チャプター22
〜ルーヴェンライヒ邸 エルザの部屋〜
「あの、私、ドレスだなんて! この格好でも……!」
服装のことなど考えもしなかった。最低限失礼のない服装ではいたが、別にそれで問題だとは思っていなかった。やはり、伯爵の前に立つのにこの格好では失礼だろうか。
嬉しそうなエルザの様子を察するに、そのような感じではなさそうだが、何しろ断りにくい。
「せっかくの機会なんですから、少しでも可愛い格好をしませんと! あぁ、もちろん今でも充分可愛らしいですけどね! さ、どれでも好きなのを選んでください!」
クローゼットには、色とりどりのドレスが並んでいる。色もそうだが、デザインもそれぞれで、好きなものを選べと言われても目移りするばかりだ。
「う〜ん、どれがいいかな……」
「これなんかどうですか? ほら、青空のような色がエルリッヒさんの燃えるような髪の色と対比されて良いのでしょうか。あぁ、こっちの若草色のも! でも、これだとまるで草原が燃えているみたいですかね。悩ましいです!」
はしゃぐエルザはクローゼットを前に悩ましげな表情を浮かべている。どれを着てもきっと似合うだろう。そう思うだけでワクワクして、どれか一着になんて決められない。
「じゃあ……これにします!」
エルリッヒ本人も、当然決められるものではなかった。だから、なんとなく、色の薄い一着を選んでみた。エルザがどれを着ても似合うだろうなどという素振りを見せているので、それならばどれを選んでも大丈夫というお免状をもらったようなものだ。多少適当でも構わないだろうと判断してのことだった。
「まぁ! ええ、きっと似合います! 似合いますとも!」
それは、純白のドレスだった。瞬時に、とてもその格好では食事はできない、などと所帯染みたことを考えてしまったが、確かに素敵だ。裾に入った花柄の刺繍がわずかなアクセントになっていて、見ていてシンプル過ぎないデザインになっていた。
「あ、でも、これ……私に入るかな。えっと、ほら、エルザさんとだと、多少体型が……」
「それはもちろん心配御無用です! 前回同様、きっちり着付けまでお引き受けいたしますから!」
パン! と大きく手を打つと、どこからともなく使用人達がぞろぞろと入ってきた。
「さ、エルリッヒさんはそのドレスを選ばれました! みなさん、可愛く着飾ってあげてくださいまし!」
「「かしこまりました!」」
一同は一糸乱れぬ動きで、エルリッヒにドレスを着付けていく。その間、エルザは気を遣ってくれたのか、部屋の外で待っていた。
「く、苦しい!!」
「我慢なさってください! コルセットは淑女の鎧! これがなくては始まりませんよ!?」
「さ、もう少し締めますから! 息を吐いて!」
そのあまりの連携プレーに、まさにされるがままになるのだった。
「まあ!!」
エルザが部屋に呼ばれたのは、しばらくしてからのことだった。コルセットの締め付けに体が慣れるまではどうしても待って欲しいと、侍女たちに懇願したのだ。
苦しそうに呻いている姿はさすがに見苦しいし恥ずかしいので見せたくなかった。
いつしか侍女たちは部屋を去り、再びエルザと二人きりになった。
「ど、どうですか?」
「思った通りです! どれを着ても素敵だと思いましたが、よくお似合いですよ! これで、よりお姫様らしくなりましたね」
にっこりと笑いながら、こちらを見上げてくる。
(エルザさん、もしかして……このために?)
