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三十代社畜の俺、中二に戻って人生無双を始める 〜なお宝くじの番号は覚えていない〜  作者: らいお


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第二十五話「終業式と、夏休みの約束」

 終業式の日の体育館は、どうしてこんなに暑いのだろう。


 窓は開いている。

 大きな扇風機も、何台か壁際で回っている。

 それなのに、全校生徒が床に並んで座るだけで、空気がじっとりと重くなる。


 校長先生の話は長かった。

 たぶん内容は大事なのだと思う。生活リズムを崩すな。事故に気をつけろ。宿題は計画的に。地域の人に迷惑をかけるな。

 どれも正しい。

 正しいのだが、中学生の耳にはあまり残らない。


 前の人生でも、俺はこういう話をまともに聞いていなかった。

 聞いていなかったくせに、大人になってからは「学生は時間があっていいよな」などと思っていたのだから、勝手なものだ。


 壇上の校長先生が「長い夏休みを有意義に」と言ったあたりで、隣の列に座る田端が小さく欠伸を噛み殺した。

 隠しきれていない。


 俺は前を向いたまま、肘で軽く合図を送った。

 田端は一瞬だけこちらを見て、真面目な顔を作った。

 その顔のまま、また眠そうに目を細める。


 こいつは補習を回避しただけで、生活態度が急に優等生になるわけではないらしい。


 ふと、少し離れた女子の列へ視線が行った。

 白石が座っている。

 背筋を伸ばして、両手を膝の上に置いている。暑そうではあるが、話はちゃんと聞いているようだった。


 その姿を見た瞬間、胸の奥が妙に静かになった。


 前の記憶では、この時期の白石はもう教室にいなかった。

 はっきりとした日付までは覚えていない。そもそも、当時の俺は白石がいつから休み始めたのかも、まともに気にしていなかった。

 ただ、夏休み前の教室の空気の中に、彼女の姿がなかったことだけは、薄ぼんやりと覚えている。


 その白石が、今は体育館の床に座っている。

 暑そうにしながら、たまに前髪を指で直して、校長先生の話を聞いている。


 それだけで、何か大きなことが起きているように見えた。

 実際には、ただ終業式に出ているだけなのに。


 校長先生の話が終わり、生活指導の先生の話が始まった。

 田端の背中が、さらに少し丸くなる。

 夏休みは遠い。

 終業式の最中だけは、やけに遠い。


 ◇ ◇ ◇


 教室に戻ると、空気が一気に緩んだ。


 さっきまで体育館で黙っていた反動なのか、あちこちで椅子を引く音や話し声が重なる。

 窓際の席では、男子が部活の予定を見ながら「休み少なすぎ」と嘆いている。女子の何人かは、家族旅行の話をしていた。


 高村先生が教卓に立つと、ざわめきは少しだけ小さくなった。


「はい、まだ帰れません。通知表と宿題の確認があります」


 田端が小さく「まだか」と呟いた。

 俺は聞こえないふりをした。


 通知表が配られる。

 名前を呼ばれた順に、教卓まで取りに行く。

 俺も受け取って席に戻った。


 成績個票はもう父さんと母さんに見せているが、通知表にはまた違う緊張がある。

 紙の厚みも、担任の所見も、妙に学校らしい。


 俺は中を開いた。

 悪くない。

 もちろん、いきなり優等生の通知表になったわけではないが、少なくとも父さんに見せて恥ずかしいものではなかった。


 成績より先に、所見へ目が行く。

 授業態度が落ち着いている。

 提出物への取り組みが改善している。

 周囲と協力して学習に取り組む姿が見られる。


 高村先生、そこまで見ていたのか。


 少しだけ背中がむずがゆくなる。

 褒められているのはありがたいが、三十二歳の中身で「落ち着いている」と書かれると、何とも言えない気持ちになる。


「悠真、どうだった?」


 田端が後ろから身を乗り出してきた。


「普通」

「普通って何だよ。俺の普通とは違うだろ」

「田端は?」

「見てくれ」


 田端は通知表を開いて、俺に差し出した。

 個人情報という概念がかなり緩い。


 ざっと見る。

 思ったより悪くない。

 少なくとも、補習回避で浮かれているだけのことはあった。


「提出物出せた教科、前よりいいな」

「だろ?」

「そこは素直に褒めていい」

「もっと褒めて」

「調子に乗るな」


 田端はにやにやしながら通知表をしまった。

 その後ろで、杉浦が自分の通知表を見て、微妙な顔をしている。


「杉浦、どうした」

「数学、思ったよりぎりぎりだった」

「補習じゃないなら勝ちだ」

「勝ちでいいのか」

「夏休みの午前中を守ったんだから勝ちだ」

「その考え方、ちょっと好きだわ」


 かなり低いところで勝利判定をしている気もするが、今はそれでいい。


 高村先生は宿題の束を配り始めた。

 国語、数学、英語、理科、社会。読書感想文。自由研究。生活記録。

 机の上に紙が増えるたび、教室の空気が少しずつ重くなる。


 夏休みは自由の象徴だ。

 ただし、自由には紙の束が付属する。


「多くない?」


 小野が宿題一覧を見て、素直に言った。


「多い」


 田端が即答する。


「お前は毎年そう言って、最後に泣くタイプだろ」

「今年は違う」

「何が違う」

「仲間がいる」

「宿題は一人でやれ」


 小野が笑い、杉浦も「俺も仲間に入れて」と軽く手を挙げた。


 白石は宿題一覧に目を通して、端の余白に小さく印をつけている。

 いかにも白石らしい。

 配られた瞬間に、もう仕分けを始めている。


「白石さん、それ何?」


 小野がのぞき込む。


「提出日が早いものに印をつけてるだけ」

「もう?」

「忘れると怖いから」

「分かる。私、忘れるの得意だから」

「得意って言うのかな」


 白石が少し笑った。

 小野も笑う。


 そのやり取りは、もう珍しいものではなくなりつつあった。

 白石が誰かと普通に話している。

 小野が自然に頼る。

 田端が横から茶々を入れる。

 杉浦がそれに乗る。


 教室の後ろの小さな輪は、いつの間にか夏休みの予定表まで広げていた。


 ◇ ◇ ◇


 帰りの学活が終わっても、すぐに解散という空気にはならなかった。


 終業式の日の教室には、妙な名残惜しさがある。

 普段ならさっさと帰る生徒まで、机の横で友達と話し込んでいる。部活に行くやつは多少急いでいるが、それ以外は、夏休みに入る直前の浮いた感じを少しでも引き延ばしているようだった。


