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どうやら辺境伯に溺愛されてるようです  作者: 灯坂 しお
第二章

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第五話 (四)

(四)


 楡の木亭の裏口側では、数人の子どもたちが暖炉にくべる薪を手分けして運んでいる。その中にはルカの姿もあった。

 院長と物資や運営金の寄付について話し合いが終わったところだ。デイジーは応接室にお茶を運んできてくれていた。

 アルフレッドは話の主体をアイリスに任せつつも、アイリスが軽んじられることのないよう目を光らせる役目に徹している。

 この地にいくつかある救護院は、だいたいは寄付が主な収入源で、子どもや職員たちの内職の売り上げも、少ないながら運営の資金となっていた。

 楡の木亭にいるのは夫を亡くした女性とその子どもたち。親のない子も数人はいる。今は全部で十人足らずだが、それでも全員が栄養のある食事を十分摂れるほどには、収入は遠く及ばない。

 ルカとデイジーの薄着もうなずけるほどに寄付金は目減りしており、運営は傾き始めているという。

 まだ小さい子どもを抱えた母親が自立できれば、いくらかは運営は楽になる。

 養子の縁、もしくは住み込みでの働き口があれば、子どもたちの将来も今よりは明るくなるだろう。


「領主夫人に目をかけていただけるとは、なんともありがたいお話でございます」


 慈愛の塊のような微笑みを絶やさない院長を見るに、帳簿を改ざんしたり寄付金を横領したりといった不正の芽はまるでない。院長の鼻の頭は寒さのせいか赤くなっているし、着ている服もくたびれている。横にいるデイジーもそれは同じだ。

 当然ながら薪を買う資金も潤沢ではない。


「先日、教会の前でルカとデイジーに会いました。そのときにこちらに暮らしているとお聞きしたものですから」

「そうでしたか。なにぶんルカは元気が有り余っていますし、領主夫人に失礼がなかったのならよいのですが……」


 六十をいくつか回ったほどだろうか、院長は痩せた白い頬に少し困惑した笑みを浮かべている。髪には白いものが半分ほど混じり、膝の上で組んだ手にも骨が浮き出ている。指先はいくつもあかぎれができていて、働き者の手だということが見て取れた。

 資金や物資、食材の寄付だけに頼るのは、ありがたいけれどもそれだけでは現状維持すら難しいと、院長は言う。

 アイリスも、お金を出すだけであったり、騎士団やメイドの制服を依頼したりすることは簡単だが、根本の解決にはならないと得心した。


「今はどのような仕事を請けていらっしゃるのですか」

「マッチ箱の組み立てが主です。縫製や刺しゅうもときどきはありますが、……仕上がりにムラがあるといって工賃を差し引かれたりするので」

「そうですか。完成品を見せてもらっても?」


 アイリスの問いかけに、院長はデイジーに視線を送る。デイジーはさっと部屋を出て、隣にある作業場らしき部屋からいくつかの服を持ってきた。アイリスはそれを受け取り、じっくりと目を通す。その顔は領主夫人ではなく、仕立て職人のそれであり、デイジーはその視線に思わずぐっと息を飲んだ。


「数をこなせば上達は早いでしょうし、信頼できる問屋を探しましょう」


 顔を上げたアイリスが開口一番そう言った。

 デイジーは知らず詰めていた息を吐き出し、肩を上下させる。


「レース編みなどもできるようになれば、もっといいですね」

「レース!」


 デイジーが目を輝かせている。

 繊細な装飾は、見ているだけで心が浮き立つ。それを分かっている者の目だ。

 アイリスは自然と微笑みが漏れ、デイジーと視線を合わせた。


「その刺繍はあなたが?」


 スカートにある刺繍を見ると、デイジーは「は、はいっ」と声を裏返させながら直立した。どう見ても緊張で声が上ずっている。


(そんなに怖かったかしら)


 アイリスは内心で落ち込みつつも、笑顔を取り繕う。頭の中ではアンナの笑顔をイメージしている。デイジーの赤毛はキャスを思い出させる。


「とても上手だわ」

「あっ、ありがとうございます」


 極力自然な笑顔を心がけてみるが、デイジーは頬を紅潮させ、硬直したままだ。


(私は座っているし威圧感はないと思うんだけど……)


 アイリスは口元だけに笑みを残し、アルフレッドに視線を移した。

 助けてくれと伝わるだろうか。

 深く腰掛けていたアルフレッドがゆっくりと体を起こし、アイリスに耳打ちをする。


「問屋探しならユリウスに任せるといい」


 そうじゃない。

 そう思ったが、黙ってうなずいた。


 デイジーの腕は目を見張るものがある。

 本人の希望があればもちろんだが、一度、ミセス・マイヤーに引き合わせてみるのはどうだろうか。それとも先に仕立てたものと刺繍を見てもらうほうがいいだろうか。

 アイリスはデイジーの仕立てた子ども用のデイドレスを一着預かることにして、裏口へと回った。薪を運んでいた子どもたちは雪だるまを作ったり雪玉を投げ合ったりして遊んでいた。そこにいる誰もが薄着で、白い息が風に流れている。


「みなさんに外套を用意してきました。中に入って選んでくださいね」


 アイリスの言葉に、数人の子どもの動きがピタリと止まる。

 それに合わせて、アイリスも笑顔が凍り付いた。


(こ、怖がらせてしまったのかしら)


「お、お菓子もあるわ」


 そう言うや、子どもたちの目が輝き一斉に走り出した。アイリスの脇を抜け、我先にと部屋へ向かう。その姿を見送るしかなかったアイリスが、一人その場に残ったルカに気づいた。


