チャプター23
〜ルーヴェンライヒ邸 エルザの部屋〜
「あの、エルザさん? さすがにそれは大変だと思いますよ? 朝早く、暗いうちに起きて、台車を抱えて買い出しに行って、その荷物を持って帰って……」
「いいんです! わたくしはここでの暮らしでほぼ一年を過ごします。お屋敷の外に出ることは滅多にないんです。ですから、たまには外に出てみたいのです! もちろん、お父様のお許しが出たら、ですけど」
エルザはしかとエルリッヒの手を取り、その目を強く見据えて訴えた。かと思えば、最後は少しだけ寂しげな瞳を浮かべた。抱えている重荷はそういうところなのだ。
結局のところ、自分の意思でどうにかできるのは、この屋敷の中だけ。なんとなく、気持ちがわかる。これでは、強く反対でない。
本当に伯爵が許可してくれるとは思えないが、いざとなったら全力で守らなければなるまい。
「それじゃあ、伯爵のお許しが出たら、ですよ? あと、もし朝の市場に行くのでしたら、こういう格好ではなく、もっと動きやすい格好をしていただきます。伯爵には、そこまでを踏まえた上での確認ですからね?」
「!!」
言葉もなく激しく頷く。その様子は無邪気でかわいい。が、貴族の令嬢を同伴させる話なのだから、心配ごとには違いない。伯爵の賢明な判断を願うばかりだった。
「さ、そろそろお父様が戻ってくる頃ではないでしょうか。下で待ちましょう」
今度は優しく手を取りエルリッヒをエスコートする。先ほどの様子が嘘のようだった。
〜ルーヴェンライヒ邸 応接室〜
応接室に入ると、ソファに並んで座る。これもまた、どこまでも沈み込んでしまいそうなすごいソファだ。王侯貴族というのはどうしてこうもすごい家具を所有しているのか。
そして、室内を見回すと、これまたすごい調度品が並んでいる。細かい彫刻の造形が見事な像、図柄の美しいお皿、大きな絵画、これが貴族の屋敷か。
中には、完全に飾り物なのか、装飾の文様は美しいが見るからにヤワな感じのする甲冑一式が立っており、シンプルなデザインの剣を持っている。この剣も飾り物のようで、切れ味や重量はなさそうだ。何の気配も感じられないから、当然中はがらんどうだろうが、もしこの武具一式を身に纏った戦士が襲ってきても、片手で打ちのめすことができるだろう。
(なんでこんな実のない鎧なんか置いてるんだろ……飾りにしてもこれじゃ……)
どうせならもっと実際に着用しても役に立つ武具を飾ればいいのに。そんな色気のないことを考えている時だった。エルザがこぶし一つ分近づきながら話しかけてきた。
「ここで待っていれば大丈夫でしょう。それにしても、本当によくお似合いです。きっと、お父様も驚かれるに違いありません! はぁ〜、いつまでも見ていられます……」
「そ、そんなにですか? 私は、このコルセットの締め付けが苦しくて、いつまでも慣れません。貴族の女性はみんなこんな苦労をされているんですよね。ホント、人間の王女に生まれなくてよかったです。はふぅ……」
苦しげな息を吐く。貴婦人たちは日常的にこの苦しみの中で平然と過ごしているのだろうか。あるいは小さい頃からこの環境で育てばあるいは全然気にならなかったのだろうか。
とにかく苦しくて、普段通りに過ごそうとするだけで一苦労だった、
「そんなに苦しいですか? そんなに苦しくはないと思うんですが……もしかして、キツく締めすぎたのでしょうか!」
「い、いや、その辺は私には判断できないからなんとも……でも、伯爵の前で恥ずかしいところは見せませんから、それは安心してください」
やはり、息を吐くと少し楽になる。淑女の道はかくも険しいものかと実感する。そういえば、お城で軟禁されていた時も、こんな感じだったっけ。でも、あの時はもう少し楽だったような気がする。やっぱり、ドレスの寸法が合わないのを無理やり矯正して着ているからなのだろうか。
そう考えると、あの時お城で採寸されたことは、とても切実だったのだと実感する。たとえ既製品だったとしても、寸法が近いものを着るということは、体への負担を大きく軽減してくれることだろう。
