第四話 (五)
(五)
「顔色もだいぶよくなってきたようじゃの」
メイドたちに対する処罰を終え、メイド長のニーナには、マーサを家政婦長に据えたことを伝えたばかりで、アイリスは少し気疲れしていた。
だがそんな顛末を知る由もないハインツはにこやかに告げ、空になったポーション瓶を回収している。
アイリスもアルフレッドも表情は硬いが、ハインツは気にする様子もない。
「魔力もかなり戻ってきたじゃろう」
「……あまり実感はありませんが、めまいなどはほとんどなくなりました」
「そうか」
ふぉっふぉっとご機嫌に笑いながら、ハインツはアルフレッドを見上げる。
「フレッド。一応伽の許可は出すが、まだまだ無茶はいかんぞ」
その言葉にアルフレッドはぐっと奥歯を噛みしめた。
「粘膜が触れ合うことで魔力が戻るという症例もあるようじゃから、供給過多にならんように気をつけることじゃ」
「先生、それはどういう……?」
アイリスが首を傾げると、ハインツはまたふぉっふぉっと笑った。
「なぁに、そこはフレッドに任せておけばよいよい」
「また勝手なことを」
アルフレッドは少し顔を赤くしてため息交じりに言葉を漏らす。
その顔を面白がるようにしてハインツはアルフレッドの背中を叩いて部屋を出ていった。
アイリスは咳払いをしてからソファに座り直す。
「……閣下、先ほどのメイドたちについてなのですが」
呼びかけると、アルフレッドは前髪をかき上げて息を吐き、アイリスの隣に腰を下ろした。
「あのような者はこれまでにもいたのですか」
「……報告を受けたことはある」
「そうですか」
あのメイドたちがいつから働いているかは不明だが、少なくとも今日のように、アルフレッド本人を前にしての失態はなかったということだ。
「あのようなくだらない話を聞かせてしまったのは俺の落ち度だ」
「閣下のせいではありません。むしろ私の体調を考慮してくださった結果ですし、責があるとすれば私かと」
「それは断じて違う」
アルフレッドの大きな手が、アイリスの手に重なった。
彼はいつも、アイリスが自分自身を責めることをよしとしない。
その気遣いと優しさが、アイリスの心に沁みていく。
「こんなことを言うのは間違っているかもしれませんが……私のために怒ってくださったこと、嬉しかったです」
「そうか。そなたは……俺が怖くないのか」
「怖い? なぜですか?」
「感情が昂ると魔力が暴走しがちだし、……俺は見た目が怖いと令嬢には不評らしいからな」
そう言いながら目を逸らすアルフレッドを、アイリスはじっと見上げた。
「なにか誤解があるのでは……? 私は閣下の柔らかそうな銀髪や綺麗な淡黄色の瞳はとても美しいと思っています。その……」
ユキヒョウみたいで。
そう続けようとしたが何とか堪えた。
さすがに本人に向かって動物に例えるのは失礼すぎる気がしたからだ。
「……閣下のそばにいると安心できますし」
これも嘘ではない。
守られていると感じさせてくれる。
自分には過ぎた人とも思う。
だからこそ、少しでもこの城で、この北の地で、役に立ちたいと願う。
「閣下はお優しいだけでなく責任感が強く、面倒見もいいですしそれに」
「いや、そなたが怖くないならいい。変なことを聞いて悪かった」
アイリスの言葉を遮るアルフレッドの耳が赤くなっている。
それを見て、自分自身が何と言ったかを反芻し、アイリスは耳だけでなく首筋まで肌を赤く染めた。
見た目が怖いという評価に得心がいかず、明け透けに言い過ぎてしまった。
だけどどれも本音だった。
二人して赤面しているところに扉がノックされ、ユリウスが入ってきた。
「閣下、奥様、失礼いたします」
「ユリウスか」
「先ほどの三名は処分が決まりまして、退城には二日の猶予を与えました。うち一名については念のため数日見張りをつけて動向を監視する予定です」
ユリウスはアルフレッドとアイリスを交互に見ながら、淡々と報告をしている。
「ユリウス卿の見立てはいかがでしょうか」
アイリスがそう切り出すと、ユリウスは眼鏡をくいっと押し上げた。
「話を聞いた限りでは、誰かの息がかかっているという可能性は低いとみています」
その言葉に、アイリスはほっと息を吐き出した。
