第5話 王太子、隣国王女と婚約する
海賊討伐の戦いが終わり、入り江には静けさが戻っていた。騎士たちは武器を収め、村人たちは安堵の息をついている。レオとアレクは少し離れた岩場に立ち、海を見下ろしていた。潮風が吹き抜ける中、二人は肩を並べていた。
「お兄様」
白銀のたてがみをなびかせた栗毛の馬に乗って現れたのは、淡い水色の乗馬服に身を包んだ、可憐な少女――アレクの妹、エリザベス王女だった。
エリザベスは馬上から声をかけた。
「ご無事で何より。……それに、素晴らしい戦いぶりでしたわ」
アレクが少しだけ目を細める。
「来ていたのか」
「ええ。お兄様の勇姿を、この目で確かめたくて――どうしても、じっとしていられませんでしたの」
彼女の視線が、すっとレオに向く。
栗毛の馬から軽やかに降り立ち、背筋をすっと伸ばすと――その目が、ふわりと見開かれた。
「あなたが……フェルミルナの王太子殿下ですね」
「はい。レオ・リスト・フォン・フェルミルナです。どうぞ、レオとお呼びください」
「では、レオ殿下。わたくしは、ルヴァン王国王女、エリザベス・ヴァレンティス・ルヴァンです。
わたくしのことも、どうぞエリザベスとお呼びくださいませ」
ドレスではないものの、エリザベスは王女らしい所作で、礼儀正しく一礼した。
風に揺れる髪をそっと押さえながら、ふとレオに目を向ける。
「……まあ。お兄様と似ていらして、でも……筋肉の使い方が違うのね」
レオは一瞬、きょとんとした。
「筋肉の……使い方?」
「ええ。お兄様は“押し切る”筋肉。あなたは“流す”筋肉。動きにしなやかさがあるのに、芯がぶれない。とても素敵」
「……あ、ありがとうございます」
「それに、剣を振るうときの肩の入り方。あれ、意識してやってらっしゃるの?」
「えっと……まあ、多少は」
「やっぱり。あれ、すごく効率的。無駄がないのに、ちゃんと力が伝わってる。ああいうの、好き」
アレクが咳払いをした。
「エリザベス」
「なあに、お兄様。褒めてるだけよ?」
レオは照れくさそうに笑った。
その笑顔に、エリザベスはふわりと微笑み返した。
それから数日、フェルミルナとルヴァンの合同演習は続いた。
期間中、エリザベスは何度もレオのもとを訪れた。
地図を見ながら話すときも、騎士たちの訓練を眺めるときも、彼女は自然にレオの隣にいた。
「この地形、面白いわね。風の通り道があるから、騎馬隊の動きが変わる」
「よく見てますね」
「ええ。お兄様の戦術を見て育ちましたもの。……でも、あなたの動きは、もっと柔らかい」
レオは、最初は戸惑っていた。
王女にしては距離が近い。
言葉が多い。
視線が、長い。
けれど、彼女の言葉には裏がなかった。
筋肉の話も、剣の話も、戦術の話も、すべてが純粋な興味と敬意に満ちていた。
そして何より――
彼女が笑うと、レオの胸が少しだけ熱くなることに気づいた。
最終日前日の午後。
レオが馬の手綱を整えていると、エリザベスが軽やかに近づいてきた。乗馬服にブーツ、髪は風に揺れている。
「ねえ、ちょっと走らせない?いい場所、聞いたの」
「……今から?」
「ええ。競争じゃなくて、並んで。風が気持ちいいらしいの」
レオは少し笑って、馬にまたがった。
「じゃあ、案内たのむ」
二人は並んで草原を駆けた。蹄の音が重なり、風が頬を撫でる。言葉はなくても、視線が何度も交差した。着いたのは、海を見渡せる丘の上。
エリザベスは馬を降りると、ぱたんと草の上に寝転がった。
「ここ、気持ちいい。寝てみて」
「……王女って、そういうもん?」
エリザベスは空を見上げたまま、ふわっと笑った。
「ううん。王女らしくないって、よく言われる」
風が髪を揺らす。彼女の声は、静かで、まっすぐだった。
「馬に乗って走るのが好き。身体を動かすのも好き。筋肉も……けっこう好き」
「筋肉、好きなの?」
