2150年 7月28日
──当然のことながら、レイヴがF-Fエリア周辺に居たのには理由がある。軍属の──それも、今後の存続すら怪しい軍隊に所属している士官が、わざわざあんな場所に、無為に出向くはずはないのだ。
それは、F-Fエリアのフォリオン神殿に生体兵器を集め、いかにも、「ここは重要な施設だ」と、ファシット側が思っているように見せかけるためだった。
実際のところ、フォリオン神殿は、そこまで重要な施設ではない。そもそも、ファシット教は物質的ではなく、精神的な信仰に重点を置いた宗教である。この非常時において、神殿を、他の何よりも優先することはない。
──見せかけの、欺瞞。それを重ね、ファシット残党軍は、防衛連合を撹乱している。
「なあミスト。俺たちって、どうしてファシット教を信仰してるんだろうな?」
2150年、7月28日。件の撹乱任務から帰投し、様々な処理を終えて一息ついたレイヴは、それなりにスペースのある食堂で、仲間にして部下であるミストと話していた。
「──何ですか、不躾に」
ミストはあくまでも冷静に答えた。これが他の者だと、そうはいかない。例えば、ヴァルキリー小隊のゲルなどは、激昂して飛びかかってくるだろう。そして、それは、他の兵士も同じだ。彼らにとってファシット教は心のよりどころであり、戦う理由であり、世界の全てなのだ。それに異を唱えることは、たとえ仲間だろうと許さない──。
だからレイヴは、このことをミストに話したのだ。彼も勤勉な宗教家だが、一言目で激昂することはない。
「いや──前の任務で、敵の兵卒が言ってたんだよ。「どうしてファシット教なんか信じてるんだ」ってさ。それで考えてみたんだが、どうにも理由が浮かばなくてな。どうしてだろうな?」
「ふむ……言われてみれば、そんなこと、今までに考えたこともありませんでしたね」
ミストは手元のコーヒーカップに目を落とし、考えを巡らせ始めたようだった。レイヴもそれに倣う。
「──洗脳されているから、ってのは、あり得ないよな?」
ぽつり、と、こぼすようにレイヴが言った。心をどうにかされ、宗教を盲目的に信じる。その発想が、自分の口から出たものなのに無性に恐ろしく、レイヴは身震いした。
「いえ、それはあり得ないと思います。仮に、本当に洗脳されているとすれば、「洗脳されているかも」なんて、今ここで考えられない──そうでしょう?」
レイヴの言葉は淡々としていた。別段いつもと変わらない、平常心から出る言葉だ。そのはずである。
「言われてみれば確かにそうだな……じゃあ、なんなんだ」
「──そうですね……それじゃ、命題を変えてみますか? レイヴ大佐、あなたは、フォリオン神話のどこが好きですか?」
フォリオン神話とは、ファシット教の教典である。世界の成り立ちから、終末戦争に至るまでを淡々と描いた神話で、それは思想を伝えるための教典、と言うより、「物語」に近い。
それを、レイヴは何度も読み返し、細部まで読み込んでいた。
(どこが好きか、か)
彼の思考は一瞬だった。元々、好感は持っていたのだ。それを言葉にするのは簡単だった。
「読んでると──勇気をもらえるところだろうな。後はそうだな……「勇気をもらえる」ってのとは少しかけ離れるかもしれないが、読んでると落ち着かされるところもだ」
「──成る程。まあ、私も同じような感じなんですが……しかしそれは、子供の頃から「フォリオン神話」に触れてきたから、なんでしょうね。子供の頃に読んだ絵本には、奇妙な愛着を感じる、と言ったような。──それは、戦う理由としては弱いですよね」
「うむ……どうして信じて、どうして戦うのか、か。難しいな」
言い、レイヴはお冷やを一気に飲み干した。
「──しかし。なんつーか、釈然としない感覚があるな。戦わなきゃいけないから戦う。好きだから信じる、って感じで戦ってきたが……その前提から既に、ねじくれて歪みきってる気がしてならない」
「──どういうことです、それは?」
「俺は、本当にフォリオン神話が好きなんだろうか? ってことだ」
その言葉に、ミストははっとしたようだった。どうやら、彼にも、少なからずそのような思いがあるらしい。
「勇気を貰える、落ち着かされる──。どっちも違うような気がして、な。「俺」は、本当に、神話に対して、そういう姿勢で向き合える人間なんだろうか」
「……………」
「──自分が、自分じゃないような感覚」
言い切ってから、レイヴは、自分の困惑がますます深まったのを感じていた。考えが全くまとまっていないのに、無理に言葉にしようとするから、問題が更に複雑化してしまったのである。
「分からない感覚では──ありません。しかしレイヴ大佐、きっとあなたは考えすぎなんですよ。考えないということも、時には必要です」
「そうか………そうだな」
──結局、その日の会話は、そこで途切れてしまった。




