20.後悔しても遅い
王国歴623年 2月23日
母が亡くなってから一年が経つ。私を見ると母を思い出すと遠ざけていた父が、他の女と結婚する。私の継母になるイライザは二人の娘を連れて来た。
王国歴623年 3月2日
母の形見のネックレスがない。義姉のクラリスに取られてしまった事をイライザに伝えると、この家に私のものはもうないと言われた。
王国歴623年 4月5日
家にいたいのなら働けと言われメイドの仕事を覚える。父はメイド扱いされている私を冷たい目で見つめていた。
王国歴623年 5月9日
馬丁が辞めてしまったので、イライザに馬丁の仕事をしろと言われる。
王国歴623年 9月10日
最初は苦手だった馬の世話も楽しくなってきた。人間と違って、馬は私が愛したら愛を返してくれる。
ページを捲る度に明らかになるフェリシアの過去。人の日記を読むなどいけないと分かっているのに、読み進めるのを止められなくなる。
母を失った四歳のフェリシアの壮絶な人生に胸が苦しくなった。
木を隠すには森だと思って、フェリシアはこの日記帳を本棚の森に隠している。おそらく誰にも読まれたくない内容。
そして、僕は四歳でありながらフェリシアが大人のような美しい字を書いている事に気が付く。ドートリッシュ王国始まって以来の天才と呼ばれたアメリアのようだ。
王国歴627年 8月10日
父が亡くなった。私が発見した時は確かに生きていたのに、医者が来るまでもたなかった。何もできなかった自分が憎い。
王国歴627年 8月11日
メイドを巻き込んだ私への虐めが始まる。朝起きて、食堂に行くと私の食事がなかった。イライザが、家に置いてもらえるだけありがたいと思えと笑った。
王国歴627年 9月13日
料理長がこっそり私に残飯を渡していたのが露見してクビになってしまった。
王国歴627年 10月12日
このままでは飢え死ぬので、川に魚をとりに行く。危うく溺れて死にかけた。
王国歴627年 12月16日
やっと泳げるようになったのに、冬になると魚がいない。他の食料を探そう。
王国歴627年 1月13日
口にしたのが毒キノコだったのか、嘔吐し過ぎて口がかぶれてしまった。イライザが私の顔を見て病気が移ると言って外に追い出した。
王国歴627年 1月14年
私が食したのはベニテングダケ。赤色に白い斑点。可愛らしくて、つい手が伸びてしまった。基本、派手な見た目は毒キノコ。私は自分の無知により自分を殺すところだった。
王国歴628年 5月15日
図鑑を見たら、キノコだけでなく食べられる植物もあると知った。食用植物を見分けられるようになれば、食生活がより充実しそうだ。
「まだ、五歳なのか⋯⋯」
読み進めるうちに同情よりも、フェリシアへの尊敬の念が強まっていく。普通、このような悲惨な目にあったら心が腐る。
しかし、フェリシアは自分よりも他者を思い遣る女神のような女。日記の中の彼女は、どのような時も諦めず知恵を絞り、孤独と戦いながら必死に生きようとしていた。その臨機応変な行動力と年齢不相応な賢さは、彼女が無自覚な天才である証明のように思えた。
天才少女と持て囃され蝶よ花よと育てられたアメリアの方が悪魔のような思考を持っている。
フェリシアのような健気で心優しい子が、どんどん不幸になっていく日常が綴られた日記。
神など存在しないのかもしれない。
王国歴629年 6月15日
苦しい、死にたい、生まれてこなきゃよかった。いっそ、家を出ようとしても連れ戻されてしまう。イライザたちは私を虐めて鬱憤を晴らしたいだけ。愛し愛される家族が欲しい。
王国歴629年 7月7日
マルタに仲良くしたいと言われお茶に誘われる。口に付けた紅茶には毒が入っていて激しい腹痛に襲われた。彼女の人となりを知っていたのに期待した私は愚か者だ。
普段の溌剌としたフェリシアからは考えられない苦痛の叫びが、彼女の日記には綴られていた。僕は取り憑かれたように彼女の日記を読んでいた。
そして、僕はついに十八歳の彼女に出会う。
王国歴637年 7月8日
母の形見のドレスが残っていた。三十年以上も前のもので埃を被っているけれど大切にしたい。イライザが私に母のドレスを着て明日の王宮の舞踏会に行けと言ってきた。クラリスとマルタの引き立て役にしたいらしい。