「あ、あれは、ハインツの馬車」
窓の外を眺めていたエルザが、一台の馬車が近づくのを確認した。室内からではよく分からないが、ハインツが御者台に乗っていることだけは間違いなかった。ということは、伯爵を乗せた帰りの馬車なのだろう。
「きっと、中にお父様も乗っていらっしゃいますね。エルリッヒさん、いよいよです! わたくしも精一杯伝えますから、フォローよろしくお願いしますね!」
「えーと、何の話? 私のお泊まり許可と、明日の仕入れの同行許可は、まず伯爵様のお話が済んでからですよ?」
話の軌道が大きく逸れるのを何とか食い止めると、その勢いで軌道修正を試みた。
「あ、あら、そういえばそうでした。お恥ずかしい!」
「大事なところですから、忘れないでくださいね? っとと、そろそろですよね」
慌てて居住まいを正し、誰が入ってきてもいいように気構えを整えた。すると、少しして遠慮がちにドアをノックする音が響いた。
『お嬢様、旦那様がお戻りです』
「わかりました、お通しして」
大方どこかの使用人にでも聞いたのだろう。ハインツは馬車を停めると迷うことなく応接室を訪ねてきた。
『旦那様、やはりこちらで良いようです』
『うむ、それでは入るぞ』
穏やかなハインツの声色とは別に、威厳と落ち着きの同居した男性の声がした。それこそまさしく、以前話をしたことのあるルーヴェンライヒ伯爵のものだ。
ドアが開くのを待たず、二人はソファから立ち上がって伯爵の入室を待ち構えた。
「伯爵様、お久しぶりです。コッペパン通り、竜の紅玉亭の主エルリッヒ、お召しにより参上いたしました」
伯爵の入室を確認すると、先制攻撃だとばかりに恭しく頭を下げ、最大の礼を持って挨拶をした。
「っ! そ、そうか、よくぞ参ってくれた。さ、腰掛けるが良い」
伯爵自身もソファに腰を下ろしながら、着席を促す。咄嗟のことに、面食らってしまった。ドレスを着ていたこともそうだが、この態度。国王の言葉を鵜呑みにするわけではなかったが、これではまさしく王女ではないか。
「お父様、おかえりなさいませ!」
「う、うむ」
せっかくエルザが笑顔で出迎えても、同様のせいか反応が悪い。ある意味では作戦成功なのだが、これはこれで効きすぎたのではないかと、少しだけ考え込んでしまった。
「全く、愛娘の出迎えだというのに素っ気ない態度では、寂しくなってしまいます」
「あ、あぁ、すまない」
そんなにドレス姿に面食らったのだろうかと、むしろ強い疑問が湧いてくる。そもそも、この屋敷の女性がドレスなのはたり前だというのに。
似たような疑問を覚えたのは、エルリッヒも同じだった。より対等に話をするための剣であり鎧として着させられた一面のあったドレスだが、こんなに戸惑うというのは、あまりにもおかしい。
「あの、伯爵様、私の格好、やっぱり変ですか?」
「そうです! 帰ってくるなりそのような顔をして! 変だなんてとんでもない! エルリッヒさんのドレス姿、よく似合っていて美しいでしょう? やはり、お姫様はお姫様らしい格好がよく似合いますね!」
伯爵は、並外れた力はともかく、正体についてはあくまで噂は噂と信じてこなかったが、ここでこんなに驚いている自分がいることにも驚きを禁じえなかった。
それはつまり、『信じない』というスタンスを貫こうとしているだけで、実際は信じていた、もしくは信じたかったのではないだろうか。そんな、自分でも気付けない本心と向き合うことで、精一杯だった。
しかし、今この場を迎えた以上、話を進めなくては。
「遠路はるばるコッペパン通りより、ご苦労であった。さて、今回私がそなたを呼んだ理由、話の内容だが……っと、その前に、人払がしたい。ハインツ、エルザを連れて他の場所で待っていてくれぬか」
「はい、旦那様。さ、お嬢様、参りましょう」
「嫌です」
優しく声をかけたハインツの手を軽く振り払い、短く答えた。
「え?」
「嫌です。わたくしも話を一緒に聞きます」
その言葉に、一同は瞬時に驚きの色を浮かべるのだった。
〜つづく〜