もしかしたら、伯爵から話の内容を聞かされているのかもしれない。とすると、国王がそうであったように、街娘としてだけでなく、ドラゴンの王女としてのエルリッヒと話をしてくるかもしれない。そうなれば、相応の服装をするだけでも、相手の態度を変えることができ、相手の納得や譲歩を引き出せるかもしれない。
つまり、交渉の武器としてのドレスをあつらえてくれたのかもしれない。
「エルリッヒ様は、やはり普段の格好だけでは勿体無いです! 以前から、ドレスに着られている感じがしないと思っておりましたけれど、きっと、本物のお姫様だからなのでしょうね」
「……だったらいいんですけどね。私、住処を出る前はほとんど服なんか着たことがありませんでしたし、人間社会に出てからも、ずっと平民として過ごしてきましたから。ドレスに縁がないのは本当なんですよ?」
恥ずかしそうにはにかんでしまう。これほどの貴族のご令嬢が「ドレスに着られている感じがしなかった」と評してくれたのだから、その言葉は信じても良いのだろう。つまり、曲がりなりにもドレスを着こなせていた、ということになる。が、それは然るべき人たちが着せてくれたからではないのか、という思いも同時に湧いてくる。それとも、それでもドレスに着られているような人を見たことがあるのだろうか。
「衣服としては、着る機会があって着るものですけれど、装束としては、その人が己の気品で切るものです。ですから、普段着慣れているかどうかは、関係ないんですよ。ドレスをしっかり着こなせる品位のある人間であれ。って、これは亡くなったおばあさまの受け売りですけれどね」
「素敵な教えですね。じゃあ、私も最低限ドレスを着るだけの人物だった、と思うことにしますね」
自分を高く見るのは苦手だ。竜族の王女で三兄妹の中で最も強大な力を受け継ぎ、料理の腕は研鑽を積んできた。生まれつきの、選べない要素も自負できる要素も含め、”すごい”と評するに価する部分はいくつかあるが、それはあぐらをかかないための戒めのようなものだと考えている。だから、『ドレスが似合う気品』を持っていると他者から評価されるのは、気恥ずかしくも、素直に嬉しかった。
「ところで、今日は遅くまで居られるの?」
「ええ、お店は終日お休みにするとお客さんには伝えてますから。でも、遅くまでいたらご迷惑じゃないですか?」
明日の仕入れのことを考えるとあまり夜更けまではいるのはよろしくないが、エルザがこの様子では、さっさと帰るのも気の毒だ。
それに、話の流れからしたら、また貴族の食事がご馳走になれるかもしれない。あれはなかなか口にする機会のないものだから、とても気になっていた。
可能な限り、普段から手にはいる食材で味を再現するのだ。そして、みんなに喜んでもらうのだ。そういう、料理への研究は決して欠かしたくなかった。
「ご迷惑だなんてとんでもない! わたくしとしては、泊まっていってらして欲しいくらいなんです! 着替えなどはこちらで用意させますから!」
「そ、そこまでですか……お気持ちはとっても嬉しいです。でも、少しだけ考えさせてください」
さすがに、即決できるほど軽い誘いではなかった。こんなお屋敷に泊まるのも緊張するが、何しろ着の身着のままで来ている。先日の召喚とは違い、食材を気にする心配もなかったが、明日の営業も休むというのは、少しばかり気が引ける。
きっと、今日休みというだけでがっかりしてくれるお客さんはいるはずだし、その分明日の営業を楽しみにしているお客さんもいるはずなのだ。
しかし、ここで泊まるというのは緊張すると同時に、ドキドキする体験でもある。それに、何よりそうなれば、貴族のお屋敷で出される朝食を味わうことができるだろう。それは、とっても貴重な体験だ。
「う〜ん……じゃあ、こうしましょう。明日もお休みにするわけにはいきません。なので、明日、仕入れだけはさせてください。そのあと、このお屋敷に戻って、一緒に朝ご飯を食べましょう。少しだけなら一緒に過ごす時間も取れますし。そうしたら、仕入れた食材と一緒に私を送ってくださいますか? あと、ここに戻ってきたあとの保管もお願いしたいんですが……」
あまりにも都合のいい話をしてみた。これだけ条件をつければ、考え直してくれるだろう。そう思ってのことでもあり、これが通ればなんとかなる、と考えてのことでもあった。
「そうですか……」
エルザの様子を見ると、残念そうな表情を浮かべて……はいなかった。
「わかりました。あとでお父様に交渉しましょう! それと、朝の仕入れ、わたくしも同行させていただいてもよろしいですか?」
「えぇっ!!」
エルザの言葉は、またしてもエルリッヒの度肝を抜くのだった。
〜つづく〜