 俺たちも、教室の後ろに集まっていた。


 田端が宿題一覧を机に置く。

 杉浦が部活予定表を重ねる。

 小野が自分の予定を口で確認する。

 白石はその横で、薄い予定表の端を指で押さえていた。


「まず図書館だな」


 田端が言った。


「大臣、提出物は?」

「午前中にやる」

「今、かなり怪しいことを言ったぞ」

「午前中の俺を信じてる」

「俺は信じてない」


 田端は不満そうにしたが、宿題一覧の上に鉛筆で丸をつけた。


「明日でいい?」


 小野が言う。


「私は大丈夫」


 白石が答えた。


 早かった。

 思ったより、ずっと早かった。


 俺は一瞬、白石の横顔を見た。

 白石は予定表から目を離さないまま、少しだけ指先に力を入れている。

 迷いがまったくないわけではないのだろう。

 けれど、自分で言った。


「俺も大丈夫」


 俺が言うと、田端がにやっとした。


「悠真は来ると思ってた」

「何だその顔」

「いや、別に」

「別にの顔じゃない」

「白石さんも来るしなあ」


 田端の声は小さかったが、聞こえた。

 白石が予定表から顔を上げる。

 小野が「あ」と口元を押さえて笑いそうになり、杉浦は何も分かっていない顔で「何?」と言った。

 俺は田端を見た。


「田端」

「はい」

「夏休み前に補習対象へ戻すぞ」

「ごめん、それは嫌」


 田端はすぐに引いた。

 軽い。助かるような、腹立たしいような。


 白石は予定表へ視線を戻したが、耳が少し赤い気がした。

 気のせいかもしれない。

 気のせいであってほしい。

 いや、何を願っているのか、自分でもよく分からない。


 小野が咳払いをして、話を戻した。


「時間は午前中?」

「午前中のほうが涼しいかも」


 白石が言った。


「じゃあ、十時くらい?」


 小野が言う。


「十時なら、俺も行ける」


 杉浦が部活予定表を見ながらうなずく。


「市立図書館の入口でいいか」


 俺が確認すると、みんながうなずいた。

 田端だけが少し考え込んでいる。


「どうした」

「十時って、朝?」

「朝だよ」

「夏休みなのに?」

「図書館に昼から行くと席が埋まるだろ」

「正論で殴られた」


 田端は予定表に「図書館」と書いた。

 字が大きい。

 大臣の公文書としては、かなり不安な筆跡だった。


 白石も、自分の予定表の端に小さく書き込んでいる。

 七月。

 市立図書館。

 午前十時。


 その小さな文字が、やけに大事なものに見えた。


 学校という毎日の接点がなくなる。

 明日から、教室へ来れば白石がいる、というわけではない。

 会うには、約束がいる。

 時間がいる。

 場所がいる。


 たったそれだけのことが、今さら怖くなる。


 前の人生で、白石が消えていった時、俺はその「約束」を一つも持っていなかった。

 どこで会えるのかも、どう声をかければいいのかも、何も知らなかった。

 だから、いなくなったことに気づいても、何もできなかった。


 今は違う。

 少なくとも、市立図書館の入口で、午前十時という約束がある。


 約束なんて、紙に書けば薄いものだ。

 雨が降れば濡れるし、予定が変われば消える。

 でも、ないよりはずっといい。


「佐伯くん」


 白石が、こちらを見た。


「うん?」

「佐伯くんも、ちゃんと来るよね?」


 田端がまた何か言いそうな顔をした。

 俺は先に睨んだ。

 田端は両手を上げて黙った。


「もちろん、行くよ」


 俺は答えた。

 白石は少しだけ安心したように、予定表の端を押さえ直した。


「なら、大丈夫」


 その言い方が、思ったより柔らかかった。

 何が大丈夫なのか、聞き返すほど野暮ではない。

 ただ、聞かなかったせいで、胸のあたりに変な熱が残った。


