終わりの天剣
ちょっとした嵐だ。
閃光が視界を覆うと、強風に身体が運ばれる。同時に、建物が派手に吹き飛んだ。衝撃波で、土煙が舞い上がり、太陽を覆うと景色は闇で覆われた。
そして、ついに、そいつは現れた。
夢のようにもやがかかった、幼い頃の記憶の中。子守唄代わりのお伽噺の中に、あれはいた。
心の中で思い描くそれは、あまりに醜悪で恐ろしく、耳を塞いで逃げ出したくなる衝動に、よく駆られたものだ。
それが目の前にいる。
山のような巨体、毒々しい鱗で覆われた醜悪で厚い皮膚、爬虫類に似た感情のない瞳、どれもこれも、お伽噺で聞いた話と同じ。
気がつくと、武者震いが止まらない。
「セシル! バラカスさんは、クロノノートの伝説に出てくるグリードだ。敵うはずが無いから、退け!」
クロノノートの伝説、正にお伽噺の原典!
すると、あれが太陽を喰らい、昼を夜にかえたという、強欲の化身、グリードドラゴン……。
「馬鹿を言うな!」
「剣は通じないぞ! さっきだって吹き飛ばしただけだろ?」
ウルフは、何を言っている?
あれが実体を持って、目の前に現れたんだ。
グリードの伝説は、お伽噺でよく知っている。
「ウルフは、ここから離れろ!」
「おい、セシル、正気か!」
お伽噺でドラゴンが登場すると、その夜は眠れなってしまう。布団の中に潜り込んで、耳を塞ぎたくなる。それ以上に、続きが気になってしょうがないという、胸の高まりを抑えきれない。
「正気さ。それに、バラカス、いや、今は、グリードか……。あれは、俺に、御執心で目が離せないらしい」
いっだってそうだ。絶望を目にしても、先が気になる。だから、身体が動いてしまう。
「よせ! セシル!」
ウルフの声は、遠い背後から聞こえる。
既に大地は蹴った。
グリードは、俺をしっかりと見ている。
その瞳に嘲笑の色が見えた。
生意気な奴……。
奴の顎が開く、強い熱気の流れが皮膚を刺す。
何もかもが、想像通り。
序章が通り過ぎると、本編がやってくる。
ドラゴンのブレスだ!
太陽を喰らったという逸話を持った、ドラゴンが吐き出す炎のブレスが襲いかかってきた。
お伽噺の中の勇者は、盾で防ぐ。
俺に、それは無いし、あっても使うまい。
何よりも速く駆け抜け、この身が灰になる前に、斬る。
ただ、それを為すのみ。
守りなんて必要がない。
だが届かない。
押し戻され、地面に叩きつけられた。
瓦礫が背に刺さり、この身体で初めての激痛を味わう……。
何度も経験した死の足音……。
だが、昂揚は衰えない!
いっだってそうだ。剣を正しい位置に置き、剣先を相手に向ける。
剣が折れるまで、俺の心は折れはしない。
視界の端に淡い光。そこからの風が、焦げついた肌を癒すように、吹き抜けた。驚いた髪が暴れるようになびく、その違和感を手櫛で整えながら、振り返ると狼男に姿を変えたウルフがいた。
「よせ! やめろ! 今、その身体で、死ぬのは、本当に最後になるぞ!!」
「ああ、それは、いつものこと。そして、その覚悟は、いっだって、出来ている」
崖から落ちた、変身前の身体は、傷が癒えてない。未だに、身体が小さな女の子のままなのが、その証拠。このまま、死ねば最期なんて、あり得る話だ。
だから、なんだというのだ!
バラカスは、グリードドラゴンの姿で、それを嘲るように、二撃目のブレスを吐き出した!
くそっ! ウルフが口を挟むものだから、間に合わない!
剣が届かないなら、周りの被害を最小限に……。
熱気がこの身を焦がすが、ブレスは、俺の身体に直撃はしなかった。
顔を上げると壁がある。
デカい壁だ。
その壁が、俺を守るようにして灼熱のブレスを受け止めている……。
「ウルフ!!」
馬鹿な奴だ!
馬鹿だ! 馬鹿だ!
なぜお前が、俺を守る? バラカスの手下ではないのか?
それに、俺は道具だ。命を奪うための道具。
一族にとって、それ以外、俺の価値は無いはず……。
お前だって、そうだろ?
ブレスが過ぎ去ると、壁が崩れ落ちる。
淡い光に包まれたウルフの側へ。
グリードドラゴンから、バラカスの笑い声が聞こえた気がした。また、熱気がやってくる。
三撃目のブレスが、撃ち出されるのは間近らしい……。
しかし、今は、黙れ!
ウルフと話したいことがあるんだ!
グリードドラゴンに一撃を入れた者がいた。
無警戒だった奴の死角から飛び込んで入れた強烈な一撃だ。
流石のグリードドラゴンも、驚いた様子。
そこから、アレンの声が聞こえた。
レティーシアが信頼をしている、騎士のアレンだ。
そして、彼は速い、もう、俺の側。
アレンは、顔を歪めていた。
「その男は何だ? あれの仲間か?」
アレンの剣が、ウルフを狙う。
突然の惨状に、彼の気も立っているのだろう。
町は半壊、それに、もしかしたら、沢山の犠牲者も……。
ウルフは上体を起こし、立ち上がろうとしていた。このままでは、アレンは、勘違いをして、彼を斬るだろう。ドラゴンの正体を知らなくても、見かけない顔であれば、敵とみなして殺す。
その覚悟が、アレンの気迫から伝わってくる……。
「違う! コイツは関係ない! 俺を守ってくれた!」
半分は嘘、そして本当の部分が一番大事。
ウルフを庇うようにして、後ろから、彼の太い首元に手を回す。
アレンの表情は、一層、厳しい。
俺ごと、ウルフを斬る?!
