「古い地図」「時計塔」「猫」
【時計塔の猫と古い地図】
夏の終わり、僕は祖母の家の屋根裏で、一枚の古い地図を見つけた。
黄ばんだ羊皮紙に描かれた町並みは、僕が暮らす港町と似ているけれど、どこか違う。地図の中央には「時計塔」と赤い字で書かれている。しかし、この町にそんな塔はないはずだった。
その夜、海風に吹かれながら地図を眺めていると、不意に窓辺に猫が現れた。
真っ白な毛並みに青い瞳、首には小さな鍵が下がっている。
「おまえ、どこから来たんだ」
猫は答えない。ただ、地図の上に乗り、前足で時計塔の印を叩いた。
翌日、地図を持って町を歩くと、不思議なことに道の曲がり角や古い石畳が、地図とぴたりと一致している。知らなかった路地を抜けるたび、心臓が高鳴った。
やがて僕は、海沿いの広場に出た。そこには――なぜか存在しているはずのない時計塔が、影のように立っていた。
塔の扉には錆びた鍵穴があり、昨夜の猫が足元に擦り寄ってきた。首の鍵を差し込むと、音もなく扉が開く。
中は螺旋階段。上るたびに足元の木材が軋み、空気が冷たくなる。最上階にたどり着くと、巨大な振り子時計が静かに時を刻んでいた。
猫は僕の前に歩き、台座の上に置かれた砂時計を前足で転がした。すると、塔の窓から見える港町が、ゆっくりと変わり始める。
瓦屋根は藁葺きに、舗装道路は泥道に、人々の服も百年前のようになっていく。
「これ……過去?」
猫はただ振り返り、僕を見つめる。その瞳の奥に、深い海の色と同時に、時計の針のような冷たい光があった。
ふと、背後から祖母の声が聞こえた。
「――そこは長くいちゃいけないよ」
振り返ると、若い頃の祖母が立っていた。
「あなたが持っている地図、それは“時の抜け道”の案内書なの。猫は門番。長くいれば、帰れなくなる」
「でも、どうしておばあちゃんが……」
祖母は微笑む。
「私も昔、この塔に来たことがあるの。あなたと同じようにね」
猫が砂時計をひっくり返すと、町並みが再び現代に戻り始めた。祖母の姿も薄れ、僕は叫んだ。
「待って、まだ聞きたいことが――!」
しかし次の瞬間、僕は港の広場に立っていた。塔は影も形もなく、猫の姿も消えていた。
家に帰ると、机の上に古い地図が広がっていた。だが、中央に描かれていた時計塔の印は消えている。代わりに、港の先の小島に赤い点があった。
その夜、窓の外で猫の青い瞳が一瞬だけ光った気がした。
――地図は、まだ道の続きを描こうとしている。