「あなたの分もあるわ。遠慮しないで選んでちょうだい」

「……おれを捕まえに来たんじゃないのかよ」


 手負いの獣とまではいかないが、警戒心をにじませた目で睨みつけている。


「あなたは捕まるようなことをしたかしら」


 頬に手をやり、とぼけてみせる。

 ぶつかりそうになった。それであの日は終わらせたつもりだったが、ルカに余計な心労を掛けてしまっただろうか。

 アイリスは足を踏み出し、ルカに近づいた。ルカはびくっと体を弾ませたが、半歩後ずさるだけで逃げ出そうとはしていない。


「ぶつかりそうになっただけでしょう?」


 未遂に終わったにしても、あまりにも慣れてないというのはユリウスの見立てだった。

 初めて掏摸を試みた相手がアイリスと、その護衛を務めるアルフレッドなのだから、きっとルカは向いていない。


「……っ、それは……」

「ルカ。二度とあんなことをしないと約束してくれるなら、あなたを捕まえたりしないわ」

「え……ほんとか」

「そうね。その代わり、あなたが将来何をしたいのか聞かせて」

「将来……」

「いずれここを出て何をして生きていくのか。考えたことはあるかしら」

「おれは……」


 ルカくらいの年齢の子どもは、職人の見習いとして親方のもとへ弟子入りし、衣食住をともにしながら技術を学んでいくのが一般的だ。

 残念ながら平民の孤児を跡取りに迎えようとする貴族家は数が少ない。

 楡の木亭もそろそろルカやデイジーの退院、自立について準備に入っているはずだが、運営が厳しいとなれば親方に支払う奉公金を用立てることはなかなかに厳しいのかもしれない。

 職人衆も慈善事業ではないし、そう余裕のある大店ばかりでもない。


 答えに窮してしまったルカを、じっと見つめる。明るい茶髪に陽光が降り注いでいる。寒風が吹き抜け、くたびれたシャツを揺らした。


「さあ外は冷えるわ。ルカ、あなたも外套を選んでちょうだい」


 ルカの肩にそっと手を回し、室内へと連れていく。

 ドアにはアルフレッドがもたれて立っていた。組んでいた腕をほどき、アイリスへと伸ばしている。紺青のシャツを着ているアルフレッドの姿に安心して笑みがこぼれた。


「閣下」


 アルフレッドの手を取り、隣に並ぶ。ルカの背に手を当てて先を促すと、ルカは少しうつむいたまま足早に部屋へと入った。

 子どもたちが新しい防寒着を身にまとい、嬉しそうにはしゃいでいる。母親たちも安心したように笑いあっているのが見えた。


「あ、あの、奥様」


 デイジーが顔を赤らめて話しかけてくる。エプロンをぎゅっと握っていて、緊張しているのが見て取れる。


「何かしら、デイジー」

「新しい裁縫道具、ありがとうございます。あ、いえ、外套も手袋も、何もかもですが、どれもすてきで着るのがもったいないくらいです」

「気に入ってくれて嬉しいわ。だけど着てくれたらもっと嬉しいわ」


 アイリスが笑いかけると、デイジーはさらに真っ赤になった顔でアイリスを見上げる。



「デイジー?」

「奥様がきれいすぎて見惚れちゃってるのよね、デイジー」


 そう声をかけてきたのは三十代くらいの女性だ。緩くまとめたブルネットの髪にクロシェ編みのヘアバンドをつけている。楡の木亭にいる寡婦の一人だ。二歳くらいの女の子を抱いていて、真新しい外套と帽子を身につけたその子は眠そうに頭を預けている。


「もう、ヴァネッサ!」


 デイジーが咎めるような声で呼ぶと、ヴァネッサはあははと豪快に笑った。悲観も悲哀も感じない、朗らかで頼もしい笑い声だ。うとうとしていた女の子が驚いたように目を開けたが、再びまどろみの中に戻っていった。


「ヴァネッサといいます。私たちにまで新しい服をいただいて、ありがとうございます」


 忙しく立ち働く母親たちを代表してお礼に来たようだ。

 アイリスは立ち上がってうなずき、手を差し出した。ヴァネッサは目を見開き、「貴族の奥様が平民と握手だなんて……」とつぶやきながら片手を出して恐る恐るアイリスの手を握った。ヴァネッサも院長と同じ、働き者の手だ。


「これから月に二度、子どもたちに刺しゅうや仕立てを教えに参ります」

「え、奥様が直接、ですか?」

「レース編みは私もまだまだ未熟なので、先生を探してお連れしますね」

「あの、それは私たち大人も教えてもらえるんですか」

「もちろんです。一日も早く職人としての腕を上げて自立できるよう全力で支援します」


 アイリスの言葉に、ヴァネッサは顔を顰めた。涙を堪えているのか、鼻の頭が赤くなっている。


「……ありがとうございます。この子を育てていくのにどうしようかって……ッ」


 明るく振舞っても、胸に秘めた思いは誰にでもある。

 夫を亡くし、小さな子どもを抱えての生活は楽ではないのは想像に難くない。

 娼館に身を落とす女性も、決して少なくない。それはリンドヴァルドでもアイゼンガルドでも同じだ。

 貴族家の令嬢として生は受けたが、アイリスも職人並みの腕を自力で身につけている。それがなければ、どうなっていたかわからない。

 アルフレッドほどの人と夫婦になれたのは、本当に幸運だった。

 そう思わずにはいられないアイリスだった。


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