「ええ。お兄様の背中、ずっと見てきたから。力って、綺麗だと思う」
少し間を置いて、彼女はぽつりと続けた。
「……自分が男だったらなって、思ったことあるわ。鍛えても、女の身体じゃ限界があるし。男の人みたいに強くなれない。だから、憧れるのかも」
レオは彼女の横顔を見た。
風に頬が触れて、目元が少しだけ赤くなっている。
彼女の言葉は、飾らなくて、ストンと心に届く。
――強くなりたいって、こんなふうに言える人。
素直で、まっすぐで、ちょっと不器用で。
……好きだな。
レオは空を見上げた。
雲がゆっくり流れていく。
隣にいる彼女の存在が、風よりも近くに感じられた。
その日の夜。
演習地には静かな緊張感が漂っていた。騎士たちは帰還の準備を整え、最後の点検を終えようとしていた。
レオは一人、アレクのもとを訪れた。
焚き火の残り火がまだ赤く灯っている。
「アレク殿下。少し、お時間をいただけますか」
「どうした?」アレクは地図を畳みながら、ちらりとレオを見た。
「エリザベス王女との婚約を――お許しいただけないでしょうか」
アレクは手を止めてレオを見た。
「本気か?」
「はい。彼女がいいです。飾らないところが、すごくいいんです。
筋肉の話も馬の話も、自然にできて、気取らなくて、でもちゃんと見てくれてて。
一緒にいると、俺も俺らしくいられるんです。無理しなくていい。背伸びしなくていい。
彼女と並んで生きたいって、そう思いました」
レオは畳みかけるように言った。
言葉が止まらないのではなく、止めたくなかった。
アレクは手のひらを軽く上げて、レオの言葉を制するように言う。
「……わかった、わかった。俺に止める理由はない」
「ありがとうございます」
「ベスには言ったのか?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、まずはそこからだな」
最終日の朝、レオはエリザベスを丘の上に呼び出した。
風が海から吹き上げ、草が揺れている。
「話ってなあに??」
レオは彼女の前に立ち、まっすぐに言った。
「エリザベス王女殿下。君が好きだ。
走るのが好きな君が好きだ。
筋肉が好きな君が好きだ。
草原に寝っ転がる君が好きだ。
王女らしくない君が、俺はすごく好きだ。
――俺の嫁になってほしい」
エリザベスは赤くなった頬を両手で包んだ。
「そんなふうに言われたの、初めて。……うれしい」
まっすぐレオを見つめる。
「あなたの、素直な心が好き。
あなたの、まっすぐな考え方が好き。
戦ってる姿がかっこよくて好き。
……筋肉も、好き。
顔も――けっこう、好き」
「だから、私――あなたのお嫁さんになる」
そう言って、エリザベスはレオの胸に飛び込んだ。
レオは驚きながらも、しっかりと彼女を抱きとめた。
そして、小声で言う。
「それに、兄と違って鍛えがいがあるもの」
「ん?なんて言った?」
「ううん、なんでもない。大好きっていったの」
レオはその笑顔に、胸が熱くなるのを感じた。
思い立ったら即行動のレオは、そのままルヴァン王城へ向かった。
アレクとエリザベスとともに王の前に立ち、婚約の意思を真っすぐに伝える。
飾らない彼女自身に惹かれたことを語り、王の了承を得た。
渋られるかと思いきや、王は満面の笑みでうなずいた。
「どんなことがあっても、もう婚約は決定だぞ。エリザベスを離さないでくれよ」
レオは少し面食らったが、ありがたく受け取ることにした。
アレクは腕を組み、にやりと笑う。
「俺は感動した。義理の弟に負けてたまるか!」
レオは一瞬きょとんとしたが、まあいいかと笑った。
こうして二人は、演習の終わりとともに、めでたく婚約を果たしたのである。
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