にしてはいいところを突いている。


 参考書の領収書を出して、お釣りも返そうとして、付箋は自分の財布から買った。

 小さい話だが、父さんは見ていた。


 次に何か必要な時も、先に言え。


 昨日の父さんの言葉を思い出す。

 今が、その次なのかもしれない。

 少し早すぎる気もするが。


「まあ、いきなり買ってくれじゃなくて、相談からだな」


 俺が言うと、白石がうなずいた。


「相談なら、今日見たことも話せると思う」

「新品は高いし、中古でも安くはない。学校や図書館で全部やるのも無理がある」

「それと、使う約束」

「約束?」

「時間とか、見られて困る使い方をしないとか、成績が落ちたらどうするか、とか」


 白石の言葉に、俺は内心でうなった。


 そこまで考えているのか。

 いや、父さんが聞きそうなことだ。


 自室で使いたいと言えば、父さんはたぶん眉間にしわを寄せる。

 夜中まで触るな、変なサイトを見るな、成績が落ちたら没収。だいたいそのあたりだろう。

 うん、考えただけで面倒くさい。


「白石、父さんより先に父さんみたいなこと言うな」


 思わずそう言うと、白石はきょとんとした。


「お父さんみたい?」

「いや、確認が細かいというか」

「ごめん」

「謝るところじゃない。助かってる」


 白石は少しだけ視線を落とした。


「なら、よかった」


 その声が小さくて、田端が「何? 何の話?」と割り込んできた。

 本当に間がいいのか悪いのか分からない。


「パソコン買う時の約束の話」

「約束か。俺ならゲーム一時間までとか言われる」

「田端は絶対守らないだろ」

「三日くらいは守る」

「短い」

「三日坊主って言葉があるくらいだから、三日は偉い」

「開き直るな」


 白石が口元を押さえた。

 完全に笑いをこらえている。


 少し前まで、白石は教室で笑うことすら怖そうだった。

 今は家電量販店の中古パソコン売り場で、田端のしょうもない理屈に笑いをこらえている。

 その横顔を見ていたら、田端に肘でつつかれた。


「佐伯、なにぼーっとしてんだよ」

「値札で精神を削られてた」

「分かる」


 分かるのか。


 ◇ ◇ ◇


 パソコン売り場を一通り見たあと、田端との約束通りゲーム売り場にも寄った。


 田端は急に元気になった。

 さっきまで三万九千八百円の値札で現実を見ていた人間とは思えないほど、ゲームのパッケージを見ている。


「これ欲しいんだよな」

「買うのか?」

「金がない」

「さっき俺に言ったことが返ってきたな」

「親に相談するか」

「田端の場合、理由は?」

「楽しい」

「通らないな」


 田端は「やっぱり?」と言って笑った。


 白石は少し離れたところで、携帯電話のコーナーを眺めていた。

 二つ折りのガラケーが、色違いで並んでいる。

 その横に、小さくスマートフォンの展示があった。


 俺は白石の隣に立った。


「携帯、見る?」

「ううん。ちょっと、色が多いなと思って」

「今はガラケーが多いからな」

「佐伯くん、そういうのも詳しいよね」

「詳しいというほどじゃない」


 詳しいというより、これからどうなるかを少し知っているだけだ。

 この売り場も、そのうちかなり変わる。スマホが当たり前になって、ゲームも連絡も買い物も、だいたいあの小さな板の中に入っていく。

 パズドラ、モンスト、ポケモンGO。名前はいくつか浮かぶ。

 でも、それがいつで、どの会社で、どのタイミングで跳ねたのかはぼんやりしている。

 結局、調べるしかない。

 未来から戻ってきたくせに、やることが地味すぎる。


 俺がぼんやり売り場を見ていると、白石が横から小さく言った。


「また、遠く見てる」


 しまった。


「ごめん」

「謝ることじゃないけど」

「ちょっと、これからどうなるんだろうなって」

「携帯が?」

「うん。携帯とか、パソコンとか」


 白石は展示されたガラケーを見た。


「私は、今の携帯でもまだ使いこなせてないよ」

「俺も中二の時はそうだった」