 小野がにこにこしながら、話を続ける。


「じゃあ、図書館の日は宿題持ってくること。私は感想文も少し進めたい。田端くんは英語のワーク」

「指定された」

「杉浦くんは数学かな」

「了解」

「佐伯くんは?」


 小野が俺を見る。


「俺は参考書のリスト作る」

「買うやつ?」

「うん。父さんに頼む前に、ちゃんと決めておきたい」


 白石がその言葉に反応した。


「決めるの、手伝えるかも」

「え?」

「問題集って、続けやすさも大事だと思うから」


 白石は少し控えめに言った。


 俺は一瞬、返事に詰まった。

 参考書を買うこと自体は、父さんにも話している。

 だから隠す必要はない。

 ただ、その先にパソコンや投資の準備がぶら下がっていることを考えると、白石に手伝ってもらうのが妙に近く感じた。


「そうか、助かるよ」


 結局、そう答えた。


 白石はうなずく。

 その表情は、少しだけ嬉しそうだった。


 助けられるだけではなく、役に立てる。

 そう思っているのかもしれない。


 それなら、俺は受け取ったほうがいい。

 たぶん。

 何でも自分で抱え込むのは、大人っぽいのではなく、ただ不器用なだけだ。


 ◇ ◇ ◇


 教室を出る頃には、廊下がいつもより明るく感じた。


 窓から入る午後の光が、床に長く伸びている。

 部活へ向かう生徒の声が遠くで重なる。

 どこかの教室から、机を引きずる音がした。


 下駄箱へ向かう途中、白石は小野と並んで歩いていた。

 田端は杉浦とプールの話をしている。

 俺はその少し後ろを歩いた。


 離れすぎではない。

 近すぎでもない。

 たぶん、そのくらいでいい。


 昇降口で靴を履き替えている時、白石がふとこちらを振り返った。


「佐伯くん」

「うん?」

「図書館の日、もし迷ったら、入口のところで待ってて」

「迷うのは田端だと思う」

「それも、そうかも」


 白石は小さく笑った。


 その笑い方が、体育館で見た横顔より少しだけ軽い。

 夏休みに入る不安がないわけではないのだろう。

 でも、完全に怖がっているわけでもない。


 俺は靴紐を結び直しながら、うなずいた。


「入口で待ってる。田端が迷子になったら、置いていく」

「それは、ちょっとかわいそうかな?」

「じゃあ五分だけ待つ」

「五分なんだ」


 白石がまた笑った。


 田端が後ろから「俺を置いていく話するなよ」と抗議してきた。

 小野が笑い、杉浦が「五分あれば来るだろ」と雑に言った。


 いつものような、でも少しだけ違う帰り道だった。


 校門を出る前に、俺は一度だけ校舎を振り返った。

 夏休みが始まる。

 学校から離れる時間が始まる。


 前の俺なら、ただ嬉しかったはずだ。

 今の俺は、嬉しいだけでは済まない。


 白石が隣の少し前を歩いている。

 小野と話しながら、時々うなずいている。


 その背中を見て、俺は予定表に書かれた「市立図書館 午前十時」という文字を思い出した。

 約束が一つある。

 薄い紙の上の文字なのに、今はそれが、夏休みに入るための手すりみたいに思えた。

 田端が校門のところで振り返り、妙に得意げに言った。


「明日から夏休みだぞ!」


 誰に向けた宣言なのか分からない。

 それでも、小野が笑い、杉浦が拳を上げ、白石も少しだけ口元を緩めた。


 俺はその横で、鞄の中の宿題の重さを肩に感じながら、ようやく夏休みが始まったのだと思った。


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灼熱と極寒の体育館懐かしい…。こいつらケータイのメルアドこれから交換するのかな?通話は料金高くて専らメールだった記憶がある。
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