それも、ありかもしれない。
原因の一端は、戦いを始めた、俺にもある……。
グリードドラゴンが動き出した。
アレンも反応する。三撃目は、町にとっても致命傷だ。
「セシル、事情は、後で、ゆっくりと聞かせてもらう」
アレンは、グリードドラゴンに向かっていく。
「おい、苦しいから、力を緩めてくれ」
ウルフが咳き込む。
皮膚が焦げている。狼男の変身が解けて、人の身体に戻った際、熱気で肌を焼かれたのだろう。
ボロボロだ……。
魔力を感じた。俺自身の魔力……、いや、この女の子が持っている魔力か……。
その力が、俺たちを包む込む。優しい感じ。とても懐かしい……、暖かさ……。
癒しの魔力が、ウルフの火傷を治療する。
良かった……。
「おい、やめろ、セシル! それは、自分に使え!」
「気にするな、狼男の身体には、もう変身出来んだろう。なら、お前の身体が、一番大事だ」
「いや、それは、お前だって……」
「俺の身体は、心配するな、そろそろ、動けるぐらいにはなる」
「そうじゃない」
「少し黙れ、もう時間がない」
グリードドラゴンと戦っているアレンも、そろそろ限界だ。人間のくせに、よく頑張ったものだ……。
地面に残る熱気のせいで体温が上昇してしまう。
ほら、ウルフの耳だって赤い。
「なあ、結構、大きいんだな」
彼がつぶやいた。
確かにな、お伽噺の通り、ドラゴンはデカい。
それよりも、お前の背中の方が、大きかったぜ……。
「おいおい、褒められて、嬉しいのは分かったから、胸を押し付けるな、何だか、変な気持ちになる」
褒める??
コイツ、何を言っている?
「セシル、お前……、ブラを付けているのか」
ななっ!
馬鹿か、コイツ! とんだ変態だ!
そして、背中で感じただけで、なぜ、下着の有無まで分かる!
変態め! 馬鹿!
ウルフの頭を殴って、立ち上がる。
「なあ、行くんだろ?」
「止めるのか?」
彼は、少年のようにうつむくと、頭をかいた。
「勝って来いよ、話があるんだ」
俺は、頷くだけで、言葉は無しにした。
そんなものは、無粋に違いない。
身体は、フラフラで傷も癒えきっていない。
残り僅かな魔力の使い道は、もう知っている。
天魔の本能が、「剣に魔力を捧げよ」と囁いてくる。天魔? まあいい、従えば、道が開ける。
神々しい輝きが剣に宿る。
服が破れる。そして、身体が本来の姿を取り戻す。
それは、あるべき俺の男としての姿。
激痛が脳天まで突き上げてくる。
崖から落ちた身体は回復しきってはいない。
だが、心臓は力強く脈を打ち、俺を鼓舞する。
アレンが、大地に叩きつけられたのが見えた。
彼の気配は、消えない。まだ、生きている様子。
グリードドラゴンが、再び、俺を見据える。
奴は、勝ちを確信したかのように、ゆっくりと顎を開く。
届くはずもない距離。遠い、剣の間合いの彼方。
どんなお伽噺も、勇者が必ず勝つ。
それは、彼らが思いを背負って、前へ、前へと進むからだ。
勇敢であれ! 足を動かせ!
この命が尽きようとも、あれを終わらせろ!
限界を訴えってくる激痛は、もう、俺には届かない。
あれは、欲望のまま、全てを喰らう怪物だ。
人を裏切り、信頼を喰らう怪物。その成れの果て……。
幽霊なんていない。魂なんてない。そんな、当たり前は、身をもって知っている。
奴が裏切って犠牲にした兵は、命を失い肉塊となり、もう何も語らない。
だが、その無念を俺は知っている。
なら、その思いは遂げてやる。
三撃目のブレスをグリードドラゴンは撃ち出した!
全てが凍る!
時が止まった……。
真の永遠は、この刹那に存在する。
天魔が俺に託した、この「終わりの天剣」が終止符を、そこに打つ。
剣を薙ぎ払う。
ただそれだけで、グリードドラゴンの全ては終わる。
これが、終わりの天剣を振るうということ……。
三撃目と共に、グリードドラゴンは消し飛んだ。
ジェヴォーダンの獣は、これで終わらない。
最後に簡単な作業が残っていた。
バラカスは、人の身体に戻り、大地に倒れている。青ざめた顔で命声がみっともない。
「おい、俺の仲間に……。いや、俺を好きに使え、そうすれば」
言われるまでもない、好きに使うさ、剣のサビになってもらう。最初から、そのつもりだ。
バラカスの首を切り落とす。
グリードドラゴンの力を失っている奴の首は、豆腐のように柔らかかった。
ジェヴォーダンの獣を秘めし者は、二度死ぬ。
そして、最後は、灰となり、この世に痕跡を残すことはない。
ガラパスの奴、立ち上がる力すら無しか……。
俺の内に潜む獣とは、えらい違いだ。
女の子は、希望として俺に剣を与えた。強欲な奴の獣は、何も与えない、何も残さない。
膝から崩れ落ちる。
終わった……、そして、限界だ……。
絶対零度。
全てが終わる、この深淵から、いつも目覚めがやってくる。
「お帰りなさい」
レティーシアの声。この身を包む暖かい布団、目の前には、彼女の優しい微笑み。
そして、残念なのは、また女の子の姿ということだ。