「中二の時?」

「……今も中二だった」


 自分で言ってから、頭を抱えたくなった。

 白石は少しだけ目を丸くして、それからふっと笑った。


「佐伯くん、時々変」

「自覚はある」

「でも、嫌な感じじゃないよ」


 さらっと言われて、返事が遅れた。


「それは、どうも」

「うん」


 白石はそれ以上何も言わず、携帯のカタログを一枚手に取った。

 俺も近くにあったパソコンのカタログを一枚もらう。


 父さんに見せる材料にはなるだろう。

 値段と用途、新品と中古の違い、学校や図書館で済ませられない理由。あと、使う時の約束。

 買ってくれ、と言う前に、まず相談する。

 順番を間違えると、たぶん父さんの顔が一発で険しくなる。


 ◇ ◇ ◇


 店を出る頃には、外の暑さが少し戻っていた。


 冷房で冷えた体に、夏の空気がまとわりつく。

 田端はゲームのパンフレットを鞄に突っ込みながら、駅の方を指さした。


「俺、帰るわ。母ちゃんに昼からどこ行くか言ってない」

「言ってから来い」

「大丈夫。今から言い訳考える」

「それが一番駄目だろ」


 田端は笑いながら走っていった。

 あいつはあいつで、夏休みをかなり正しく使っている気がする。


 白石と俺は、店の前の日陰に残った。

 昨日と似た形になってしまい、少しだけ意識する。

 昨日は書店で、今日は家電量販店。

 参考書の次は中古パソコンという、甘さの欠片もなさそうな流れなのに、白石が隣にいるだけで妙に違うものになる。


「今日は、来てくれて助かった」


 俺が言うと、白石は首を横に振った。


「私は、見てただけだよ」

「いや、比較表のところ。あれ、かなり助かった」

「お父さんに伝わるといいね」

「伝わるように書く」


 白石は少し考えてから、鞄の持ち手を握り直した。


「必要な理由がちゃんとしてたら、きっと聞いてくれると思う」

「そうかな」

「佐伯くんのお父さん、参考書の時も聞いてくれたんだよね」

「うん」

「じゃあ、最初から駄目って言う人じゃないと思う」


 白石の言い方は、いつも少し控えめだ。

 言い切らないくせに、見ているところは妙に外さない。


 父さんのことを、白石はほとんど知らない。

 それでも昨日の話から、そう受け取った。

 俺より素直に見ているのかもしれない。


「そうだな。まずは相談してみる」

「うん」


 そこで会話が途切れた。


 店のガラスに、俺と白石が少しだけ映っていた。

 中学生の男女が二人、店の前でカタログと携帯の小さなパンフレットを持っている。

 それだけの光景なのに、俺は少し目を逸らした。

 ガラスに映る自分の顔が、妙に落ち着かないやつだったからだ。


「白石は、このあと帰る?」

「うん。帰って、読書感想文を少し進めるつもりだよ」

「偉いな」

「佐伯くんも、参考書?」

「やる。たぶん」

「たぶん?」

「やる」


 白石は満足したようにうなずいた。


「じゃあ、また図書館で」

「うん。またね」


 白石はそう言って、昨日と同じように駅の方へ歩いていった。

 俺は少しだけ見送ってから、鞄の中のカタログを取り出した。


 表紙には、きれいな新品ノートパソコンが写っている。

 その横に、小さく値段が載っていた。


 当然のように、俺には手が届かない。


 カタログを鞄に戻そうとして、さっきの中古コーナーの値札を思い出した。三万九千八百円。


 家に帰ったら、まずメモを書き直そう。

 それから参考書も開く。

 父さんに相談する前に、せめて今日買った参考書を放置しているところだけは見られたくない。


 俺はカタログを折れないように鞄へ入れ、暑い歩道を歩き出した。


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― 新着の感想 ―
 お友達「田端くん」良い味出してますね。 ヒロインとの関係アップも彼が居ないと‥‥ですねー。
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