王国歴637年 7月9日
私は恋をした。王子様が現れたのだ。見窄らしいドレスの私をダンスに誘ってくれて、プロポーズをしてくれたジスラン。私を愛してくれる人がこの世に存在した。私も彼を一生愛し抜く。
王国歴637年10月6日
ジスランとの結婚式の前夜。私は再び期待して裏切られる経験をする。鏡の女の言う通り、私を選んだのはジスランの気まぐれな恋心。期間限定の契約結婚は一時でも彼に恋をした私の捨てた方が良い期待。
(鏡の女⋯⋯)
王国歴637年10月7日
ジスランが一晩中ダンスに付き合ってくれた。その優しさにときめきながらも、虚しさしかない。泡沫の恋など興味はない。私は永遠に続く愛が欲しい。
王国歴637年10月8日
ドリアーヌ王妃の策略に敢えて乗る。私には何もできないと呟くジスラン。彼を嫌いになれそうでホッとした。私には何もないが、何もできない訳じゃない。
「本当だな。フェリシアは何でもできる女だ⋯⋯」
涙を流すのはいつぶりかも分からない。
王族として感情をコントロールする術は身に付けている。
それでも、自分が彼女をどれだけ苦しめたかを目の当たりにし、取り返しのつかない過ちを犯した後悔に苛まれる。
王国歴638年2月6日
ジスランとの結婚生活もあと八ヶ月。期間限定の契約結婚、妻として全力で向き合い彼を幸せにして王宮を去ろう。ジスランが好きだ。彼には幸せになって欲しい。私が彼を傷つける全てのものを倒してやる。
気の強い彼女らしい言葉で終わる日記。
「えっ、嘘だろ」
日付は昨日で止まっている。
空っぽの執務室。もしかして、フェリシアは僕にとって脅威であったノリッジ公爵を失墜させたことに満足して既に王宮を去ったのかもしれない。
フェリシアが僕にまた恋をしてくれている。
同時に、彼女は僕からは自分の欲しい永遠の愛を得られないと切り捨てている。
僕は日記を本棚に戻し、慌てて彼女の部屋に向かった。
フェリシアの部屋の扉の前で僕は立ちすくんでいた。耳を澄ますと中から話し声がする。
会話をしているようだが、全てフェリシアの声に聞こえる。
『期間限定の契約結婚なんて意味あるの? 私はあの男との未来はないって教えてあげたわよね』
『意味はありました。理想の王子様ではなくても、ジスランは優しくて魅力的な方でした』
長い孤独な時間を過ごしてきたフェリシア。もしかしたら、鏡に映った自分と会話をする事で孤独を紛らわせているのかもしれない。だとすると、僕はこの扉を今開けるべきではない。いつも明るく気丈な彼女の秘密を暴くのは此処までにした方が良い。
『刹那の恋を重ねるだけ、別れが辛くなるわよ』
中から聞こえてくる声に、僕は動けなかった。派手に着飾った令嬢の中に紛れた純粋無垢なフェリシアの清らかさに恋をした。人に愛された経験のない僕は愛など信じていなかった。フェリシアを知るにつれ愛おしくて守りたくて堪らなくなった。彼女を知って初めて人を尊敬した。僕の今のフェリシアへの感情は愛。絶対に彼女を手放したくない。
『⋯⋯私、ジスランと別れたくなくなっています』
『なにそれ、冗談でしょ』
『昨晩までは契約満了と共に王宮を去るつもりでした。でも、今朝、私を信じてくれるジスランを見て、私も彼を信じたいと思ったんです。また、傷つけられるかもしれないけど彼の側にいたい』
フェリシアの言葉が心の隅々に染み渡る。もう二度と彼女を傷つけない。僕は生涯彼女を守り続ける。
『そんなに良いんだ。そっちのジスラン。じゃあ、交代しましょ』
ガタン!
急に中で大きな物音が鳴り、僕は咄嗟に扉を開ける。
窓から差し込む陽の光に照らされた笑顔の可愛い女性。
「⋯⋯フェリシア?」
「ジスラン、私に会いに来てくれたのね」
目の前の愛する妻にそっくりな女が、嬉しそうに僕に近づいてくる。
(鏡の女⋯⋯)
澄んだブルーサファイアの瞳も、甘い香りも愛するフェリシアと同じ。しかし、僕の心が彼女は僕のフェリシアではないと叫び続けていた。
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