アイゼンガルドは国の英雄として見られているが、政敵が皆無というわけではない。だが今回の件はその可能性が低いと聞いて、少し安心できた。
「分かりました。ユリウス卿は仕事が速くて頼もしい限りですね」
「恐れ入ります。私の方こそ奥様の見事な采配ぶりに感服いたしました」
「あっ、ありがとうございます」
ユリウスに褒められると思っていなかったので、アイリスは照れてしまう。
「それから、閣下。今夜の訓練は索敵を中心としたものでよろしいですか」
「ああ、そうしてくれ。俺はこれからしばらく夜間の訓練には顔を出さないことにする」
アルフレッドがアイリスの横顔を見つめながらそう言った。ユリウスは眼鏡を指先で押し上げる。
「閣下、夜間も訓練をされるのですか」
「魔獣には夜行性の種族もいるからな」
二人のやり取りを前に、ユリウスは一点を見つめながら思い返す。
団長直々の訓練は熾烈を極めていた。特にこの三週間は。
それもすべて団長であるアルフレッドの体力を極限まで使うためだった。底なしの魔力と無限とも思える体力を持つアルフレッドを疲弊させるために、団員総出でアルフレッドと打ち合う模擬戦を主体として、近接戦闘や奇襲などの訓練を行っていた。
対アルフレッド戦は騎士団の士気も技術も向上は見込めるが、疲労度合がこれまでとは比にならない。
選りすぐりの団員が束になってかかっても、アルフレッドに膝をつかせることすらできない日々が続いていた。幸い逃げ出す者は一人もいなかったが、訓練中に倒れる団員は続出した。
過酷な訓練の本当の理由が、アルフレッドが暴走してアイリスを襲わないためということは、本人とユリウスの二人しか知らない。
だがその訓練の指揮をユリウスに任せるということは。
アルフレッドの視線を追い、ユリウスは察した。
「そういうことであれば、お任せください」
そう言うとユリウスは一礼し、退室していった。
アイリスはユリウスの出ていった扉を見つめている。
「ユリウス卿は頼りになるお方ですね、閣下」
自分も早くユリウスほど仕事ができるようになりたいという一心だ。彼と同じくらい、アルフレッドの信頼を得たいと思っている。
「アイリス」
アルフレッドに名を呼ばれ、隣を見上げる。優しい色合いの瞳に見つめられ、知らず鼓動が速くなった。
「……夫の前でほかの男を褒めるのは感心しないな」
「そ、れは」
もしかして嫉妬ですか、と言いかけて口をつぐんだ。少し拗ねた視線が、そうだと告げているからだ。
全身の血が頬に集まってくるような照れくささに、アイリスは何も言葉にすることができない。
その間にもアルフレッドがアイリスの黒髪をひと房手に取り、口づけている。
内心では言葉にならない叫びを上げているものの、手をぎゅっと握り締めて何とか耐えている。
スキンシップ過多とはいえ、ここまで甘い空気を感じたことはなかった。
アルフレッドの纏う艶っぽい空気に、アイリスは圧倒されていた。淡黄色の瞳は、熱を持ったように金色みを帯びている。
誓約書を盾に結婚を迫ったのはヴァレンシュタイン家だが、アイゼンガルド家はアイリスを選んでくれた。
いかようにも対処できたはずが、婚姻を受け入れて伯爵家やアイリスを助けてくれた。
あの日、森で出会ってから今日までずっと、アルフレッドはアイリスを気遣ってくれている。
腹心の部下にまで嫉妬をするほどに。
そう考えると、アイリスは胸がきゅんと締め付けられた。
たとえ恋愛経験がなくても、自意識過剰かもしれなくても、アルフレッドがくれる思いは責任感や義務感だけではないということは分かる。
自分の何がアルフレッドをこうさせるのか、アイリスはまったく見当がつかない。だけど目の前の彼の態度は、見せかけや演技とは思えない。それに今は二人しかいないのだから、アルフレッドが演技をする必要など何もないはずだ。
「……優秀な部下を持つ夫の有能さを褒めたつもりでしたのに」
小さく笑うと、アルフレッドも同じように口角を上げた。
「ははっ。そなたには敵わないな」
アルフレッドの大きな手が、アイリスの手を包んだ。
アイゼンガルドへの恩返しがしたい。その思いは消えていないが、それとは別の慕情がアイリスの心には生まれている。
「閣下、今日も昼食をご一緒していただけますか」
アルフレッドの手を握り返しながら見上げると、「もちろんだ」と破顔した。




